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社会人になってからの足跡。新卒から現在まで⑤

1994年4月に社会人デビューしてから、色々な経験をさせていただきました。また、色々な方と出会い支えていただきました。転職も数回していますが、その度に自分の職務経歴書を見て、「信じてもらえるかな・・・」と思うくらい幅が広いです。現在、メインのキャリアは「管理系」とお答えしていますが、そのきっかけとなった人事部業務に携わるまでの経験と経緯を複数回に分けて、書いていこうと思います。(具体的な会社名は伏せさせていただきます。ご興味のある方はメッセージください。)

前回までのあらすじ
新卒として研究開発職に就き、平和に楽しく仕事をしていましたが、「O157」事件で激動の社会人生活へと環境が一変しました。全く興味も関心も無い人事部門への異動となりましたが、その大変さや仕事の意義に気づき、「自分の仕事」をスタートさせました。
約15年間お世話になった会社を辞め、「人事」としての更なるキャリアアップを目的に転職する事にしました。上場企業の人事責任者になったものの、想像と実際の現場とのギャップに悩みながら悶々と過ごし、後悔し始めると共に、独立に向けて次の選択を行います・・・

よろしかったら、こちらもお読みください。
第1回の記事(https://note.com/shiny_moraea618/n/n71705f005b11
第2回の記事(https://note.com/shiny_moraea618/n/n20640b5d1e63
第3回の記事(https://note.com/shiny_moraea618/n/nf13adf099fcd
第4回の記事(https://note.com/shiny_moraea618/n/nd4527e38790b


上場企業の人事部長になってみたものの・・

15年間お世話になった会社を辞めて、上場企業の人事部長ポストで転職しました。上場企業の人事部のイメージは当然ながら法律に基づき、粛々と業務を行いながら、戦略的に人事企画を練り、将来の会社の発展や社員の幸せに資する施策を遂行していく・・・のような期待(幻想?)を持っていました。
ところが、現実はそんなものではありませんでした(おそらく、他の上場会社ではそんなことは無いと思います・・)。

こんな上場企業があるの?

上場企業に入社し(業界も書きませんが、ほとんどの方が耳にしたことのあるメジャーブランドを持った会社です。)色々な期待を膨らませていたのですが、入社後1ヵ月経つ頃には幻想だったと気づかされました。

人事としては会社の実情を知る必要があります。部下となった課長さんから話を聴いていくうちに「それ、本当ですか?」と内容を疑ってしまうような事が沢山出てきました。

賃金の問題、労働時間の問題、ハラスメント等について、あまりにも酷い状況でした。離職も激しく、平均在籍年数も当然低い状態で、これは前任者や目の前にいる課長が、なにもやっていなくて起きていて、その状況を経営陣に上げておらず、経営陣は全く把握していないものと考えました。その場では特に何も言わずに、聴いた内容を自分の目で確認し、課題として経営会議に上程する準備を進めました。

経営会議にて

その会社の経営会議は毎週水曜日、朝7時から行われます。
メンバーは6名で、社長をはじめ各部門の責任者が出席します。部門の状況や進捗の確認、1週間で起こった出来事の共有がメインですが、悪い話は一切でてきません。また、自分の報告以外は発言する人がいません・・
社長のみ質問や指示を与えていきます。「発言しない人は会議で不要」と育ってきた私にはある意味衝撃でした。

私に報告の順番が回ってきました。調査を行い、離職率を高めている原因になっている長時間労働について報告を行いました。全く管理されていない状況であり、社員から実情を聴取すると賃金の未払いが発生していました。現場のリーダークラスは非管理職であり、「どうせ残業代は出ないから」とタイムカードを押してからメンバーを先に帰宅させ、深夜まで働いていました。体調を崩している社員も出ている状況なので、早急な対応を取りたい(社名が分かってしまうかもなので、具体的な対応策は書けません。すみません)旨を報告しました。少なくとも長時間労働を行っている部門の責任者がいるのですが、「そんな報告は聴いていない」と必死に社長に対してアピールしています。社長も「社員の長時間労働がなぜ悪いのか?給料を払っているのだから終わるまで働くのは当然だ」という感覚でした。
「未払いがあるのだから労働に対して正当な賃金を払っているわけではありません」とお伝えすると、激昂して「ずっとやってきた事だから変えない!」と言われ、本当に驚きました。本当に上場企業なの?と衝撃を受けたことは忘れられません。

