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【自己紹介】37歳でベンチャー監査役になるまで(後編)

友人との起業生活のスタート

前回、会計士として監査法人で働いている途中で、友人とマインドマップを使った新しい教育ビジネスを始め、本気でスタートアップを目指すために監査法人を退職した事をお話しました。幸い、監査法人の上司や同僚も私のチャレンジを心から応援してくださり、円満退職で、晴れて起業生活がスタートしました。

チームメンバーは私と発案者の友人の2人がメインで、それに加えてプライベートの合間を使って手伝い・協力をしてくれるメンバーが2人ほどいました。

ただ、仕事を完全に辞めてフルコミットしているのは私だけで、発案者の友人は元の仕事を続けながらでした。彼は創業者ですが、子供が3人おり、家族を養うためにどうしても元の仕事を辞めるわけにはいきませんでした。昼は本業の保育園の仕事をし、夜に子供を寝かしつけてからチームの仕事に参加していました。

彼が昼に時間が取れない事については、もちろん私は仕事を辞める時から合意していました。2人の役割分担をざっくりいうと、ビジネスのアイデアは創業者の友人が考え、私は彼が動けない分昼に時間を投下して、アイデアの具体化、計画の立案、顧客との連絡等の事務作業をこなして共同経営していくことになりました。夜はチームメンバーとオンラインで今後の方向性を議論したり、実際にお客さんにセミナーや講座を実施して毎日を過ごしていました。

事業計画の立案

起業といっても、最初は当然何をしたらよいのか全くわかりませんでした。手始めに『起業の科学  スタートアップサイエンス』(著者:田所雅之さん)を読み、MVP、PMF、ペルソナ、カスタマージャーニー、リーンキャンバス…etc.といった、スタートアップに関する基本知識を学びました。

私たちのビジネスは
・マインドマップをつかって、キーワードのつながりで覚えるコツを教える
・知識自体をこちらから教えるのではなく、マップを使った生徒の説明をこちら側が聴いて、コーチングする
という大まかなアイデアは形になっていました。
しかし、「どのような顧客属性をターゲットにするのか」、「自分たちの強みは何なのか」、「3年後にどのような姿になっているのか」、といった指針は、まだ何もありませんでした。

『起業の科学』を読んで、
・まずPMF(ある顧客層に熱狂的に支持される状態)であるMVP(必要最小限のサービス)を作ること
・3年間の事業計画を立案し、日々のタスクに落とし込んで仮説検証を繰り返すこと
が必要であると理解した私は、リーンキャンバスを描き、MVPの仮説を立てて、『7日間で作る事業計画書』(著者:赤羽雄二さん)をもとに事業計画を作成し始めました。

『7日間で作る事業計画書』の著者の赤羽雄二さんは『ゼロ秒思考』という著書で有名な方で、オンラインサロンで繋がり、実際に起業について様々な相談に乗って頂きました。赤羽さんに教えていただいたA4メモ書きやアクティブリスニングは素晴らしいメソッドで、今でも実践を続けています。

挫折とチームの離脱

早くも挫折かよ…と思われると思いますが(苦笑)
起業生活が始まって半年が過ぎた頃、少しずつチーム運営に暗雲が立ち込めてきました。理由は2つありました。

① マインドマップを使った反転学習だけでは上手く行かないケースがあることがわかってきた。
② 創業者の友人との関係がギクシャクし始めた。
以下詳しく説明します。

① マインドマップを使った反転学習だけでは上手く行かないケースがあるとことがわかってきた。
私たちは、最初から最終的なプロダクトを見据えて、週1回オンライン面談で中学生や高校生に勉強のコツをコーチングする、という形態を続けてきました。しかし、うまく我々のメソッドがはまる子もいれば、殆ど効果が出ない子もいるという事もわかってきました。私はマインドマップを使った反転学習を行うことで、本当に劇的に学習に効果があるのか、仮説検証がまだ十分に出来ていないと感じました。

私は、この方法が本当に効果があることを確かめるために、オンラインでの面談をやめて、1人の中学1年生の女の子に、週2回3時間、2か月間マンツーマンで実際に会ってマップを教え、効果を検証しました。

結果、残念ながら、その子の勉強の苦手を克服することはほとんどできませんでした。特に数学や英語などは、頭の中での理解よりも先に、ある程度基礎を教え込み、反復練習によって「慣れさせる」が必要である、という事が今回の実験を通してわかりました。最初期の段階では「コーチング」だけではなく「ティーチング」も必要である、というのが私が辿り着いた結論でした。

