底にある景色 3

 2017年4月に苦難の船出を迎えた大学生活。学部やサークルを通して最低限の友人はできたものの、大多数の学生のノリについていけない。そして学生の本分と言える学力面には自信があったものの、GPAが3を切っていた。1年次通年でのGPAは…確か2017年に連続試合2ケタ奪三振の記録を打ち立てた、則本昂大の防御率とほぼ同じ数値。ここでも現実を見せつけられた。
 いつしか両親からは「中学の頃のような表情をしている」と心配されるようになった。思い出にフタをしていた中学の頃…このままだとダメになってしまうと考えた筆者は転学などの手段も考えたが、ひとまず在学を続けることになった。先生方から絶賛され、周囲の生徒からも高い評価を得ていた高校時代の姿はこの時点で既に怪しいものとなっていた。
 2018年。なんとか2年生に進級した筆者は趣味のサークル活動など、自分なりに大学生活を楽しむことに決めた。1年次の基礎的な内容と比較して、専門的な内容になって難易度がさらに上がった勉強には苦戦していた。その分私生活を充実させようと必死だった気がする。外国人留学生と交流するサークルに在籍したり、春休み期間中に他の大学の学生と交流するワークショップに参加したり、高校時代までとは異なる面を見出そうと必死だった。
 一方で高校時代の「輝き」を取り戻そうともがいている時期でもあった。6月に高校時代の同級生から「学園生時代から筆者のことが好きだった」告白をされて、19歳にして人生で初めての彼女が出来た。しかし「思っていたのと違う」と言われてしまい、速攻で振られた。暗室の外に出て太陽の光を浴びた後、強制的に暗室に戻されたようなものだ。
 茫然自失としながらも大学の授業やバイトをこなしていた中、高校入学直後の筆者を暴行事件から救ってくださった女性の先輩と再会を果たした。穏やかでヒツジのようなオーラをまとったこの方は、おそらく筆者にとって初恋の相手だったのだと思う。どういう巡り合わせなのかこのタイミングで再会を果たした。上の兄弟がいない筆者にとっては、学園における姉に近い存在だった。暴行事件が長期化していたらいわゆる”闇落ち”していた可能性もあったわけだ。彼女にとっては単に下級生でしかない筆者のために、暴行を受けていないかちょくちょく筆者のクラスの教室まで様子を見に来てくださった。冬の時期には変な巻き方をしている首元のマフラーを見かけるなり、結び直してくださったこともあった。その先輩からは卒業式の日に手紙をいただいたのだけれど、家で読みながら涙を流していた。
 卒業された後に1度だけお会いしたことはあったが、その時以来の再会だ。筆者からは負のオーラが出ていたのだろう、心配そうな表情を浮かべる先輩。色々お話しているうちに「最近初めてできた彼女に振られてしまって…」と自嘲気味に話していた。親身になって話を聞き、励ましてくださった。そして他に遊ぶ機会を設けた後に筆者から告白した。
 お返事を待っている間は大学入試の合格発表を待つときや、この後に体験する就職活動の選考結果を待つとき以上に緊張する日々を送っていた。現実は無情なものだ。告白の10日ほど後に振られてしまった。「これからもあなたの先輩でいさせてください…」涙ながらに語る様子を見ているのは辛かった。自分の行動で愛した女性を泣かせてしまったのである。
 1か月の間に2人の女性からフラれたことも今となっては笑い話に昇華できる。しかし当時19歳の筆者にとっては辛い現実であった。「自分の何が魅力的ではないんだろう?」「このままだと2度と彼女ができないのではないか?」ということを考えてしまう。初恋相手の方に言われた「これからもあなたの先輩でいさせてください」という言葉は、筆者が大学入学後に変わろうとしつつも、高校時代の「輝き」を取り戻すために迷走している様子を表していたのだと思う。だから「よき後輩(弟)」の枠を抜け出すことができなかったのだろう。
 夏休みの間は筆者にとっての理解者であった親類の命が短いことを悟って北陸に足を運んだり、サークルの旅行で四国に行ったりと現実逃避にいそしんでいた。ちなみに前期の試験期間は1番精神的にしんどかった時期だったが、意外にも成績は良かった。
 いつの間にか大学の後期の授業が始まった。夏休み期間中に周りに薦められて通い始めた自動車学校が新たな日常になったのだが、この頃になると親類が危篤状態・逝去したことで大学を1週間以上休んだこともあった(北陸地方は大々的に葬儀を行う風習がある)。大学1年の頃から始めたアルバイトも辞め、大学生活の合間に現実逃避で遊ぶエロゲを糧にする日々。冒頭で述べたように自堕落な生活を送っていた。「模範的生徒」として有名大学に合格し、周囲からもてはやされていた頃の面影はもうどこにも無かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?