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欲望 -desire- 後編


  グリードル 根源の者編

 私の幼馴染みは夢を叶えた男の子。今もずっとファンの為に寝る間も惜しんでブログを更新したり、ファンサービスと言ってイベントの時には必ず一人一人と目を合わせて握手をしたり、会話をしたりと人との付き合い方が丁寧で優しい人。私もずっと彼を応援してきて誇らしく思っている。例え私のしている応援が他の人から見ればどんなに歪んだものだとしても、私は彼の夢さえ応援できれば他がどうなろうと構わない。
「柳路くんは、稀少な【クリア】の性質を持った人だもの。他の奴になんか絶対に彼を汚させない。私が護るのだから」
 私にはそれだけの力がある。幼い頃はこれが何なのか分からなかったけれど、病弱な祖父は言った。これは、神様が私だけに与えてくれた誰かを護る力なのだ、と。
 人の頭から天へ向かってゆらゆらと光る細い糸が立ち上っている様が、私には見える。見えるだけじゃない、それを切る事だってできる。切った人間はまるで糸が切れた人間のように息絶えるけれど、私は怖くない。だってこの力と祖父が残してくれた【グリードル】が居れば私の目的は達成されたも同然よ。
「さて、柳路くんの次のスケジュールは、今までの流れなら新曲発表かな。あれ?」
 ネットを調べていた私は、予想外のことが書かれていた記事を見つけて思わず画面を二度見した。
 そこには、今までとは違う。この時期にファン限定イベントを開催するという内容が書かれていた。
 ツアーやコンサートを終えたばかりなのに、すぐ休息期間も挟まずにファンと触れ合う為のイベントをするなんて、全くの予想外だった。
「急にどうして。柳路くん、無理していないといいけど。とにかく現状確認。ブログを読んで、もしかしたらあの相方だけのイベントかもしれないし」
 すぐさま私はお気に入りに登録している柳路くんのブログへアクセスした。
 やはり彼も今回のイベントについて更新したばかりだった。
『ファンの皆さん。急にこんな告知をしてすみません。今回のファンイベントは僕と相方で決めました。日頃の感謝の気持ちを少しでも返せるように頑張りますので是非会いに来てください。お待ちしています』
 読んだ限りで不審な点は見つからなかったし、柳路くんも出るみたい。それなら私が申し込まない理由はない。久しぶりに彼と間近で会えるチャンスだもの。
 私は喜んでイベントに申し込んだ。
「どうか当選しますように」
 この時の私は呑気にもそんなことを言っていた。後からもう少し慎重に動くべきだったと後悔するとも知らずに。

 イベント当日、私は少し早めに集合場所である会場のすぐ近くにある広場へやってきた。
「少し早く着いちゃったかな。まあ遅刻するよりイイよね」
 走って来たから乱れた髪を整える為、手にした鞄から手鏡を取り出して簡単にセットを直す。
 ファンである私がきちんとした格好で参加しないと、応援している柳路くんに恥をかかせることになるのだから、おしゃれにも自然と気合が入るというもの。
「うん、今日もバッチリだよ、夕刺」
 手鏡に映る自分へ向けてエールを送る。一種の自己暗示のようなものだ。
 どんなに可愛く、美しくキメた女の子でも心のどこかでまだ完璧ではないのでは、やっぱりあっちの服にすれば良かったかもしれない、と疑心暗鬼に陥ることが多々ある。そんな時、私は自分に向けてこうしてエールを送る。第三者から見たら不審者に思われるかもしれないけれど、私にとってはこれが大切な儀式のようなものだから黙って欲しい。
「私と同じく早めに来てる子も居るみたい。やっぱり楽しみだよね、こういうイベントって」
 ただじっと待ってるのも暇だし、少しこの広場を歩き回ってみようかな。天気がいいから日陰に入っておこう。
 ちょうど良い木陰を見つけて、時間が来るまで待っていようとした時だ。
 私が居る反対側の位置に女子が二人、おそらく同じイベントの参加者だろうか。話し声が聞こえてしまった。
「なんか絲様の相方の子って、いかにも媚び売っててウザいよね」
