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穴に落ちる

暗い内容で不快に感じる方もいるかもしれません。
自分の気持ちの整理として書きました。
書いてある内容の全ての主語は「私」で、「私の場合」の話です。



久しぶりに穴に落ちていた。
こんなに大きな穴に落ちたのはどれくらいぶりだろう。
少なくてもここ2年くらいは、なかった。

カウンセリングに通ってもう四年。
カウンセリングに通う前の私は、ずっと穴にいた。そこが穴だとも知らずにひたすらもがいていた。カウンセリングに通い、穴から出られてやっと、「今までいた場所が穴だったこと」に気づいた。

カウンセリングに通い始めたきっかけは、鬱になったこと。
なぜ鬱になったのか。子育てが上手くできなかったから。
子供が3歳になった頃、私は鬱になった。それまでは妊娠中から育児書を読み漁り、この子のために頑張ろう、頑張って良いお母さんになるんだ、と思っていた。
しかし、ある時心が折れた。頑張れなくなった。
優しいお母さんでいられない自分が、イライラしてしまう自分が、頑張れない自分が、許せなかった。大切な子を苦しめてしまう自分を、心の底から憎んだ。
笑い方もわからなくなり、通院していた病院から今のカウンセリングの先生を紹介してもらった。

それから四年。
だいぶ元気になった。子どもと一緒に穏やかな時間を過ごしている。
特に自問自答ファッションに出会ってからのここ1年半は平和に過ごせていた。
一度も穴に落ちなかったと思う。
自分について真剣に考え、自分のためにファッションアイテムを買う。
自分はどんなものが好きなのかな?自分はどうしたら素敵になるのかな?
考える時間は、自分を愛し慈しむ時間だった。
買った物が、結局着れなかったり、舞い上がって余計なものを買ってしまったりしても、自分を責めずに経験できた事に焦点を当て「どんまい!」と励ますことも出来るようになった。自分の良い所もダメなところも、それを含めて今の自分として「仕方ない。これが今の自分。そんな自分を愛してる。そんな自分と歩いていこう」と思えていた。

しかし最近祖母の体調不良から、「現実」について考える時間が増えた。
自分のこれからや老後、子供の将来、学校のことなど。
お金の本や子供の学校について本を読み始めた。
そろそろ自分も元気になって来たし、私も頑張ってもっと良いお母さんになりたい。本を読んで勉強しようと前向きな気持ちが湧いた。
そんな中、子育てコーチング系の本の紹介を見て、軽い気持ちで図書館で借りて読んだ。
そこには、数々の親への禁止事項が書かれていた。そんな言い方はやめましょう。今すぐやめてください。子供をダメにします。と。
そこに書かれていたことは、誰でもつい言ってしまうような些細なことだった。
私も何度も言ってしまっていた。
私の言動が、この子をダメにしてしまう…。
どうしようどうしよう。大きな不安が急激に膨らみ始めた。
そんな中、学校から子のトラブルについての電話があった。
子に話を聞いても「言えない」と口を閉ざされた。
言えない?言ったら私に見捨てられるとでも思っているのか?私は子供から見てそんな信用の出来ない親なのか?私がこんなにもこの子を愛していることが伝わっていなかったのか?それとも失敗をすると嫌われる、がっかりされると思っているのか?大切なことを話してもらえない親なんて、存在する意味はあるのだろうか。
いつもは「言えない時もあるよね」と受け止められるのに、この時は違った。本を読んだことで不安が膨らんだ状態の私は、目の前が真っ暗になった。
気づいたら、先ほど本で読んだ「子供をダメにする言葉」を口にしている自分がいた。

私がいるだけでこの子はダメになる。全部全部私のせいだ。私さえいなければ、こんな事にならなかったのだ。私のせいだ。こんな自分は存在してはいけない。いるだけで害だ。

私は家を出た。在宅勤務の夫が家にいたことが幸いだった。
生きるべきか死ぬべきか。考えながらひたすら歩いていた。
こんな気持ちになるのは久しぶりだった。
こんな時、どうすればいいんだっけ?

カウンセリングに通い始めて、始めの数年は頻繁に穴に落ちた。その度に絶望して苦しみもがいた。カウンセリングの先生は「そういう気持ちになってしまうのは仕方ないですよ。」といつも受け止めてくれた。なぜそういう思考になってしまうのか、私の生い立ちと照らし合わせ説明してくれた。
元気になっては穴に落ちて、元気になっては穴に落ちるを繰り返した。
穴に落ちるたびに自責した。カウンセリングの先生は言った。「そういう時はまたやっちまった〜!て思えばいいんですよ」と。そうか、いちいち自責しなくていいのか。そんなふうに「やっちまった〜」と思えば済む事なのか。
そんなことをぼんやり思い出していた。

