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母と娘の大腸がん在宅日記①~母が逝った後、残ったのは兄妹3人の絆だった~


はじめに


この話はよっちゃん家族の実話です。(仮名使用)
Kindle本を読んでたくさんの人の人生を見てきて、私も私の体験を描いてみようかな、と思うようになりました。


約4年前、母は大腸がんで亡くなりましたが、在宅療養を選択し、自宅で私の目の前で最期を迎えました。兄妹妹の3人兄妹が心を一つにして母の看護、介護にあたりました。在宅医療の話や薬の話など役に立つ方がいるかもしれません。どなたかの役に立てたら嬉しいです。母も誰かの役に立つなら、と天国でOKサインを出してくれているでしょう。


また、介護の仕事をしていた時、お年寄りの身の上話を聞いていると
「人生ってドラマよりドラマティック」と
思う機会が何度もありました。今回のよっちゃん家族の物語もそうかもしれません。家族になったつもりで読むのもアリだと思います。どうぞ最後までお付き合いください。


登場人物
母、よしこ(よっちゃん)

序章

今日は大腸がん摘出手術後の月に1度の定期健診日でした。
「お帰り。どうだった?」
「……。よしこ、明日一緒に病院に行ってくれない?再発したんだって。家族と一緒に明日もう一度来てくださいって言われたの」


この時のシーンは覚えているのですが、どんな心理状態だったのか記憶があいまいです。「まさか」という気持ちと実感が湧かない気持ちで、やたら冷静だったような気がします。その時母は81歳。「年なんだから再発したってそこそこゆっくり進むレベルだろう」と思っていたのです。


さかのぼること前年の6月。
お腹の調子が悪く、それがしばらく続いていたために近所のかかりつけ医院を受診。
「総合病院に行ってください。紹介状を書くからどこの病院が良いですか?」早急に受診するように言われたようです。
一番近い総合病院を紹介してもらって電話で予約をして行きました。

そこで言われたのは、大腸がんという診断でした。
母と私は近藤誠医師の著書「患者よ、がんと闘うな」や「医者に殺されない47の心得」などを読んでいたので、この時点では手術はしない方向で考えていました。家に戻って近藤医師のホームページを調べ、セカンドオピニオン外来の予約をしようとやり取りをしている途中でやって来た2度目の診察日。


主治医に「検査の結果腫瘍が大きく大腸を圧迫しています。今まで食事して排泄できていたのが不思議なくらいです。普通ならもう食べられませんよ」
「このまま帰すわけにはいきません。腫瘍で大腸がふさがっている状態なので手術を決めてくれないと帰すことは出来ません」と繰り返し言われ、診察画像も見せられて、さすがの腫瘍の大きさに母も私も手術を断ることは出来ませんでした。

記憶がおぼろげですが、診察後、腫瘍の位置が悪く一旦あるべきところに収める必要があるとのことで母は横にさせられて、腸の辺りをギュギュウ、グイグイ手で押されていました。それはもう痛くて苦しくて耐えに耐えていた様子が忍びなかったのが思い出されます。


セカンドオピニオンの予約は取り消しての入院、そして手術。無事に手術は終わり、きれいに取れましたよ、と腫瘍を見せられてとりあえずは一安心です。これから起こることはまだ誰にも分からない術後の母娘のひと時でした。

順調に回復して退院。しかしそれから約1週間後、あまりの痛みに動けなくなり、脂汗が流れる激痛が。急いで救急車を呼んで病院へ。腸の癒着でした。緊急手術をしてなんとか落ち着きましたが本当に痛そうで可哀そうでした。「手術して癒着が起きる人は一定数いるんです」と医師からは言われましたが、慰めにはなりませんでした。お母さん痛くて苦しくて辛いだろうな、と何度も思ったのでした(涙)


その後最後まで癒着が起こることはなかったのでそれだけは良かったと思っています。本当に激痛の様子が痛々しいから見てる方も辛いですね。

癒着は一度きりだったものの、その後も尿管結石で救急車を呼んだり、熱が下がらす救急センターに行ったりと何度か総合病院の救急センターでお世話になりました。尿管結石もなったことがある方なら分かると思いますが、石の角が尿管に刺さるためにこれも脂汗ものの激痛なんですよね。
病気という病気をしたことがない母でしたが、最後のほうですべての病気がいっせいに爆発した、そんな感じでした。

救急センターは、受診した後、点滴や薬で落ち着いて帰宅の許可が出ると帰ることができます。でも、一つ問題があって、毎回毎回救急センターで決まっている検査をしてからでないと帰れないということが問題でした。


