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【ご報告:石巻から東京へ】

すでにご挨拶させていただいた方もいますが、4月30日をもって、3年と1ヶ月の東北復興に関わった石巻&女川での勤務を終え、東京での勤務をすることになりました。今後は、祐ホームクリニックの東京本部にて、広報業務・海外を含めた高齢社会を支える事業展開に関わることになります。
「東北で、いままでなにしてたの?」ということをよく聞かれるので、勝手に、今までの取り組みを振り返らせていただきます。(長文です)
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 2011年11月に、富士通の生川さんに連れられて、初めて石巻を訪れ、行政・企業・ボランティア団体・医療機関などが本気で連携しながら支援をしている活動に感銘を受け、NTTデータを退職して東北で成長の場所を求めることを決意しました。
 そして、2012年4月に在宅被災世帯の支援団体「石巻医療圏 健康生活復興協議会(RCI)」で、多くの人に学びながら、団体の組織化・広報・採用などを担当しました。多職種のメンバーの思いを受け、アドレナリンをみなぎらせながら、事務局長の園田さんと夜中まで議論をしたことを忘れません。
 「東京で培ったビジネススキルを石巻に提供する!」と、変にやる気まんまんで来ておきながら、何も価値を出せていない状況に自信を失いかけた時、生川さんに写真を褒めてもらって、元気を取り戻したことを覚えています。
 2012年の体制組織化から、2013年4月からのコミュニティ活動への事業転換、2015年3月末での行政委託事業の活動終了まで、一貫して関われたことは今後の組織運営を考える上で非常に勉強になりました。最終的には、地元メンバーが主体で活動を実施して、私はそれを支える形となりました。最期までリーダーと信頼関係を保ちながら、地域にコミュニティ活動を引き継ぎ、RCIのコミュニティ活動をクローズできたことは、ひとつの成果だったと思います。
 2013年からは、RCIのマネジメントにあわせて、祐ホームクリニック石巻の在宅医療・介護のICT構築にも携わりました。在宅医療と介護の現場で活躍する多職種メンバーを支える仕組みを一緒に考えながら、前職で培ったシステム開発と現場を取り持つ、営業担当として先輩から教わった調整のスキルも、期せずして生かすことが出来ました。
 メディカルクラークセンター(MCC)という事務拠点の立ち上げも担当して、6名の地元メンバーが所属するまでになりました。NPOクロスフィールズさん・リクルートキャリアとの留職プログラムで、組織化に向けてリクルートキャリアから個性的&優秀な若手3人衆が組織化を手伝ってくれて、同年代と真剣に悩みながらプロジェクトを進められたこともいい経験になりました。
 プライベートでは、なんといっても、誰がなんと言おうと女川町です。地域通貨の発展・普及に取り組んで、女川の皆さんと知り合いになれました。観光協会でガイドコースを開発するために女川町を駆けまわったり、復幸祭で売り子として商品を完売するべく声を張り上げて笑われたこと、ハーバード大学ビジネススクールの現地受け入れに3年間携われたこと、アスヘノキボウの桑原くんと英語の勉強会「Ishinomaki Lovers」を立ち上げたこと、書ききれないほど思い出が女川に有ります。
 上記の活動は、私が行なったわけでなく、関わってくれた全ての人と一緒に行なったものです。個別のお名前を挙げられずに申し訳ありません。心から、感謝の気持ちでいっぱいです。
 今後は、東京での勤務・活動となりますが、東北(石巻・女川)での活動も「海外と東北をつなぐ」というテーマで続けていきたいと思います。もちろん個人の関係は、ずっと続いていきます。
 この3年間は、間違いなく自分の人生のなかで、最高の時間でした。そして、あとで振り返っても輝かしい財産となる確信をもちながら、明日石巻を離れます。
お世話になりました。いつかまた会いましょう。ありがとう。

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