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大手音楽教室の講師をしていた頃の挫折体験

岐阜県下呂市きたはら音楽教室の代表で、
Beauty Japan 岐阜の初代ファイナリストの北原かおりです。


2024年私の挑戦は、Beauty Japan岐阜です!グランプリを獲って日本大会に行くことを目指しています!

私は今でも自宅でピアノ教室をしているので、好きなことを仕事にしてずっと順風満帆な人生だったかと思われがちですが、大手音楽教室のシステム講師をしていた頃(20代のころ)は自分が嫌いでした。

私は、
小学校の卒業文集でピアノの先生になる!!と書くくらいもう音楽の道に行くことを決めていました。
でも、それは、ピアノの先生、学校の音楽の先生、音楽教室の先生・・・とにかく音楽で生きていくということを心に決めて進んでいました。

でも、就職が目の前に差し迫ったとき、「私、この先どうしよう・・・」と思った時、その時副科でエレクトーンを習っていた先生に「大手音楽教室の採用試験受けてみたら?」と勧められ、その短期間で採用試験に必要な実技や筆記の試験の勉強をしてたまたま合格しました。
自分なりには頑張ったけど、もうこれは運が良かったの一言に尽きます。


というのも、採用が決まって、講師になるまでと講師になってからずっと研修続きだったのですが、私はグループレッスンの模擬レッスンでもすごく緊張して全然うまくレッスンができず、周りを見渡せば同期は皆とても優秀、笑顔で模擬レッスンもすんなり上手くやっていました。

同期の優秀なところを見て、私って本当にだめだ、運よく採用はされたけど、このままでは講師としてやっていけないかもしれない、と何度も不安に押しつぶされそうになりながらも、もがいてなんとか同期に必死についていきました。


配属先は高山の楽器店になりました。
2人でその楽器店に配属になったのですが、同期の子は、ずっと大手音楽教室の講師になりたくてその大手音楽教室が運営する専門学校を出ていただけあって、演奏技術、先生としてのスキルを両方を持ち合わせた、とても優秀な同期でした。

かたや私は、運よくそこまで思い入れもなく、先生なら何でもよかったくらいの気持ちで大手音楽教室に入ったため、モチベーションから全く違っていましたし、スタートから私はいつも優秀な同期と比較されできない自分をいつも責めていました。

同期は1年目から生徒が賞をもらっていたし、研修でもよくできて、指導スタッフからはいつも賞賛されていました。同期の中でもひと際輝いて見えて自信を持って教えている。
私は褒めてもらった記憶は全くありません・・・

たくさんの研修+仕事、持ち帰りの仕事(楽譜のアレンジや、エレクトーンのデータづくりなど)、休みもずっと作業や受け持ったコースの伴奏の練習、全てのコースの指導案作りなどに追われ、とても忙しい毎日でした。

忙しすぎて自分を見失うことも多々あり、できない自分に落ち込み、辛い気持ちで過ごしていましたが、中部地区の同期も忙しさからか、数年で半分ほどに減っていました。

私も過労で入院したり何度も辞めようと思いましたが、もう少し頑張って成長したいと思う気持ちもあり、7年間続けました。
後半には、生徒も大会で賞を獲ったり、自分なりに教えることの素晴らしさや楽しさを見出していました。

大手音楽教室講師は辞めましたが、私がずっとピアノ教室は続けているのはやはり、教えることが好き!ピアノが好き!子供と接するのがすき!という気持ちがあるからです。

挫折はしたけど、その中で苦しんだ分少しは成長したのかなと思います。

BJの挑戦も今かなり行き詰まっていますが、自分なりに一歩づつ進んでなんとしてでもグランプリになって日本大会に行きたいです!!


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