きっとすべて正しいこと
金晩、仕事おわり、
彼と外で待ち合わせをして
中華を食べた
家に帰って、寝る準備して
その後二人でいろんなはなしをした
わたしが持ってる学芸員資格について
わたしが学んできたこと
そのとき考えてたこと
彼が学芸員に対して考えてること
美術館について
絵画について
特に西洋絵画
お互い美術館に行ったとき
どうやってみてるか
どんなことを考えてるか言い合ったら
全然違うかった、面白かった
そして、本を読むことについて
わたしは本を読むことが好きで、でも読んだ本の話を人とあまりしない。それは同じ本を読んでる人が周りに居なくて、だから読んでない人に一方的に話したいともあまり思わなくて
そもそもわたしは自分と本と、あと考えたこととか感じたこと、よかった部分を書き写すノートだけで割といい。閉じこもりながら読むことをきっと好んでる
自分のなかで感じたことを消化して、自分の作り上げた世界観を大切にしたいのかもしれない
彼は反対で、誰かと議論じゃないけど、読んだ本のことをたくさん話すのが好きらしい
すごいなとおもった、わたしがやってこなかったことだから。
とはいえ、わたしも同じ本を読んでる人がいたら、色々話したいと思うこともある。彼と読む本が被ってたら、たまにその本について話すことはある
相手がその本を読んでなくてもどうしても話したくなるときもある気はする、少なからずは。
彼は、本を読んで、何かを得たい、学びたい、その本から何を得られたか、みたいなことをわりと考えてるらしい
わたしはどっちかというと、文章や表現の美しさ、情景の綺麗さ、切なさなど
文体を楽しむというか、心を揺さぶられるものに出逢えたら本望というか、はぁ、とため息が出るほど素敵な言葉や場面に出会いたいとおもってて。もちろんその本を読んで何かに気づいたり、自分にはない考えを知れたりすることもあるんだけれど、ただ陶酔できる文章に出会えるだけでけっこう満足してしまう
だから彼からすると、わたしは本を読むわりに本の話が出てこないから、何を感じてるんだろう、何を考えてるんだろう、読んだ本は私のどこに蓄積されていってて、どうなってるんだろう、って思ってたらしい
面白いな、と思った
そもそも芸術鑑賞として とか、感性を磨くため とか、ストーリーに入り込んで楽しみたい とか、娯楽としてのそんな読書と、教養としての読書はなんとなくちがうとは思う。わたしも小説も読むし新書だって読む。新書の場合は知識を得るために読むから文体なんて気にしてない
その日は小説の読み方の話をしてたから、土俵はおなじはず。それでも違うんだなぁと思った
7年半も付き合ってるわりに
わりと知らないことがあるなとも。
学びを得ようとするのも、文体に酔いしれるのも、きっとぜんぶ正しい。間違ってることなんてなにもない
みんなどんな風にして本を読んでるんだろう