「そうそう。歌は上手いと思うけどさ。顔は絲様に及ばないし、なんつぅか引き立て役?」
「あははは! キッツぅ〜でも当たってるかも」
 こういう話は今までにも何度か聞いてきた。柳路くんは昔から腰が低くて、優しく接しているだけなのに一部のファンからはそれが媚びているように見えてしまい、陰でこんな酷い評価を受けることが多々あった。そして、その度に私の中でドス黒いヘドロのような感情が渦を巻いた。
 そろりと鞄の中に手を伸ばし、目的の物を手探りで見つけて握りしめる。
 私が鞄から手を出そうとする前に、誰かが私の手首を強く握りしめて留めた。
「なっ……だ、誰」
「シッ。このまま、少し場所を移動しましょう」
 いつの間にか隣に立っていた大人の女性は、私を険しい表情で見つめた後にこの場から離れるように誘導する。
「ちょ、私は彼女たちに話が」
 焦った様子の私を宥めつつ、女性が連れて来たのは離れた場所にあった自販機の前だった。
 掴んでいた私の手首を離した彼女は、自販機でアイスミルクティーを買って私に手渡してきた。
「はい。これ飲んで、少し落ち着きなさい」
「私はいつでも落ち着いているわ」
 邪魔された事が気に食わなくて拗ねた子どものように女性を睨む。
 対する相手はそんな態度など気にした様子もなく、器用に片手でブラックコーヒーを選んで買っていた。
「いいえ、怒りに任せた人は皆そう言うの。だから冷たい飲み物を取り込んで冷静になって、正しい判断ができる状態に持っていく必要があるの」
 落ち着いた女性の口調に、私は少しずつ感情が冷めていくのを感じながら未だに手渡された状態にあるミルクティーをようやく受け取った。
 女性は満足そうに笑ってコーヒーを一口飲み、ベンチへ腰掛けた。
「ああいう子はね、放っておくに限るの」
「どうして?」
「減らないし何を言っても聞く耳を持たないからよ。彼自身だって自分の魅力に気付いてくれた子を特に大事にしたいと思っているわ」
 私の疑問に、女性は間髪入れずに答えてくれた。そしてまた一口、今度はさっきよりも多めの量のコーヒーを口に含んで飲み込んだ。
 まるで、溜まった嫌なことを全てコーヒーと一緒に飲み込むかのような勢いだった。
「でも何とも思わないの?」
「もちろん、腹は立つわ。でも、そういう時はコーヒーを飲んで胃の中に流し込むの」
「胃の中に」
 私は手に持ったままのミルクティーを開けて、同じように少し多めの量を口の中に入れて飲み込んだ。
 多少は苦しくなったけど、でもさっきまでの感情が薄らいだように思えた。
「完全にはなくならないけど、気休めにはなったでしょ」
「ええ、少しは」
「それは良かった。そうやって少しずつでも自分の感情と向き合う練習をしていきなさい」
 その時に見せた女性の優しく微笑む顔を、私はただじっと見つめることしかできなかった。
 女の勘というやつだろうか。彼女の笑顔が微かな寂しさを含んでいるように見えてしまったからだ。

 彼女のお陰で私はイベント前に、手を汚すことなく清々しい気持ちのままで参加することができた。
 イベントが始まり、まずはこうした時の定番であるトークショーからスタートする。
 前回のツアーやコンサートの裏話やこれからのスケジュールの予定も少し話してくれて、更には今回だけの特別映像も見せてもらい、会場内は賑やかな歓声に包まれた。
 一度トイレ休憩ということで、席を立つファンの子達がいて、私もずっと座っていたから少し動こうと外へ出た。それが間違いだった。
 私が廊下に出ると、今回のスペシャルゲストで呼ばれた柳路くん達の事務所のお偉いさんとすれ違った。
「絲にも困ったものだ。急にこんな企画を立ておって。樋芽も何故止めん! 若いだけが取り柄の小僧が、まったく役立たずめ!」
 怒りを露わにしたまま、ずんずんと足音を立てて歩いて行くそれを私は黙って見送った。
 一度は落ち着いた筈の感情が、先ほどよりも勢いよく胸の中で激しく渦を巻いて、ドス黒いヘドロを溢れさせているような感覚だ。
「――っ、あ……あい、つ。あの、汚らわしい、化け物が、私の柳路くんを、貶した。許さない、許してあげるものですか!」
