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コムデギャルソンとの出会い

その日私は決めていた。
今日は絶対コムデギャルソンで試着するのだ、と。
今まで入店はできても、とても勇気が出なくて、試着は出来ないでいたのだ。

その日は普段はあまり行かない駅に用事があったので、普段行かない百貨店に帰りに寄ることにした。前日にフロアガイドを読み込み予習。
「あっ!コムデギャルソンがある!よし。絶対試着しよう!」心に決めた。

そこは池袋西武百貨店。
一つ一つのブランドブースが広くて明るい。
早速、コムデギャルソンへ入店。一通り店内を見てから
「コートを探してるのですけど…」と店員さんに声をかけた。

9月上旬、まだコートはあまり多くなかったが、コムデギャルソンコムデギャルソンのポリエステルのコート(コムデギャルソンの世界では、ポリエステルを「エステル」と呼ぶらしい。かっこいい…)を見せてくれた。

着せてくれようと店員さんが広げてくれたコートの内側を見て声を上げた。
「わあ、裏もキレイ…」ポリエステル生地の裏にキルティングがついていて、そのキルティングがツヤツヤで、とっても美しかった。
表面は光沢がありラメのようにも見え、これまた美しい。


袖を通して、私は突然心で絶叫した。

最高だっ!最高だっ!!最高だぁぁぁぁぁぁっ!!」

何だかよくわからないけど、最高だった。
興奮する気持ちを抑えきれず、店員さんにも「最高ですぅぅ」と漏らしていた。
黒とネイビーがあり、両方着て見たが、私も店員さんも、私にはネイビーの方が似合うという意見で一致した。

その日は興奮しながら帰宅した。


私が感激したコートはこちら。ルックの画像よりお借りしました。

数日後、銀座のドーバーストリートマーケットにも行って見た。世界観をさらに感じようと思ったから。そして、もしあのコートを購入するなら、とにかくコート100着試着を終わらせてから、購入したいと思ったから。
その時点で試着は55着目くらいだった。

ドーバーでもいくつかの他のコートを試着し、前回のコムデギャルソンコムデギャルソン(コムコムと呼ぶらしい)のエステルコートとも再びご対面。

やっぱり最高だった。
生地も丈夫そうで、子連れお出かけのリュックでも大丈夫そう。
毛玉の心配もない。
東京の冬なら十分越せそうだった。
一見シンプルで真面目に見えるデザインんだが、裾が立体的に膨らんでおり、面白い形。私は一見シンプルだけど、遊び心あふれる物が大好きだ。


ああ、やっぱりこのコートだ…と思いながら、その後三越やバーニーズニューヨークで試着の鬼と化し、その日のうちにコート試着100を達成した。
他のコートを試着している間も、コムコムのコートが頭によぎった。

自宅で自問自答を繰り返す。
あのコートは私にとって何だったのか。私は何をそんなに最高と感じているのか。

試着した瞬間の自分の気持ち、感覚を振り返る。

メンズライクでもレディライクでもない、男でも女でもない、「ただの私」がそこにいたような感覚。好奇心旺盛で少年のように目をキラキラさせて嬉しそうにしている「私」が鏡に映っていた。私が「私」を見つけた瞬間だったのかもしれない。

私はずっと、私でない「誰か」のふりをして生きてきた。
ずっと自分自身に嘘をついて、苦しい時も、悲しい時も、怖くてたまらない時も、笑顔という仮面をかぶって、平気なふりをして生きてきた。いつしか何が平気で、何がダメかわからなくなっていた。「自分」が消えていた。
私は「私」に戻りたかったんだ。私は「私」になりたかったんだ。
ずっと仮面をかぶって生きてきた私が、自分自身に回帰できるコート。

私はこのコートを着て「私」を取り戻そう。
「〜ライク」ではない私自身に回帰できる、「ただの私」になれる服、見つけた。
ずっと自分で自分を縛ってきた。このコートを着て、自分自身を解放しよう。
自分自身を取り戻そう。
「自由」になりたい。私を縛る自分自身の縛りから。
「自由」になろう!