レントゲンや造影剤を使ってのCT検査を毎回やるのですがそれがとても嫌だったんです。先生の見立てで「おそらくこれだろう」という診断はあっても、検査すべてに「問題なし」が出ないと救急センターの場合は帰せないんですよ、と言われ、仕方なく何度も造影剤を使うための承諾書を書きました。

これが後々在宅医療を選ぶ一つの要因になりました。
私たちの立場からすると、少し前にCT検査をしたばかりだから、できればその検査はしたくないのです。その都度造影剤を使うので、とても抵抗がありました。副作用も気になります。


私は以前ケアマネジャーをしていて、市内に在宅医療をしている往診専門のクリニックがあることを知っていたので頭の中で考え始めました。在宅医療なら、痛みを我慢して救急車を呼んだり、何とか無理やり自家用車に乗り込んで救急センターにかけつける、ということを無くせるし、痛みや苦しみを取り除くことはしてもらえるし、毎回レントゲンと造影剤とCT検査のセットをやらなくて済むのでは?と思うようになりました。

痛みによる救急窓口とはまた別に月に1回の定期受診があります。再発するまでは母が一人で行っていたのですが、再発が分かってからは私も同席していました。ここでも気持ちに引っかかるところがあったのです。

昔と違って今は本人に何でも言うんですよね。検査結果を主治医と母と私の3人で一つ一つ見てくのですが、腫瘍マーカーの数値を毎回あけすけに本人に言うのがどうしても嫌でした。良くなっていくのなら全然構いませんが、毎回悪くなっていくんです。それを主治医は平気で本人に見せます。

私は毎回どうしようか迷っていました。おそらく母は聞きたくないだろうな、と思いつつどうしていいか代用案を考えられないまま何度か受診を続けていました。

いよいよ、腫瘍マーカーの数値が私としては我慢ならないくらいの数値になった時、いてもたってもいられずに在宅医療の提案を母、兄、妹にしました。全員の意見が在宅医療に一致したので総合病院の主治医に話し、紹介状を書いていただきました。

母に対する表向きの理由としては、救急センターにいくと毎回全部の検査があるからそれは嫌だし、在宅医療だと先生が来てくれるから救急車も必要ないし、ムリやり車に乗ってひどい思いして病院に行く必要もない、ということです。

裏の理由としては、検査結果を母に伝えないで往診クリニックの先生と私たち兄妹だけで共有したいということです。

82歳の母に、がんの検査結果をすべてもれなく伝える必要はないと考えました。毎回数値が上がるのを今までどんな思いで聞いていたのだろうと思うと、遅すぎた気もしたのでした。本人にもチラッと聞いたら「うん、べつに数値は聞きたくない」とのことだったのでいよいよ決定となりました。

往診専門のクリニックへ出向く

総合病院から紹介状をもらい、電話で事情を説明。一度話を聞きに来るようにと言われたので近くに住んでいる妹と二人でクリニックを訪れました。
挨拶と、訪問医療の流れの説明を受けて1回目の我が家への訪問日が決まりました。

訪問初日。8月7日
往診の先生に聞かれて母はこう答えています。


悪い話も余命も聞きたくないから、その話は娘として欲しい。
それ以外の話は直接話をしたい」

往診の一般的なシステムとして、定期で訪問する場合、MAXで医師が週1回、看護師が週3回の計4回が訪問可能と言われました。
また、電話は24時間365日可能ということで、母も私も安心しました。

今現在の母の状態は落ち着いているので、隔週1回の医師の訪問から始めよう、ということになりました。何人かの先生と看護師が所属しているようで、意外と毎回違う先生が診察に来て気さくに話をしてくださいました。看護師も看取りまでするクリニックだけあって、とても頼もしく経験豊富な安心感が持てる方々でした。

また、先生から今後病気が進んだ時の意向を聞かれて、人工呼吸器と胃ろうについて考えておくように言われました。正直、がんのことばかり考えていて、人工呼吸器や胃ろうが必要になるかもしれない、なんて全く意識になかったので母も私もその時は何も答えられませんでした。先生には「途中何回でも、心変わりをしても構わないので今の時点での意向を考えててね」と言われました。

(胃ろう:胃に穴をあけて専用のチューブを挿入し、栄養補給をする方法)

結局どっちとは決められませんでした。もともと人工呼吸器も胃ろうもやらない派でしたが、やはり目の前に突き付けられると「はい、私はそれをやりません」とは言えないですよね。母も私も出ない答えをぐるぐる考えていました。


この時、兄妹3人のグループラインが作られ、やり取りが始まりました。
次回からLINEの内容を元に時系列で話を進めていきます。〈つづく〉

全部まとまりまったら、
kindle出版をする予定です。
そのプロセスも記事にしていきたいと思っています。





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