 私は鞄の中に手を突っ込み、男性を追いかけた。ちょうど曲がり角で立ち止まってネクタイを直していた男性の頭に見える細い糸目掛けて手にした糸切り鋏で容赦なく切ってやった。
 次の瞬間、男性は断末魔も上げることなく文字通り糸が切れた人形のようにその場に倒れ伏して動かなくなった。
「はあ、はあ……地獄で改心すればいいわ」
 ドス黒いヘドロはまだ治っていないけど、根元が消えたことでいずれ落ち着いてくる筈、いつもそうだから。
「あーぁ、せっかく気分良く参加できていたのに、台無しよ」
 柳路くんの関係者だけど、あんな酷いことを言う奴が近くに居たらせっかくの【クリア】の性質が汚れそうだもの。
「しょうがないわよね」
「嘆かわしい。人を一人消しておいてその感想は神経を疑う」
「えっ……あ、貴方は」
 誰も居ないと思っていた場所に、柳路くんの相方が現れた。
 正確には前方の扉を開けて出てきたのだが、今はそんなことどうでもいい。
 よりにもよって柳路くんと近しい関係にある人物に今の力を見られてしまったことが、大問題だ。
 私は震える手で糸切り鋏を鞄に片付けようとしたが、手を滑らせてしまい床に落としてしまった。
「おっと動かないでくれよ。もうそちらの正体はバレてるのだから。グリードルの生みの親、噤 康一(つぐみ こういいち)の孫娘、噤 夕刺(ゆうし)」
「なっ……どうして祖父の名前まで。貴方いったい何者?」
 祖父と目の前の彼は歳が離れ過ぎているように見える。にも関わらず、名前を知っていたということはただの知り合いの関係ではないはず。
「僕と、ではなく僕たちと君の祖父は非協力関係にある。彼はその優秀な頭脳を間違った方面に使った。君も含めて報いを受けて貰わなくてはならない」
「じゃあ貴方【プレイア】ね!」
 私は敵意を含んで目の前の男性を睨み、一歩後退りをする。
 祖父から聞いたことがある。私たち【グリードル】を生み出す者に反抗する組織に属している人たち、それを【プレイア】と呼ぶみたいだ。まさか柳路くんの相方がその組織の人間とは予想もしなかったけれど、ここで捕まるわけにはいかない。
 私が逃走するより先に、再び彼の後ろにある扉がゆっくりと開いた。
「柳路くん……」
 扉を開けて現れたのは、一番見られたくなかった幼馴染み本人だった。
 彼は目の前にある状況を必死に受け入れようとするかのように酷くゆっくりな動きで顔をまず倒れている男性へ向け次に相方の彼を、そして最後に私へ向けられた時にはその顔は完全に蒼褪めていた。
 無理もないか。だって自分の幼馴染みが人の命を奪ったのだから、それも自分の関係者に手を出したとなれば、その落ち込みも大きくなる。
「ゆうちゃん、どうして社長をこんな、だって君はずっと俺の幼馴染みで、俺の一番の理解者だったじゃないか。俺の夢を応援するって言っていた君が、どうして……!」
 まだ頭を整理できていないからか、柳路くんの発する言葉はどれもありきたりで、私の心にはあの時のように響くことはなかった。
 彼は【クリア】無欲な者なのに、他人の生死にこんなにも乱される人なのね。
「黙ってないで教えてよ、ゆうちゃん!」
 考え事をしていて返答をしない私に気持ちが荒ぶった柳路くんは、冷静な判断ができないみたい。もっと素直に生きれば、【クリア】の性質で楽に生きられるのに、可哀相な柳路くん。さっき彼が突然現れた時は私も驚いたけれど、今は感情も気持ちも落ち着いている。
「この人、柳路くんを私の目の前で貶したのよ。許せるわけがないでしょ。今日来た時だってそう。その男の熱狂的なファンが愚かにも柳路くんの努力を嘲笑っていたから本当はこいつと同じようにしてやるつもりだったけど女の人に邪魔されたから見逃してあげたの」
「女の人……?」
不思議そうな表情を浮かべた柳路くんの隣で【プレイア】の相方がとぼけたように顎に手を添えて答えていた。
「あぁ、それはおそらく神城だ。一応余計な動きをされたら困るから見張っておくよう頼んでいた。どうやら無駄ではなかったようだ」
「ちょっと、仲間にそんな危険なこと頼んで、もし神城さんに何かあったら」
「あいつは丈夫だし何かあった時の対処もしっかりできるから心配ない」
