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吐露

今日も1日やっと生きた
どうにかして自分はちゃんと生きられてると言い聞かせながら行動して

表向き、世間体、から見たら良い人生を送っている

それは知ってる。だからこそ辛い

客観的に見たら良い生活なのに
どうして私はこんなに鬱なのか自分が悲しくなる

やりたいことはわかってる。どうすれば良いかもわかってる

なのにどうして自分がもっと快適になるために動けないのかと悲しくなる

動けない。動けないのだ

毎日、日を重ねるにつれ体がどんどん重くなる
布団と引き合ってるかのように重力が増していく

そこに意思も抵抗もない。ただ何も感じられず
ただ何もできない

意識が無ければいいのだが、意識はもちろんあるし記憶もあるしもっと良かった時の自分を知ってるので

ずっと悔しいなと思ってる。だけど何もできない
表面が固まって動けない。

アニメによる感動の持ち時間の減少

少し前まではアニメを見るのが楽しくて見てる間だけは心が躍っていた

主人公が苦境に遭えば私も悲しく目的を達成すれば喜んだ

でも今は見てる最中も、ただ映像が動いてるだけにしか見えない

アニメキャラクターが必死に動いてるがそこに私の感情が伴わない

今日、キングダムを見て泣いたのはなぜだったのか

戦に負けるシーンだったがなぜ泣いたか覚えてない。心は動かず勝手に涙が出た

ジムに行く


ジムに行くのは趣味だった。

今は行くのが楽しくないが筋トレしないと夜眠れないので仕方なく行く

外に出ると情報量が多い。ひとがおおい
だから色々考える

すごく雑多にいろんなトピックについて脳が考え始める
過去をプレイバックする
思い出が美化されたり悪化されたりする

喜びの感情はすぐに消えて怒りが長く残るようになった

だからなるべく喜びも怒りも感じないようにし始めた

外に出ると感じすぎてしまうから
色々なことに気づきたくないものに気づくから
もう外に出ないことにした

自分の心がグサグサとやられ家に帰り自分の力でヒーリングしていく作業が馬鹿馬鹿しくなった

それなら最初から刺激なんていらないと思った

そうやってストレスを受けることから逃げてるから私は鬱になったのだと思う

でもそもそも私は強くない
強くなりたくもない

だからストレスを感じたらそれを癒せるだけの喜びが周りにあって欲しいのに

家も外も本当にどこにいても辛い
誰にも何にも癒されない
だから自分を守るしかない

本当だったら誰かに助けてほしかった
助けを求めた
その度に、やはり自分の心を救えるのは自分だけなんだと思い知った
誰に頼っても何にすがっても救われなかった

環境を変えるしか方法はないと思ってる
環境を変えるための環境を変える時間とお金を稼ぐ労力がなくなってしまった

たぶん、心を使いすぎた。

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