見出し画像

彼の脳髄、螺鈿の箱に 【午後の小説】(2/4)

あらすじ:恋人(かれ)の脳髄を螺鈿の箱入れて、わたしは、どこか遠い惑星で独り、試練に挑もうとしている。
それは、彼の失われた肉体を再生し、彼との婚姻を彼の家族に認めてもてもらうために。わたしはその2つの目的を達成できるのか、そして、その試練とは。青春ファンタジーの短編です。


#2
もう少しすると、その女性は古風な四角い菜切り包丁を右手に、また、真白い大きな大根を左手にしていること、が視認できた。
わたしの母よりも少し若いであろうか、わたしのこの琥珀色《アンバー》の瞳や髪よりももっと黒い、カラスのような、いや、それよりももっと黒くて濡れたような黒髪、そして瞳、そんな美しい女性が立っている。
 
わたしは秋のシャーナ湖の薄い氷を踏むような気持ちで足を進めると、彼女は気取らないワンピースにやや茶けた前掛けをして仁王立ちしている、たくましさと優しさ、そしてそこはかとない色気を放ちながら。
そして、わたしは、彼女の表情が伺えるところで足を止め、彼女と対峙する。彼女の、力強く、美しい眼差しに、わたしは、ただただ圧倒されており、暫くわたしは彼女と見合ったまま、沈黙にまかせている、が、やがて、「何をしているの、早く席につきなさい。もうすぐご飯よ。」と、彼女が口を開いてきびすを返すと、わたしはいい匂いのする湯気にふわりとくるまれて、目の前に、木製の椅子とテーブル、そして、その卓上に黒いソイソースやら塩などの小瓶が並んでいる。
 
わたしが促されるまま席に着くと独特の発酵したダイズのソイスープのよい匂いがして、気づけばちんまりとしたキッチンに小さな家族のための食卓があった。
 
わたしは、彼女に促されるようにその小さな食卓につき、螺鈿の箱をかたわらに置く。
壁には、夜空の下クレーターの横をすりぬけて歩いてゆく少女の姿の絵がかけられている。
テーブルには、ほどよくボイルされたライス、大根を煮付けたソイスープ、イワシの焼き魚、そしてナスの塩ピクルスが、二人分並ぶ。
そして、目の前に、彼女が前掛けで手を拭きながら座ると、わたしは、ついにこの時が来たのだと、思った。
彼女は組んだ両手にあごを乗せたまま、いたずらっ子のような目でわたしを見ている。
 
わたしは、まんじりともせず、時々その女性を見やっては、言葉を失しているつかの間「何をしているの? 冷めちゃうじゃない。」との言葉にあわてて塩っぽいソイスープを口にし、焼き魚をつつく、あら、何だ、美味しいじゃないか、と思いながらも、わたしは、また、本題たる彼とのことを思い出し、どう切り出そうか考えあぐねていると、彼女がおもむろに口を開いた。
 
「あの子のどこがいいの?」
 
わたしはソイスープの器から離したくちを「え」の形にしたまま顔を上げ、火酒(ウォッカ)を煽ったときのように自らが火照ってくることを覚え、くるりと眼を泳がせながら、「ええ」と生返事で返す裏で、言葉を探す。
そうだ、瞳だ、わたしのこの琥珀色の瞳や髪よりももっと黒い、カラスのような、いや、それよりももっと黒くて濡れたような黒髪、そして瞳、まず、そのような考えを思い浮かべながらも、それらのことは口には出さず、彼の性格や、たぐいまれなるノア・ユル・アールス人ならではの才能や、ジュナ・ライの星官大学のサークルにおける出会いのきっかけ、などなど、もっと理解しやすい、あたりさわりのない様々な彼の表書きなどを、わたしは並べ立てる、しかし、いつしか、わたしの記憶のなかでジュナ・ライにおける彼とのたわいもない日常の切片が、サイクロン操縦席のサブモニターに投射されたかのように、わたしのなかで展開する。

#3
学内において、あのジュナ・ライの乾いた大地に無理やり製造した草地の上でわたしは寝転ぶ。
そして、ふいに熟した果実が落下する唐突さで彼はわたしのそばに腰を下ろす。
微動だにしないわたしの横で彼はかたわらの草をもて遊んでいたが、やがてその手を止め、眼を伏せたままわたしに尋ねる。

「どうだった? 指導官の面接は?」
「そうだね、だめだね。」
「まさか、ミーシャが?」
わたしは疲れたように寝返りをうって、伸びをする。
「わたしは第1級行政執行官を希望したのだけれど…。」
「それで?」
「司政官になれって。」

彼はひゅうと口笛をひとつ吹く、彼の漆黒の長髪がジュナ・ライの強い日差しを弾かせながら風になびく。

「すごいじゃあないか、ミーシャ。十期に一度の大抜擢じゃないか。」
わたしは、辟易した気持ちのまま云ってやる。
「わたしはねえ、執行官になりたいのよ。それで、『ああ、先生、わたしはユリシーズが主席ではないですか』と云ってやったの。」
「それで?」
「指導官は、『まさか、君。彼と競うつもりなのかね…』、だと。」

彼は疲れたように眼を落としてしばらくして後に返す。
「それで、どう思うんだい? ミーシャ。たとえば、ロールシャッハテストなら俺に勝てる、とでも?」
「指導官は正しいよ。」
「そう。でも、俺の基準は違う。」
「どんなのよ?」
「そうだな、やっぱり、あれだ…。」
「『俺より早いやつにしか、興味がない』、と?」
「それだ。」
わたしは、寝返りを打って、彼の膝に頭を乗っけて、彼を仰ぎ見た。
「指導官のいうところの有望なる星官候補生がサイクロンレーサーになれと?」
「いや、だから、そういうことではなくて…」
「なんになれと?」
「それは…その、なんて云うか」
彼は黒い瞳をくるくると回し、やがて、かすかに赤らめた頬を指で掻く。
わたしは長々とした工程を経ることに嫌気がさしていたところであったので、とうとう最後に彼の言葉を補完する。
「そうよね、あなたに勝てばいいのよね」
彼はようやくそこで初めて瞳をわたしに向ける。
「え?」
「レッドライン(危険速度)を軽く超える命知らずに、わたしは勝ってみせればよいということね」
そうなのだ。
わたしは天界の王子たる彼の、そのあどけなく見開かれた眼に挑戦状という名目のなにかをたたきつける、今や、忘れ去られたいにしえの民における馬鹿馬鹿しいとも思えるほどの命懸けの遊戯が成人となりうるための儀式となるように。
まんまと彼の挑発に乗ってみせるのだ、と。
 
そのようなことを思い出した。

(今夜のBGM)
A Sai En  / Raiche Coutove Sisters

>前の話(1/4)
>次の話(3/4)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?