怒っている柳路くんをさらりと受け流す相方さんは慣れているように見えるけれど、私の存在を忘れているみたいね。今のうちに逃げられるかも。
「絃さん、樋芽くんも、二人してせっかくのチャンスを棒に振る気でしょうか」
聞き覚えのある女性の声と共に私の手は前回と同じように掴まれていた。
 鶴の一声とでも言うべきか、会話をしていた二人の意識が再びこちらへ向けられた。
「これは恥ずかしい失態をした。感謝する神城」
「周りに人の目が一応ありますから素直ですね、絃さん。それよりゆうちゃんの件、どうするつもりですか、神城さん」
「被害者が社長一名だからね。これは然るべき処置をした後に相応の償いをしてもらうことになるわ。噤 夕刺さんご同行をお願いしますね」
私の手を掴んでいたのは、勿論あの時の女性で、どうも私を警察かどこかへ連行するつもりみたいだけど、そうはいかない。その為にいつでも【グリードル】の種を持ち歩いているのだから。
「行くわけないでしょ。正体がバレたのならやる事は一つしかない」
 柳路くんに知られた以上、私たちはもう以前のような関係には戻れない。だったらもう壊すしかない。壊して破いて引き千切り、全てをなかったことにすれば私は傷付かずに済む。 
私は空いている手で首から下げていたペンダントを握りしめ、決められた言葉を唱える。
『我が欲を贄とし、我が感情を養分とし、叫び産まれ落ちよ。ディザイア―』
「いかんっ、神城そいつから離れろぉ!」
「はっ」
『逃がさない』
私は黒い泥に包まれ始めた手で、今度は逆に離れようとした彼女の腕を掴んでやった。
 今の手の温度は水が容易に沸騰するくらい熱くなっている筈、生身の彼女は当然苦痛で顔が歪んでいると思う。でも、【グリードル化】が始まっている私の視界はペンキをぶち巻かれたようにピンクや黄色、水色の絵の具で覆われてその表情は一切見えない。ほら、もうじき頭巾を被せられて声すら聞こえなくなる。
『皆、私と一緒に消えればいいのよ。消えてなくなれば何の罪も残らないのだから』
「何を甘いこと言っているの。貴女自身が消えても貴女の罪は残り続ける。私たち【プレイア】は【グリードル】が犯した罪を決して見逃しはしないし、赦しもしないわ。被害に遭った遺族の為にも、私たちは諦めない!」
『えぇっ?』
 残された聴覚と触覚で感じ取る。彼女は沸騰しそうな程熱い私の体に自ら手を突っ込んできて、更には絶対に離さないとするように鷲掴みにしてきた。
『な。なんなの、アナタっ、頭大丈夫? 今私の体はマグマに近い温度の筈なのに、正気じゃないわ。イカレてるでしょ!』
 私はとんでもない行動をやってのけるこの目の前の女性に恐怖を覚え、思いつく限りの罵声を浴びせた。
 しかし彼女は一切力を緩めることも、ましてや私の言葉に怯む様子もなかった。
「私はね、貴女に怒っているのよ。最後まで貴女の無実を信じて庇っていた樋芽くんの想いを知らずとはいえ裏切り、更には貴女自身が大切にしていた彼を巻き込んで自分勝手に消えて失くそうとするその腐り切った性根にねぇ!」
 何この女、本当に人間。こんな人間、知らない。【プレイア】ってみんなこんな、狂っている奴ばかりなの。
 私が混乱している間も【グリードル化】は進行していく。遂に頭巾が視界を完全に覆った。
「絃さん、一般人の避難を。ここは私が食い止めます」
「ああ、無茶だけはするな。樋芽、君は僕と一緒に、おいっ」
 聴覚だけが残った私の世界に、振動が伝わって来た。そのすぐ後に、はっきりと声が聞こえた。
「ゆうちゃん、お願いだ。このままだと神城さんもここにいるスタッフやファンの子たちが危険だ。すぐに元のゆうちゃんに戻ってよ、ゆうちゃんは僕のファンだろう」
柳路くんだ。てっきりあの女かと思ったけど、これは確かによく知っている柳路くんの声だ。

願望 -desire-
クリア 無欲な者編
 私にはかつて、大切な弟がいた。顔は似ていないけど、性格は樋芽くんのように真っすぐで心の優しい子だった。でも私が【クリア】だと知った【グリードル】の研究員たちが保護という名目で捕獲しようとした時、優しい弟は私を護ろうとして【グリードル化】してしまった。
