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私があなたを額縁に入れ、それを芸術と呼ぼう



日本大使館に行った帰り道


晩御飯まで時間があったので、美術館に入りました。




"クライストチャーチ アートギャラリー"



わたしにとって芸術は、距離があるもので

絵もうまく描けませんし、字も綺麗なわけでもありません。


歌も楽器もダンスも、イマイチで

好きか嫌いかと聞かれたら、好意的には感じないかもしれません。


ですがわたしの好きなYouTuberの"Ropia"さんというシェフ

が、盛り付けについてこんなようなことを言っていました。


「わたしの親方が、いいから美術館に行け。」

「わからなくてもいいから、見ることが大切」


どうも、この話を忘れられません。


だからでしょうか。美術館に足を運んだのは





正直な感想です


わからなかったです。
気持ちが悪くなりました。


当然一意見として、あの場にあったアート達を否定する気は全くございません。




直感的に、


これがアートなのか?

と疑いをもった作品が、たくさんあるようにわたしは感じました。



Skypeのボケたスクリーンショット

ゆっくりとうごく女性の20分ほどの動画

テープの上に言葉を書いて、それがずーと繰り返される動画

NZ版はにわ の動画



カメラでシャッターを切ったのは、撮りたいと思った作品達で

とてもではないけど、先述のような作品を撮ろうとも思えなかった。


どんなアートだったか、言葉ではどうも説明できません。




わたしの中で、

これもアートなのだろうと受け入れようとする思考と

それを拒絶したい思考

が入り混じり、気持ちが悪くなりました。



わたしが理解できず、認められない領域を、
「そうなのだから」という名もなきプレッシャーにおいて、
認めざるを得ない。



アートに吸い込まれるようで、

それを信仰のように感じてしまいました。


いやおそらく芸術は信仰なのでしょう。


それを強烈に感じ取った1時間


でした。







歩き進めると、わたしが見慣れた作品が展示

されていました。


油絵の肖像画たち


一つ目
二つ目
三つ目



ぼんやりと眺めていて


額縁が違うことに気がつきました。


それぞれの絵にどれほどの価値があるかは

当然わたしにわかるものではありません。




ですが、3つ目より

1つ目2つ目のアートの方が、


どこか…立派に見えたり


は、しないでしょうか?



わたしにとって、特に二つ目のアートは

より輝いて見えます。



同じような絵でも、違う額縁に入れるだけで

パっとの見え方が変わる。


ふしぎです






もし、今の自分がよくない方向に行っていたとしたら


あの人と自分を比較して、自分の自信が落ち込んでいたとしたら


普通だなぁと思っていたりしたとしたら



どうぞ私に、あなたを額縁に入れさせてください。

そして、芸術であると言わせてください。



たくさんの人に、馬鹿にされようが認められなからろうが


一握りにわかってもらえれば、それでいいと思うのです。


私たちは、みなそれぞれに価値あるものをもっています。


私にとってあのアート達が、芸術でなかろうが

誰かにとってあのアート達は、芸術なんです。





だから、

自信を持って素敵な額縁に自分を飾ればよろしい。

なんなら、一番立派なやつにしましょう。






好きな色の好きなデザインにしつらえたあなたのアート



私のアートギャラリーは常に空きがございます。


「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」





おしまい。

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