② 創業者の友人との関係がギクシャクし始めた。
先ほど書いた通り、私は起業生活に入ってからしばらく、「事業計画書」の作成に専念しました。タネとなるビジネスアイデアはあっても、それをもとにどう未来を描くのか、どういった道筋でそこにたどり着くのかを、羅針盤として持っておかないとチームの動きがバラバラになると考えたからです。

他のメンバーの時間がなかったので仕方ないことですが、今思えば、チームで一緒に事業計画を作らないで、一人で事業計画書を作ったことに無理がありました。いや、もしも私が1トップで社長であれば、そういったことも可能だったかもしれません。しかし、共同経営という形をとっているにもかかわらず、1人だけが事業計画を作るというのは無理筋だったと感じています。

案の定、最初は友人も私が作った事業計画書どおりに進めようとしていましたが、途中から事業計画書は形骸化していきました。創業者の友人は私が作った事業計画書には興味を示さなくなり、1人で個人的に色々な人とコンタクトを取って話をしてきたり、個人プレイが目立つようになりました。

私は彼がどんな目的をもって行動しているのかわからなくなり、やきもきしました。ある日、彼に対して
「あなたの行動が僕たちの事業の将来にどうつながるのか、説明してほしい。」
と伝えました。彼の返答は、
「僕の中ではストーリーがあるから邪魔しないでくれ!他にやりたいことがあるなら、そっちでやりたいようにやってくれ。」
といった内容でした。

その返答に対して私は、
「決してあなたの行動を邪魔する気はない。ただ、チームとして1つの目的に向かって動いている以上、戦略が頭の中にあるのなら、それを説明してくれないと僕らはどう動いたらよいのかわからない。例えば、この前○○さんと会って話をしてきたと言っていたが、それはただ僕らの活動の認知度を上げるための活動なのか、それとも具体的なマネタイズの構想があるのか、どっちなのか?それ次第でどういうスタンスで今後動けばよいのかが変わってくるから、教えてほしい。」
と聞き返しました。

これを指摘した時、彼の口から
「なんだ、そういうことを聞こうとしていたのか。なんで僕の会社なのに人からいちいち口出しされないといけないんだ、と思っていたわ。」
という言葉が出ました。

この言葉を聞いたとき、私は『彼には私と共同経営でやっているという意識がない』ということがはっきりわかってしまいました。共同経営については前職を辞める時に散々確認したつもりだったのに、非常に残念でした。
彼としてはうっかり口から出た何気ない言葉だったと思いますが、何気ない言葉だったからこそ本音が出ているように感じました。

これでは私がどんなに時間を投下して、チームを引っ張っていこうと思っても、根本の意識がズレているし、会社が正しい方向に向かうはずがない。結局この話が決定打となり、私は2022年10月末にチームを離脱することを決意しました。

チーム離脱後

チームの離脱後、私はしばらく次に何をしようか考えて過ごしていました。しばらく抜け殻のような日が続きました。チームで起業を目指していた半年間、結果は道半ば(というよりほぼスタート地点)で離脱という形になってしまいました。しかしながら、新しくビジネスを立ち上げて推し進めるという経験は、私にとって、とても刺激に満ちたものでした。

今更監査法人に戻ることも考えられず、また私一人で新しいビジネスを考えるか、独立会計士として会計事務所を開業するかぼんやり考えていました。すると、起業時代に壁打ち相手になってくださっていた、吉川剛史さん、鈴木吾朗さんから、
「チームを抜けたって聞いたけど、これからどうするの?」
とメッセンジャーで連絡を頂きました。

「まだ先のことは考えていません、何か新しいビジネスを立ち上げるか、会計事務所を開業するか考えています。」
とお答えしたところ、
「よかったら、株式会社INDUSTRIAL-Xという会社で、今常勤監査役を探しているのだけど、参加しないか?」と提案を頂きました。

このご縁がきっかけで、私の株式会社INDUSTRIAL-Xというベンチャー企業への関与が始まることになります。
今思えば奇跡とも思えるご縁で、吉川さん、鈴木さんには心から感謝しています。

最後に

しかしながら、監査役就任にあたっても私の中で葛藤や不安はありました。
次回のブログでは、監査役に就任するというのはどういうことか、私が感じた迷い、そして最終的にジョインを決意したきっかけ等について話していきたいと思います。


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