 すぐ救援に駆け付けた【プレイア】の人たちによって弟は半永久的な仮死状態にされ、今も組織の地下室に保管されている。
 私と弟を襲った【グリードル】の研究員たちは皆お金で雇われただけで、結局は大本に辿り着くことはできなかった。だから私は弟をあんな目に遭わせた【グリードル】とその原因を生み出した【クリア】という自身の性質を憎み嫌うようになった。
 本来なら適正がなければ入ることもできない【プレイア】の組織へ条件付きで強引に入り、いつか必ず大本を引きずり出して弟をあんな姿にした贖いをさせる為だけに今まで耐え続けて生きてきた。
 だから本当は彼女を目にした時、否が応でも弟の眼前に引きずってでも連行していくつもりだった。でも私の脳裏に幼馴染みを必死に庇って信じ続ける樋芽くんの顔が浮かんで、賭けてみようと思ってしまった。その結果社長を犠牲にしてしまったのだから、これは私の責任だ。【プレイア】の組織を抜けるのも仕方ないことと受け入れるつもりだが、ならば最後に彼女だけは絶対に、————救ってみせる。
これは私の【クリア】としての願いだから。
決心した矢先に樋芽くんがこちらに突進してきたのには驚いたけれど、これは逆に好機かもしれない。
「樋芽くん、策も無く闇雲に突き進むのは早死にするわよ」
「あ、すみません。でも、俺やっぱり」
「いいわ。時間がないからはい、これ被って直接彼女を説得してきて」
 私が彼女の体内から引きずり出した頭巾を樋芽くんに手渡せば、彼は躊躇しながらも受け取り頭に被った。
 本当に素直ないい子で助かる。
「被りました。それでこの後は」
「意識を頭巾に集中させるだけでいいわ。何も心配しないで。貴方は彼女を救う事だけ考えなさい。いつも通り私と彼がここに集まった全員を護るから」
 これは【クリア】である私の役目だ。【プレイア】の人たちの調査によれば、【クリア】の能力で【グリードル化】を抑制できるらしい。だから【グリードル】の性質を持つ弟がずっとあの瞬間まで暴れずにいたし、彼女も一度は暴走を抑えることができた。
「樋芽くん、いってらっしゃい」
「はい。行ってきます、神城さん」
頭巾を深く被った樋芽くんが、ガクッと前のめりに倒れ込むのを片腕で支え、私は約束通り【クリア】の能力を全開にして彼女と樋芽くんの二人を【グリードル化】から護る。
「待て、神城。お前の【クリア】の能力は限りがある上に、容量も少ない。樋芽があの子を説得するまで持つはずないと」
「まだ居たのですか。そうと解っているなら、さっさと一般人を避難させて来て下さい。仕事増やしますよ」
 膨れ上がった彼女の体で反対側が見えなかったからてっきりもうここに集まった一般人たちを避難させに向かったのかと思えば、彼はいったい今まで何をしていたのか。
「別にサボってはいない。イベントの中止をファンやスタッフたちに伝えて、納得のいかないファンにお詫びとして一曲聴かせていただけさ」
「解りました。全てが片付いたあと、私と樋芽くんに一発ずつ殴らせて下さい」
「それは何故かな!」
 何故はこちらの台詞だ。どうしてこの一大事に避難を後回しにして呑気にファンサービスをしているのだろうか、この男は。頭の中花畑通り越して、春爛漫か。
「とにかく急いでください。私と樋芽くんを少しでも助けたいなら早くっ」
「任せなさい。避難が終わり次第すぐに駆け付ける」
「期待していませんから、もう行ってください」
「酷い!」
彼はどうしてこんな時まで私の頭を悩ませてくるのだろうか。デリカシーをどこかに忘れてきた人が【プレイア】の性質を持てるのなら、私も弟も少しは自身の性質を誇りに思えるだろうか。いや、どの性質だろうとこんなものは、無い方が幸せに決まっている。
「樋芽くん、貴方もそう思うでしょ」
 幸か不幸か、彼は絃さんと同じ【プレイア】の性質がある。【プレイア】の能力はその名の通り祈ること。祈り、言霊によって【グリードル】を慰め癒す者。だから彼らは歌うことでファンやスタッフの中にある【グリードル】の性質を鎮める役目を担っている。だから樋芽くんのファンの多くは皆、彼の歌声に自身の凶暴性を鎮めてもらっていると自覚している子がほとんどだ。残念ながら現段階で完全に【グリードル】となった者を戻す方法は見つかっていない。だからそうならないように防ぐしかない。守るしかない。そう彼は考えているみたいだ。