数時間後帰宅すると、子どもが明るく迎えてくれた。「ママ、遅かったね」と。
屈託のない子どもの笑顔を見て、罪悪感と自責の念が溢れる。
子供を愛する気持ちが大きければ大きいほど、こんな自分が憎くて憎くてたまらない。夜、ひとしきり1人で泣いた。

翌日も気分は最悪で久しぶりの穴落ちに、焦っていた。
自分が行きたい場所や食べたいものを食べに出かければ、気分も晴れるのかな?なんとか穴を出なければ…。子供に心配させてしまう時間を少しでも短くしなくては。何とかしなければ…。


いや・・・、違う。私は思い出した。穴に落ちた時は、そこにいるしかないのだ。出ようと焦り、もがけばもがくほど穴は深くなる。
今は、ここにいるしかない。今は、こんな自分なんだ。と諦めること、仕方ないと思うこと。そうだ。そうだった。
出かけるのをやめて、ぼーっと寝っ転がりながら、そんな自分をただ見つめた。
「今の自分はこうなんだな…今私はここにいるんだな…その事実はどうすることもできない…」

子供が学校から帰宅し、夫が買って来てくれたケーキを一緒に食べた。
全ての家事を放棄し、ベッドで寝て過ごした。
最悪だった気持ちも夜には少しずつほぐれて来た。
娘と一緒にお風呂に入り、柔らかな時間を感じた。


カウンセリングの先生が以前言ってくれた言葉を思い出す。
「何にも頑張らないで、安心して過ごすこと。それだけでいい」と。
ついつい、そろそろいいかな?と思って、また頑張ってしまった。
私は子育てを頑張るとダメなんだ。そう、子育てを…。


では・・・、子育て以外のことに関してはどうだろう。
実は私は自問自答ファッションを始めてから、かなり頑張っていたと思う。
最高のバック探し、最高のコート探し、たくさんの試着。一生懸命頑張って考えて、頑張って行動した。ファッションの本も何冊も読んだ。その間は、なぜか穴に落ちなかった。それはなぜか。

きっと私は、「自分のために」なら自責せずに頑張れるようになったのだ。自分が失敗することは、今はそんなに怖くない。自分の失敗が自分に返ってくることならば、へっちゃらでいられるようになった。それは、カウンセリングと自問自答ファッションを取り組んだことから得た賜物のように思う。
私の「穴落ち」とは、「頑張り」と「自責」がセットの時に発生するのだ。頑張っても自責さえしなければ、穴に落ちることはない。だから私は自問自答ファッションでは、穴落ちせずに済んでいたのだ。(自問自答ファッションには自責予防の土井先生という神がいることも大きなポイントですね…)

今の私が頑張っていいことは、「失敗を自分で許せること」にのみだ。それならば「頑張り」は発生しても「自責」は発生しない。
子育てを頑張ろうとすると、どうしても自責が自然に生じてしまう。大切な大切な子供だからこそ、失敗する自分をどうしても許せないのだ。だから、自責を発生させないためには、そもそも子育てにおいては「頑張り」をしないことが私にとっての最善なのだ。
ついつい子育て本などを読んでしまうと、頑張ろうとしてしまう。「ちょっと読んでみよう」などと軽い気持ちで始めても、気づかないうちにのめり込んで、気がついた時には自責が重なり、今回のように穴に落ちているのだから、子育て本には手を出さないことが今の私にとっては賢明な選択なのだ。「子供をダメにする」なんて表現は、頑張っている母親へのまるで脅しのように私には聞こえる。少なくても私には向いていなかった。


今回の穴落ちで、そんな事を考えた。

今の私はまだ、子育てを頑張れる時じゃないのだ。
決して頑張らずに、安心して一緒に過ごすこと。
それが、今の私に出来る精一杯の最善で最良で最高の子育てなのだ。
それが今の私の現在地なのだ。


・・・
久しぶりに穴に落ちたけど、なんとか出てこられた。
そして自分の現在地を知ることができた。


穴落ち脱出のポイントは、無理に穴から出ようとしないことだった。無理に穴から出ようとすることは、「さらに焦り頑張ること」なんだろう…。
次に穴落ちした時のためにメモしておこう。
子育てを頑張る→できない自分を責めるorもっと頑張れと責める→穴に落ちる→穴から出ようとしないでただそこにいる→ゆっくり浮上できる。
こんな感じだと思う。穴落ちしてる最中は、メモを見ても理解できないかもしれないけど。

思い出せてよかった。
あぁ…、「またやっちまった」ってことだ…。

昔のnoteです↓愛着障害のことやしんどかった気持ちなど書いています。

お読みくださりありがとうございました。

※ご心配をおかけしてしまうかなと思いましたので念のためですが、私も子も元気です☺️子育てアドバイス等は、今はご遠慮頂けましたらありがたいです🙇‍♀️




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