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ぼんやりと幸せを願う

時々考える世界平和ってなんだろうってぼんやりと考えて
すごく他人事のように考えている
考えるだけで何か行動にうつすわけでもなく、自分の中で答えをみつけるわけでもなく、ただひたすらに頭の中が考えで満たされていく。全員が幸せであってほしいと願うけど、そんなことは無理だとも思う。誰かが幸せだと、その誰かの幸せがしわ寄せとして違う誰かが苦しんでいるかも。誰かが裕福で浪費を出来る一方、食べる者もなく、飢えているものもいるだろう。
人々は戦う豊かさのために。そのために命が失われていくのは、愚かで悲しいと感じるが、それは今自分が脅かされることなく生活出来ているからかもしれない。家族がいて、家に住まわせてもらって、勉強する機会があり、幾ばくかお金を稼ぐ手段もあり、そのお金を生命維持に必要な生理現象を満たすためではなく、楽しむために使っている。お金持ちではないが、十分すぎるほど恵まれていると言えるだろう。

今の自分の生活をまだ自分には手放すことが出来ない。今の幸せを守りたいと願ってしまう。自分より苦しい立場の人たちがいて、今自分がもっている富を娯楽に使うのでなく誰かの苦しみを取り除くために使えたら、さらに自分の生活水準をギリギリまで下げることが出来たら、何人かの生活が今より良くなるかもしれない。けれど、願うだけで大きく行動できていない。
行動にうつせる人たちのことを尊敬する、どうして進んでいけるのか不思議にも思う。

偽善とも呼べない私の状態。
悪かも。
または、無。
無が近いか

平和って何か分からないし、幸せって何かわからないけど、
何かに苦しんでいる人が一人でもいなくなれば
それが今のところ私が想像する幸せに似てる。

お心遣いありがとうございます。 ゆるりと書き、言葉の温かみを学んでおります。