「予想より消耗が激しい。このままでは弟を元に戻す前に私の方がくたばりそうね」
 せめて自分も【プレイア】であれば、もっと時間を稼げたかもしれないのに。まさか大本の【グリードル化】がここまで強力だとは予想外だった。
普通ならとっくに抑え込めている筈だ。
「死ねない。ここで私が死んだら、彼女に【クリア】殺しの罪が加算される。それに絃さんの手綱を樋芽くんだけに押し付けるのも可哀相だし」
 よく考えたら私の負担多過ぎないかしら。これは転職を本気で考えた方が良さそう。

 暗闇の中、俺とゆうちゃんはあの頃の姿で対峙していた。
「どうして私の邪魔ばかりするの。柳路くんも相方の人も、あの女の人もそう」
「それは、少なくとも俺と神城さんはゆうちゃんを救いたいからだよ。絃さんは。あの人、悪い人ではないけど、善人でもないし」
 ごめん、絃さん。だって相方の俺でもたまに貴方の人間性を理解することができないくらいの奇行に走りますし。
「柳路くん、どうしてそんな人を相方に選んだの」
 ほらやっぱり。ゆうちゃんが俺の人間関係を心配するどころか疑っている。
 ここは正直に話した方がいいよな。
「絃さんは俺が選んだのではなく、事務所が選んだから一緒に活動して仲良くなった人なんだ。ほら俺、【プレイア】だったみたいでさ」
「えっ……うそ」
「いや本当。ちゃんと神城さんにも調べてもらったから間違いないよ」
「じゃあなに。私たち敵同士なのに、呑気に仲良く一緒に遊んでいたの。間抜けにもほどがあるじゃない。笑い話にもならないわ!」
 ゆうちゃんもそうだけど、この【プレイア】とか【クリア】とかの性質ってそこまで過敏になるほどなのかな。俺はどちらでも楽しく仲良くなれればそれでいいと思うし、何より俺とゆうちゃんは今まで誤解もあったけど仲良くできていたわけだし、うん、やっぱりそうだ。
「こんな性質、気にする方がどうかしてるんだ」
「なっ……!」
 ゆうちゃんは言葉が出ない程驚いてしまったみたいだ。でもね、俺解ったんだ。どんな性質が自分の中にあったって、俺は俺でゆうちゃんはゆうちゃんなんだ。
「だからゆうちゃん。皆に謝ろう。そして、ちゃんと罪を償ってまた俺の歌を聞きに来てよ」
「ふ、ふざけるのもいい加減にして! 【グリードル】と【クリア】ならまだしも、柳路くんは【プレイア】なのでしょ。敵と仲良くする奴がどこに居るのよ」
「いや、知らずに仲良くしてたじゃん。だったら、これからもさ」
「五月蠅い、うるさい! これ以上私の黒歴史を上塗りしないで」
両耳を塞いで、ゆうちゃん、いや夕刺は俺の言葉を拒み続けた。さすがの温厚な俺もここまで幼馴染みの女の子に否定されるのは少し、いやかなり面白くないし傷付く。
やっぱり彼女には直接ものを言った方が伝わるみたいだ。
俺は両耳を塞ぐ夕刺の手を自分のそれで退けて、真っ直ぐに目を合わせて睨むようにじっと見つめる。
「な、何よ……」
 夕刺も負けじと睨み返してくるけど、涙目になっているから迫力はない。もちろん昔から迫力なんてなかったけど。社長を手にかけた時は昔とのギャップに驚いただけだから。
「夕刺、俺は確かに君を許せない。でもそれは今の自分の罪から逃げてる君が嫌なんだ。俺は知ってるよ。君の一途なところとか、短気だけどすぐ後悔して自己嫌悪に陥りやすいところとか、あと俺に対して甘いところとか。だから、今の君が反省しないから怒っているんだよ」
 最後にニッコリ笑って夕刺を安心させてあげる。これは、昔母親が悪いことをした俺を叱った時に使っていた方法だ。小さい子ではないけど、泣き虫の夕刺を宥めるには丁度いいかもしれない。
「柳路くん、貴方……本当に頭花畑通り越して、春爛漫って感じね」
「それ、酷くない?」
 あれ、ここ夕刺が反省して俺にうっかり謝るような雰囲気じゃなかった。逆に俺罵倒されてない。夕刺は俺の事そこまで想ってくれてなかったってこと。俺ただの勘違い野郎じゃんか!
