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新世紀エヴァンゲリオンを今見ること【2024.02.16】

「なんで今まで見なかったんだろう」
「もっと早く見ればよかった」

タイトルにもある通り、最近Netflixで「新世紀エヴァンゲリオン」を見始めていました。こちらは1995年10月4日 - 1996年3月27日にかけて放送されていたということで、僕は生まれる前なのですね。

そういう事情もあり、「残酷な天使のテーゼ」が主題歌だったということから知ってはいたけど、今まで見ようとはしていませんでした。ですが、最近本当偶然何かきっかけがあったような気がしたのだけれどうまく思い出せない。

ともあれ見始めたのです。
「Air」 「まごころを、君に」も。Netflixにあるのは全部。
徐々に徐々に、そしてがっつりと引き込まれたのです。

どうして自分はこんなにもこの作品に夢中になったのだろう?

ストーリーや主題の難解さであったり、神話を彷彿とさせるような壮大な話。そして圧倒的な心理描写。考え方や愛についての哲学的なセリフなどでしょうかね。

世界観が好きです。


そして何より、自分を重ね合わせたところがあったから。

碇シンジがINFJじゃないかみたいな風に言っている人がいるということも確かにあるかもしれない。彼の葛藤が自分のことのように感じられた。

「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」




ATフィールド、心の壁。

色々なもの、特に人との関わり。
特に心を通い合わせるような、相手に対して心のドアを開けるような。

ヤマアラシのジレンマ。
1人にしないで。1人にして。
親しくなりたい、怖い。気持ち悪いのでは。

自分なんて価値が無いし、誰も好きじゃないと思う。

「自分が嫌いな人は、他人を好きに、信頼するようになれないわ」

世界の中心でアイを叫んだけもの / Take care of yourself.


せっかく良くしてくれた人もがっかりさせてきただろうし、そうなるんじゃないかと思う。傷つきたくない。もう十分。
そうやって逃げるから、何も見えない、向き合えない。
覚えてない、思い出せない。

あきらめたい。あきらめたくない。

作り出した幻想は現実。


「おめでとう」なんて言葉には程遠い。
バラバラで不完全を選べるか分からない。

もういいやって全部を捨ててしまえるほど自分は強くはないし、そうするには恵まれすぎている。

虫は住み続ける。

それは害虫なのか。共生すべきなのか。

最近分かってきてもいる。
そろそろ誤魔化しも効かなくなってくるのではないかと。
これを解決しないと、将来、それどころか人生にさえも一生価値を見出せない気がする。産業的な価値、他の人がしたことない経験で武装したところで脆い。渇きを抱えたまま、どこか上の空で、周りが進んでいくのを見ることになる。

仙人のように生きれるのなら話は別だろうけれど自分には分からない。

自分の行いだ、それが返ってきているに過ぎない。
自分が良くない。

長くなってしまった。




Amazonプライムビデオに新劇場版の「序」「破」「Q」「シン エヴァンゲリオン劇場版:ⅱ」があるということで見てみたのですが、台湾は何やら地理的ライセンスがとかで見れませんでした。
あと、四か月はお預けか。
個人的にはセカンドインパクト級です…

夏休みに帰国した時に見よう。
それを楽しみに来週からの下學期頑張るよっ!

#留学生のひとりごと日記

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