見出し画像

25年勤務したホワイト企業を退職した理由

団塊ジュニアの私は、大学生の時にバブルを見た。「就職なんて名前書けば入れるよ🎵」と本気で言われていた。
そして就活スタート前に、バブル崩壊&就職氷河期に直面した(;´д`)

私が大学3年生の時にバブル崩壊だった訳で、1つ上の学年から就職氷河期になっていた。私は3年生の3月から就職活動を開始し、履歴書は100社以上に送った。コンサルティングファームを希望していたが、これといった資格や特技がなく有名大学でもない理系&女子の私は書類選考すら通らず。だったら独立系SIerで!と方針転換し試みるも、今でいうベンチャー的会社は最終面接で落とされることが続出。身も心も疲労困憊だった時、N⚪︎Tのグループ会社から内定をもらった。今と違い、配属先の研究室の教授は就職活動に理解などなく、研究ファースト!により、もうこれ以上頑張れないと心が折れた私は内定承諾をしたのだった。夜の大学校舎横の公衆電話(あの頃は携帯ないから)で母に電話をし、「内定の連絡があったわよ!もうここでいいじゃない!」と言われ、「そ、、、そだね。」と肩を落とした瞬間を覚えている。

晴れて入社した企業は、超ホワイトであった。時代的に男尊女卑の感は否めなかったが、給与も極めて普通、産休育休の制度も整っているなど福利厚生は充実していた。

表向きは良かったのだが、会社の裏ミッションが「親会社で使えないおっさんを定期的に受け入れ、彼らのプライドを壊さない程度の適当な居場所を維持する」ことだった。具体的にはこうだ。毎年4月になると親会社で事実上のクビになったおっさん達が大量に子会社に落ちてくる。そして事業部長だの部長だの課長というポストにつく。現場としては今までやっていたことがリセットされ「これやってみようよ!」的な分析も戦略もない無邪気な思いつき施策が横行、プロパー社員が振り回される構図だ。でもいいのだ。会社のミッションが無能なおっさん達をそれなりの待遇で維持することだから。売上が足りなければ親会社から補助金的な融資があるし、やばいぞ!なんて掛け声だけで誰一人として自分ごととして考えていない。何かの責任を取って更迭や辞任した人を見たことがない。

私は早々にこの裏ミッションに気付いたが、子供がまだ小さかったことと、就活の大変さがトラウマとなり、理由をつけては転職する機会を見送っていた。ホワイトなだけあり、子育てや介護をしている社員へのサポートは手厚く、仕事をしてもしなくても給与を頂けるというメリットは有り難かった。実にこの会社でのんびりと過ごしている間に子供は成長し、住宅ローンも10年で完済できた。

しかし、環境とは恐ろしい。「仕事をしないおじさん」が普通に存在する職場というのはモチベーションが維持できず、自分もどうせ仕事したってね〜的な考えに襲われるのだ。ばかといるとばかになるのは本当だと知った。根本的に、「⚪︎⚪︎出身だから」「⚪︎⚪︎に気に入られたから」という理由で昇進昇格が決まる仕組みのため、社内の誰がどうした、誰がどうなった的な本質的でないことが最重要情報という稚拙な集団となってしまう。また、新しいことなど取り入れなくても何も困らないため(基本みんな暇なのでコピペなどの無駄な手作業を好む)新しい仕組みへの拒否反応が半端ない。仕事的にも人間的にも成長が止まる環境なのだ。

子育ても住宅ローンも一段楽し、改めて会社環境を見渡した時、ここに65歳までいたら(何もしなければ何もしないままそこで年だけ取ることが可能)何もできないおばさんになるな(スキルもなく人脈もなく家でゴロゴロするだけ)と気がつき、真剣に転職活動を開始したのだった。だいぶ昔に大好きな宇多田ヒカルちゃんが歌手活動を無限休止する際「40、50代ぐらいになって、マネージャーなしで何にもできないおばさんとかになりたくなかったという感じです」と言っていたことが理解できた。(レベルの差こそあれど!)

晴れて転職が決まり、みなさんに挨拶周りをしている時、私より年上のお姉さま達からはこんな言葉を頂いた。
・おめでとう!!(← これが一番多かった)
・私はもうここ以外働けないから、最後までここでやるよ
・いいなあ、能力がある人だったらこんな会社転職するよね
誰からも「もったいない!」と言われることはなかった。みんな分かっているけど辞められないんだなと切なく思ったが、時間は平等なわけだから、全てが自分の選択なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?