入社早々でしたが、「長くいるところではないな・・・」と考え始めていましたが、知ってしまったからには何とか解消しないとと思い、先輩の課長と共に対策をたてて、実行していきました。私たちに共感してくれて影から支援してくれた人たちもいました。法務の部長さん、総務の課長さんたちでした。この人達とは今もたまに食事に行ったりします。どこでも良い仲間に恵まれて、感謝しています。

長時間労働にについては、周囲の協力を得る事で健康に影響するようなレベルではなくなりました。未払い賃金についても対象者への対応も終了し、求めていたものと違う・・・と感じていたこと、また、仕事に疲れたと感じました。今までにない感覚でした。再度転職を決意しました。
短めでしたが、今までと全く違う環境を体験できたことで、いかに「恵まれた環境で仕事をしていたか」をしっかりと認識できました。また、会社の在り方や経営姿勢についても考える事ができて、有意義な期間であったと今は考えています。

無職になってみて

次の当てもなく、退職したため無職となりました。
新卒で働き出してから仕事の事を考えずに長期の休みを取った事が無かったので、「色々とやりたいことをやっておこう」と思っていたのと、失業手当の受給を体験してみよう・・と考えていましたので、「雇用保険受給資格者証」を持って「失業認定申告書」を提出するようになるまで転職活動は行いませんでした。労働基準監督署へ「あっせん」のために出向いたことはあっても「ハローワーク」は初めてでした。求人もハローワークを利用したことが無かったので、設置された端末に向かって求人検索をしてみたり、窓口での相談を行ってみました。

私の奥さんは働いていたので、中途半端に家事のような事をやりながらダラダラと過ごしていました。最初の1ヶ月位は心穏やかに、ゆったりした気持ちで過ごせました(多分、奥さんは違っただろうと思いますが、何も言わずにいてくれました。感謝です。)。3ヶ月目あたりから、電話もほぼ無く、日中に話す相手がいない生活がつらくなってきました。相手をしてくれるのは飼い猫だけで、平日の昼間に相手をしてくれる人間関係はありません。
仕事で人の良いところも、嫌なところも沢山見てきて「人付き合いしたくない」なんて思っていましたが、社会に取り残されるような感覚と共に、再び面倒と思っていた人間関係の中に戻りたくなり、転職活動を本格的に開始しました。

就職活動開始

転職は人材紹介会社と媒体を利用しました。
人材紹介会社のエージェントの方に面談をしていただき、希望職種や処遇についてお話を聞いて頂くのですが、会社によって全く違うのが興味深かったです。
さらっと一通り希望を聴いて、数社ご紹介していただく会社もあれば、じっくりと働くスタンスや重要視する事まで掘り下げて聴いて頂ける会社もありました。接触する機会が増えれば親密度も信頼度も上がるわけで、「この人が紹介してくれたのだから」と意向も高くなります。例にもれず私もそうでした。その方は今でも年に1回、近況の確認で連絡を頂いています。

職種はかなり具体的にお伝えしたものの、業種や規模、勤務地については、特に要望を出しませんでした。年齢(四捨五入したら50歳)のこともあり、絞ると就職できないのではないかと不安になったためです。ただ、この時はいざとなったら、少し予定より早いけど起業も視野に入れていました。
とはいえ、大きな企業のカンバンがあっての自分であることは重々承知していたので、もう少し準備期間が欲しいとも思っていました。

そんな中で、大阪の会社から「是非」とお声がかかりました。東京のオフィスで面談や職場を案内していただいていたので、「前々職のオフィスとも近いな・・」と思っていました。最後に社長とお会いする機会があり、大阪に行ったのですが、東京の方がずっと大きく人数も多かったので、東京で勤務と思い込んでいました。
業種はセールスプロモーションをメインにした広告代理店業でした。今までは有形商材を持っている会社での経験がメインだったので、やや不安でしたが知識的な欲求が上回り、入社を決意しました。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
次回は「大阪編」です。
色々と貴重な体験をさせていただき、自分の働くスタンスが明確になったのも大阪での経験だと思います。
次回はそのことを書きたいと思います。
引続きよろしくお願いいたします。



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