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#013 原子力エネルギー 雑感

UAEにも原子力発電所がある。アブダビの石油精製・石化センターであるルワイスの西方約50㎞にあるBARAKAH原子力発電所である。韓国の電力会社KEPCOが主導する韓国連合が200億米ドルで受注し、建設、運転支援を手掛けた。運営主体はENEC(EMIRATES NUCLEAR ENEGY CO)。2012年7月に着工、2021年から稼働開始。1400MW/基で合計4基、公称能力5600KW。4基目が今年稼働する見込みである。UAEの電力需要の1/4を賄う。
UAE(アブダビ)は、原油生産能力を増強する一方、原子力利用も進め、バランスの取れたエネルギー供給を行っている。また、所謂「再エネ」を巧みな「脱炭素」ジェスチャーとして上手く活用し、本音と建て前を巧く使い分けている。
目下、日本は憲政史上最悪の政権の下で、国内外の環境は、危機的な情勢にある。核兵器に関しても、広島出身の某首相が依然としてお花畑的な発想に終始している状況は、戦前の偉大な先人らに申し訳ない。
先月、広島を訪問する機会があり、約10年ぶりに資料館を見学した。昨今、林千勝氏等の精力的な研究により、米国民主党政権による日本への核攻撃に関する新事実が徐々に明らかにされているが、同氏の解説から、ぜひ実際に見てみたいと思ったのが、下記の文書であった。(昭和19年9月18日 文書下にFDR/フランクリンルーズベルトのサインあり)確かに、降伏するまで、繰り返し、核攻撃を行う、となっている。広島と長崎になぜ2回も攻撃したのか、というよくある質問は本質的ではなく、実は、なぜ2回だけで終わったのか、という視点が重要、というのが林氏の主張。
確かに、現在価値で数兆円規模の資金を投入した以上、既に日本が戦争遂行能力を喪失していたとしても、臨床実験は何としても実施したいというのが、米国民主党政権の本音であったに違いない。
標的選考委員会は、京都が最適との結論を出したが、マンハッタン計画の最高責任者スチムソン陸軍長官は、最終的に、京都を外す。
一方、日本の陸海軍も精力的に核開発を進めていた。陸軍の二計画と核物理学者の仁科芳雄の成果は海軍のF計画と荒勝文策に継承され、戦艦大和二隻の資金と資材がF計画に転送された。荒勝のチームは、世界初の遠心分離機を完成させていた。(「世界が隠蔽した日本の核実験成功」矢野義昭著より)
そして、東洋一の産業インフラを擁する日本窒素(現チッソ)のあった朝鮮半島興南で昭和20年8月12日、実験に成功する。日本がもし米国に先んじて開発に成功し、そして運搬手段があったならば、起死回生の兵器として、我々の先輩方は躊躇せずに米国に対して使用したに違いない。残念ながら、80年前の核開発競争で、我々の偉大な先人らは敗北した訳である。
戦後および朝鮮戦争期間中、ソ連は、主要な設備や人材を含めた核インフラを興南から奪取した。そして僅か4年後に、核実験に成功する。また、中国共産党も、興南のインフラを一部取り込んだことは間違いない。そして、興南周辺の巨大な電力網や地下設備等の核インフラは、北朝鮮が継承し、皮肉にも、日本の脅威となって現在に至っている。
広島、長崎で2発、さらには、福島でも核エネルギーの恐ろしさを体験した日本だからこそ、人類史における宿命として、兵器も含め、世界の核開発の最先端に立つべきではないのか。

ハイドパーク合意の文書

確かに、JAPANでなく、JAPANESEに対して使用する、となっている。日本人を利用しての臨床実験、というのが実態であった。今次、枠珍の臨床実験(予防接種と呼ばれるが)も全く同じ構造と言えるのではないか。

昭和19年9月のハイドパーク合意
核兵器開発は米英の合同プロジェクトであった


原爆ドーム
平和公園
参考文献。矢野義昭将軍の珠玉の名著。今こそ、核保有に踏み切るべき。日本こそが世界の核研究、核利用の先頭に立つべきである、標題画像は同著の帯。

尚、上掲の書には、ソ連、中国も戦時中から核開発を知り、早くからそれを欲していたこと、また蒋介石も同様で、中国共産党との内戦に勝利するための核利用を企図したこと、台湾には日本の核インフラの一部があり、また1970年代の蒋経国独裁政権下での核開発の成果を含め、台湾にも潜在的に、相応の核開発能力を保有している、ことが述べられている。

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