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第166話.決断

1992年

年一度の商品戦略会議の席で、アメリカからは「ミニバン」、日本では「ジープ」という2つの機種要望が出された。4輪企画室長の任にあった私は、ホンダの苦しい台所事情の中で、世界の各地域の要望を何とか聞き入れようと腐心していた。
開発工数や投資額から見て新機種に廻せる開発資源は、あと「一つ」加えるのが精一杯。その「一つ」の枠をめぐって議論が白熱、会議は中断となる。限られたメンバーによる協議のすえ決断は本田技研社長委ねられ、アメリカのミニバンを優先するという苦しい選択になった。当然、日本の営業は落ち込んだ。
ミニバンは、トラックの生産設備や部品を用いてつくるため何しろ安くできる。大きな車体にV6エンジンを載せ、アコードよりも価格が安い。アメリカで流行るわけだ。果たして、これに対抗できる車ができるのだろうか。
しかもこれを日本から輸出するとなると、円高が進む中では至難の技である。ともあれアコードをベースに、レジェンドのV6エンジンを載せたアメリカンサイズのミニバンを、早速検討してみることになった。
問題は2つ。一つは、背の高い大きな車を流せる生産ラインがホンダにはないこと。もう一つは、V6エンジン、大きなボディ、生産ラインの新設などでコストがかさみ、どうしても売値が3万ドル近くになること。
アメリカ製のミニバンの価格が2万2~3千ドル、これと同価格帯のアコードがベースとなれば、円高を考えに入れないとしても売値は競争力のないものになる。アメリカでの販売を諦めるかという声すらでた。が、誰も「やめます」とは言わない。そこで、全く別な発想でやってみようと、アコードワゴンにいろんなユーティリティを加え、どこまで競争力を上げられるかの検討に入った。
どんな要素を加えれば、アメリカのミニバンユーザーのニーズに応えられるか、背を高くして6~7人乗りにすると重量はどのくらい増えるのか、アコードのエンジンで大丈夫か、価格はどのくらいになるか、などなど。
そこでアコードワゴンに100kg前後のウエイトを積み、ロサンゼルスのいろんな道での走行テストが繰り返された。同時に日米いずれの工場でも、ラインの改造範囲で流せるようにしようと検討が進んだ。その結果やっと、サイズと重量が決定された。
「決断」とは、様々な思いを「断ち」、それを「決める」大変な仕事だと教えられた。同時にそれによって、また新たなエネルギーが生まれ出ると言うことも。

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