「……でも、そうね。それが柳路くんだったわ。記憶って美化されるのね。なんだか一気に気持ちが冷めてしまったから、もうどうでもいいかな」
「ゆ、ゆうちゃ~ん」
 今度は俺の方が泣きそうになって今まで通りに呼んでみると、彼女はニッと悪戯が成功した子どものように笑ってこう言った。
「嘘よ、冗談。……ありがとうね、柳路くん」
 最後に見た彼女の笑顔はまさに、憑き物が落ちたように輝いて見えた。
 俺はその眩しさに目を細めながら、ある詞が浮かんだ。
「いつか辿り着く 理想郷へ 共に」
口ずさんだ俺は無意識に彼女へ手を伸ばしていた。そして彼女は救いを求める迷い人のように俺の手を握ってくれた。
 うん、彼女はもう大丈夫だ。俺は何となく確信できた。

一週間後、再び同じイベントが更に広い会場で再開された。今回はスペシャルゲストなしで完全に絃さんと俺だけが最初から最後までファンの相手をするという内容に変更された。
その方がファンも喜ぶし、何より俺も絃さんも変に気負わなくて良くなったから前回よりも自然な対応ができる。ただ一つの心残りは、彼女の姿がないということだ。
あの後、疲労困憊の神城さんに代わって絃さんが連行していったきり会えていないし、彼女が今どうなっているのかも怖くて聞けなかった。
「しかし、本当に今の社長には文句の一つでも言いたいくらいだ。これでもかと仕事をこちらへ回して来て、まるで休むなとでも言いたいのか」
「絃さんはそのくらいが丁度いいかもしれませんね」
「なぁっ、樋芽までそんな生意気なことを言うようになったとは、僕は嘆く他ないな」
「せめてイベント終了まで我慢してください」
 同じ【プレイア】でもここまで仕事に対する姿勢が違うのだから、不思議だ。
 今の社長、神城さんは前回の件を最後に【プレイア】の組織から脱して事務所の社長になるという大出世を果たした。
 夕刺から聞いたのか、【グリードル】となった人たちを元に戻すことに成功し、弟さんが無事に帰って来たのが転職のきっかけとなったみたいだ。そしてもう一つ、喜ぶべきなのかどうか複雑ではあるけれど、神城さんの性質である【クリア】が綺麗さっぱり消失していたらしい。原因は全開状態で力を消費し続けた為だと聞いた。俺がもたもたしていたから神城さんにそれだけ負担がかかってしまった。聞いた時はもちろんとてもショックだった。
 こればかりは俺にも非があるから夕刺だけを責められない。
「樋芽さん、元気ないですね。お疲れなら僕飲み物買ってくるっすよ」
「ああ、大丈夫だから。君も休んでていいよ」
「いやいや。マネージャーが先に休むってどうなんすか。僕まだまだ元気っすよ」
「あ、うん。程々にね」
 新しく俺たちのマネージャーをしてくれているのは、神城さんの弟の竜真(たつま)くんで彼の【グリードル】の性質は消えてはいない。でも【クリア】でなくなった神城さんの傍にいるのも危険ということで、俺たちのマネージャーになってもらった。元気でよく働いてくれるから本当にいい子だ。今は二人で絃さんの手綱を握れているから俺の負担は当時の神城さんに比べたら少ない方だろう。
「絃さん」
「んー、何かな。生意気な樋芽柳路くん」
あ、これは完全に根に持ってるな。
 でも今の俺は遠慮なく話を続けられるくらいには成長した。
「ゆうちゃんに、またいつか俺の歌を聴いてもらえますかね」
「ふむ。彼女は【グリードル】だ。【プレイア】なしでは、いや止そう。さすがに品がない。そうだな、彼女は君の幼馴染みでありファンだろう。ならば必ずまた会えるさ」
 絃さんが差し入れ以外で気を遣ってくれた。これは進歩だ。
 いや、それよりも彼のその言葉が示すのは、彼女は生きているということだ。
 今もきっとどこかで自分の罪を償っているに違いない。
「俺、その時は彼女とまた一から友情を育みます」
「勝手に育めばいい。この幸せ者め。まずは目の前のファンを魅了しよう」
「はい、絃さん。ファンの皆と、いつか辿り着く理想郷へ」

 ―完―

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