自問自答しながらそんなことを考えた。



そして図書館で片っ端からコムデギャルソンについての本や雑誌を借りて読んだ。
社会に左右されない自立した女性像をイメージされているらしい。
グッとくる。

たくさんの言葉が胸を打つ。

コムデギャルソンの服はやや普通ではないと思います。それを堂々と何も気にせずに着るという事自体が、自由であると思います。そういう意味で着た人は、すでに十分自由になっているのだと思います。その服を選んだ時点で、もうすでにその方は自由なのです

川久保さん

刺さる刺さりまくる…!
くぅ…!
さらに

常にあなたを他の誰かのようにしようとする世の中で、
他の誰でもない自分でいること、
それは人間にとって最も過酷な戦いに挑むことを意味する。
戦いを諦めてはならない

六本木ミッドタウンの新店舗工事中の壁に書かれた川久保さんのメッセージ。
アメリカの詩人E、E、カミングを引用。


あー、すごい。刺さる。
うんうんうん。うんうんうん!!!
もうこのコートなんだ!買いたい!これだ!これなんだ!

過去のショーの動画も見た。
なんだか、すごく「」を感じた。
人類の愚かさ、汚さ、悲しさ、全て分かった上で、この世界を慈しんでいるかのような、大きな愛を、コムデギャルソンのショーから、私は感じた。

私の「なりたい人物像」が、はっきり浮かび上がってきた。
私は、社会に左右されないで、自分の大切な物を見失わない人でいたい。
そのためには自分を信じる力「自信」が必要だ。
私にとってまだまだこの世界は「怖い」。でもいつの日か、大きな愛で慈しめるような人になりたい。様々な面を分かった上で、それでも「この世界は美しい」と慈しめる人になりたい。まずは大切な家族を、そしていつか、社会を、世界を…。コンセプトの前半部分が見えてきたような気がした。



この時点で、あと数回試着をしたら、買おう…!と心に決めた。
しかしこの後、衝撃の展開に…!


             ☆☆☆


そして、3度目の試着。
あれ?あんまり似合ってない…?
あんなにも私をときめかせた、あのコートが、なぜか似合わなく感じる。
違和感がある。しっくりこない。
なんで?!
ヘアセットがちょっと失敗したから?インナーが違うから?化粧が変?なぜなぜ?
混乱した。
下に着る服も上下セットで着させてもらい、さらにコートを羽織らせてもらう。
全身コムデギャルソン!これならどうだっ!
うん。なんか違う。。」

あれーーーー。あんなに買う気でいたのに。ときめいていたのに。最高だったのに。なんで!?
あのときめきはどこへ?!

どうしても、あのときめきを思い出したくて、感じたくて、このコートを買いたくて、その後何度も何度も試着に通った。

ヘアスタイルが整えば、またときめくかも?!と思い、美容室まで行ってみた。
青山のコムデギャルソンで雰囲気を感じながら試着すれば、トキメキが帰ってくるかも?!と思い青山まで行った。
もしかしてシワ加工が一点一点違うから?!と思い、初めに試着した池袋西武にも行った。
口紅を変えたらどうだ?!と血迷って、新しいリップも買った。

でもどうしても、「これだっ!」「最高だっ!」という感覚は、帰って来なかった。
今でも、未練たらたらで、近くを通るたびに試着する。
でもあのときめきは、もう帰って来ない。

あのコートによる大きな興奮と感動とトキメキは、私をすっかりその気にさせておいて、あっさり去っていってしまったのだ。
私はあのコートに振られたのだ。

もう、あのコートは諦めることにした。



コムコムのあのコートは、たくさんのことを私に、気づかせてくれた。
私のなりたい人物像を浮かび上がらせてくれた。
あのコートに出会えて、ずっと迷走していたコンセプト作りが大きく進歩した。
社会に左右されず自分を信じ、この世界を慈しむ〇〇。
そんな人に憧れる。そんな人になりたい。
そして、〇〇の部分も、今私の心の中に密かに生まれつつある。
もしかしたら、今回のコートは、出会ってから数週間の間に自問自答をする中で私の中で生まれつつある、その〇〇の部分に合わなくなっていたのかもしれない。


いつか、コムデギャルソンの何かを購入したいと思う。
あの時感じた気持ちを忘れないように。
新作が出る度に見に行こう。ずっとファンでいたい、もっとこのブランドのことを知りたい、と思う。

そして、新たな素敵なコートに出会うために、これからも試着旅を続けていこう。



結局買わないことにしましたが、たくさん色々なことを考え感じ、気付いたりしたので、この経験を記しておきたいと思いました。



皆さんは、一度はときめいたのに、後日試着してトキメキが消えていた事ってありますか?そしてその理由は何だと思いますか?
よかったらぜひ教えてください!

運命の1着を見つけるって、難しいですね!(まるで恋人探しのようですね笑)
これからもせっせと試着していきたいと思います!
お読みくださりありがとうございました☆


なかまち

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