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夢と、秋山さと子先生の思い出

 

3日坊主の私が夢日記だけは継続中


 枕元にノートとペンを置いておき、夜見た夢を書き留める、ということを続けています。夢を見たらすぐ、忘れないように寝ぼけた頭で書き留めます。朝起きてみると「誰が書いた?」と思うような謎のことばが書いてあったりするので驚きます。 
 特に、さあ分析してみよう!とも思ってはいません。夢は気をつけて大事に扱ったほうがいいと思うから。ただ、夢の世界と現実の世界を行ったりきたりしていると、私がいま現実と思っているのが「夢」で、「夢」だと思っている世界が真実なんじゃないか・・・、ゲシュタルトのいう「図と地の反転」というのか、そんな感覚になり、そうすると世知辛い日々の視点にゆとりが生まれ、その「ゆるみ」は私を楽にしてくれます。

夢解釈 ユングとフロイドの違い


 そんなルーティーンをしていると、数十年前に、ユング心理学の分析家である秋山さと子先生の別荘に泊まりに行ったことを思い出しました。JRの電車の車両をつなげて改造して、海外のお客様のゲストルームも備えた、とてもスタイリッシュな別荘でした。
 先生の作ってくださったカレーを(大きな鍋でカレーを煮込んでらっしゃる先生の後ろ姿は、やはり絵になっていてまるで魔女のようでした。)頂きながらおしゃべりをしました。大御所なのに大変気さくな先生でした。
 「かまきり」というのは、フロイドの解釈で言うと「去勢不安」の怖い象徴なのだけど、アフリカのある民族ではかまきりは原初の父で、文化英雄として活躍していたり、また、どこかの民族では(詳細忘れました)金のかまきりは幸運の象徴であったりする。文化によって、かまきりの意味あいも違ってくるもんなんですね~、と、そんなお話をしていたら、リビングの窓になにかあたったような気配があって、そこにいるみんなで窓をみたら、緑のかまきりが止まっていたのです。なんというシンクロシティでしょう。

 

ユング研究所の初期の分析家はほとんどがユングの患者だった。


 秋山さと子先生は、スイスのチューリヒのユング研究所に留学していた時のお話などもざっくばらんにしてくださいました。ところどころしか覚えていないけど、以下は著書にもあったエピソードなので引用します。
 「いわば夢の世界のプロである精神分析家たちは、素晴らしい人格者であるはずだ。なのに特に傑出していると思える人物に出会えなかった。なぜチューリヒの分析家の間には、もう少しましな人はいないのか、と私の分析家に聞いたことがある。その時の彼の答えは、私をかなりがっかりさせるものだった。『あの連中はね、ほとんどが最初はユングの患者だったのさ。だから、あれでも分析のおかげでずいぶんよくなったほうだよ』
(「秋山さと子」「講談社現代新書」「夢診断」「1981年」「P36」)

 夢分析のおかげで人格にやわらかさが生まれたり、生活にうるおいが増したりするのはたしかにあると思うけど、イメージや夢の勉強を究める人が、イコール素晴らしい人格者ではない。夢と遊ぶ、くらいでちょうどいい。そう自分に言い聞かせて、毎日、夢日記をつけています。


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