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【エジソンは人間に豊かさをもたらしたのだろうか?】世界一周物語 第二話

セブ島で英語のお勉強をすることに。

ジムへ通ったり、街を歩いたりを3日ほど繰り返しただろうか?
このままでは何をしに大口叩いて日本を出てきたか分からない。

オーナーの「そんな英語力で世界旅したら死ぬぞ」と言う言葉がぐるぐるしていた。そんなオーナーの言葉に屈して、不本意ながら、語学学校に通うことに決めた。

なぜ、一カ国目がフィリピンかと言うと、もともと学校へ通おうと思っていたからだ。フィリピンは英語の勉強の為の語学学校がたくさんあって、日本人や韓国人がいっぱい留学している。そう、少年は英語の勉強をしてから世界一周の旅へ出ることを考えていて、航空券を取った時は留学をする気でいた。

しかし、お金も掛かるし、この留学費を旅費に使った方がいいと思い直し、留学を取りやめていた。日本にいる時に調べていた学校にメールを送り、入学の手続きをした。留学と言ってもたったの1ヶ月だけれども。

21時間のマニラからセブへ向かう船は『心温まる旅』だった。

 入学の手続きを終えたら、マニラからセブ島まで何で行こうか考えた。島同士なので、海を渡ってしか移動できない。と言うことは、飛行機もしくはフェリーの移動しかない。一般的な移動手段といえば飛行機。なんか飛行機
で行くのは普通だな〜って思った。そこで、選んだのがフェリー。

ここでも深夜特急の旅に憧れた少年がいた。
インターネットで調べて、フェリーのチケットを購入。

マニラでお世話になった日本人宿に別れを告げ、フェリー乗り場に。
早くこの宿から脱出したかった。
世界一周の最初の宿。当時は不本意であったが、英語の留学へと導いてくた。そして、パンチを繰り出す時は、肩甲骨の筋が伸び切らないといけないと学んだ。グッバイ、マニラのお宿、ボクサー、オーナー。


そして、フェリーに乗り込む。何か変だぞ。周りを見渡しても、外国人はほとんどいない。現地のフィリピン人だけ。何かやけに目立っている日本人の少年。中国人、日本人、台湾人、韓国人辺りは見分けがつきづらい。しか〜し、フィリピン人と日本人は結構な顔つきの違いがある。
僕達の先祖とフィリピン人は少し遠いのかな〜と思ったりする。

一際目立つ少年は、チケットに書いてあった番号を頼りに自分のベットを探す。そう、この船旅は21時間、船に揺られて、セブ島に着くのだ。少年に待っていた部屋は、10畳ほどの部屋に二段ベットが5台ほどあって、ギュウギュウの室内が寝る部屋だった。映画で見る刑務所状態だった。

薄暗い室内に荷物がこれでもかとたくさんあったので、足場の踏み場のないめちゃくちゃな空間だった。フェリーのエンジンの音が部屋中に鳴り響いている。そして、重油の匂いも部屋の中に充満している。

部屋に着いた瞬間に思った。なぜフェリーにしてしまったのだろうか?この旅は後悔の連続だ。

この船旅は、快適とは程遠いものだった。
しかし、思い出は鮮明に残っている。

 自分のベットを探していると、すごく親切に教えていくれた。意志の疎通はボディーランゲージ。それでも分からないことがあると、英語が喋れる人を連れてきて、会話をする。これこれ、僕が勉強してきたのは。なんだか、意志の疎通が取れないのがなんだかワクワクしている少年がいた。

そして、昼ごはんの時には、チャイムがあって、食堂のご飯ができましたよと伝えてくれる。まさに刑務所状態。笑

おやつの時間になると、これでもかと同部屋のおばちゃんがおやつをお裾分けしてくれる。白砂糖の塊。甘すぎて一口でお腹いっぱい。油を食べているかのようなスナック。一口で胸焼け。
少年は思った。彼らの胃袋は凄い。
やっぱり僕達の先祖と彼らの先祖は少し遠いような気がした。


やっと来ました!!!旅の醍醐味
普段食べないものを食べるやつ。

『おい、日本人これ食べるか?』とニヤニヤしたフィリピン人は少年に話しかけながら、卵と思しき食べ物をわたしてくれた。
卵の殻を取ると、孵化しかけの雛が。
そのフォルムに驚愕。少年は卵を目の前に「大丈夫です」そう答えていた。

あとで調べると、バロットというフィリピンのソウルフード。

Balut(バロット)とは、孵化する前のアヒルの卵をゆで卵にしたもので、フィリピンの中では有名なストリードフードの一つです。

https://primer.ph/blog/genre/all/20170628-how-to-eat-your-first-balut-egg/

食べておけばよかったと少年は今更ながら後悔。
バロットを食べるチャンスはこれが最初で最後だった。これから1ヶ月半旅することになるが、食すチャンスは訪れなかった。


卵の状態であると、何の抵抗もなく食す事ができる。
生肉になったものも、何の抵抗もなく、食する事ができる。

だが、雛の姿を見ると、抵抗した自分がいた。
そこに「命を食す」事をマジマジと感じさせられただと思う。
本来、『命を頂く』という事は、少しの抵抗感があるはずでないだろうか?

スーパーに綺麗の陳列されたお肉は、僕達から「命を頂く」という事の抵抗感を無くさせてはいないか?

不便さが故に、『生まれるもの』

何か部屋のお客みんなが一家族みたいな感じで、みんな和気藹々としていた。そして、外国人である僕もその家族の一員のように接してくれた。

不便は繋がりを生む。
便利は断絶を生む。

便利になり過ぎたこの世の中は繋がりがなくても生きていける。
お金さえあればなんでも解決してしまう。
ケータイさえ携帯しておけば不便なく生きていける。

フェリー旅は不便の連続だった。英語を話す人はほとんどいなかったし、標識もフィリピンの言葉。お昼ご飯を知らせるのはよく分からないチャイム。

そんな不便な場所だったから、繋がれることがある。不便さから生まれるものもある。

エジソンは僕達の生活を豊かにしたのだろうか?

夜中に外のデッキから見た星空が綺麗だった。
海は明かりが全くない。今までに見たことがないぐらいの満点の星空だ。

フェリーの外のデッキに腰を下ろして、満点の星空を見ながら考えた。

電気の明かりは僕たちの手元を照らしてくれる。
夜でも本が読めたり、料理を快適に作れたり、食事が快適にご飯が食べれたりする。電気があると便利だ。

だが、電気の明かりは星を照らしてはくれない。
逆に、星を見るには、電気の明かりがあってはいけないのだ。

電気の明かりは、僕たちの生活を便利にしてくれたかもしれない。

だが、しかし!!!
エジソンは僕たちの生活を豊かにしたのだろうか!?

ローソクの明かりで十分だったはずが、いつしか僕たちは豆電球の明かりが当たり前になり、豆電球では物足りなくなり、部屋全体を照らす明かりになり、街はネオンで溢れ、街灯は誰もいない道を照らす。

電気は星を見えなくした。
電気は夜空を見つめる時間をなくしてしまった。
電気は豊かな時間をなくしてしまったのではないだろうか?

次もう一回フェリーか飛行機か選べと言われれば、間違えなく飛行機を選ぶだろう。なぜなら、飛行機の方が快適に短く移動できるから。

そう、人間とは矛盾に満ちた生き物だと思うのです。
そう、人間は既にあるものを手放すのは苦手だと思うのです。
そう、人間は電気を手放して、ローソクに戻る事は難しいと思うのです。
そう、人間は単純には出来ていないと思うのです。

次章に続く。

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