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Last moment.


随分と長い間この場所から離れていました。
お久しぶりです。しおです。

就活とか学校とか色々ありまして毎日慌ただしく過ごしていました。正直言うと更新することも忘れ堕落した生活を送っていました。笑

今回は最近私の身に起きたことについてお話しようかなと思います。

つい先日、本当の祖父のような存在の方が旅立たれました。家庭環境という言葉を使ってしまうと複雑化してしまいますが、
色々な家族の形があるように私の周りにも異なる家族という形があったということです。

正直、血の繋がりもないですし、赤の他人と言ってしまえばそうです。ですが、私の人生には当たり前のようにいた存在でした。

私も含め多くの人が感じたことあるのではないかと思うのですが
本当に人って死ぬんだ。とふと思うのです。
当たり前が当たり前じゃない。というのは分かっていても
実際自分がその言葉の通りのことを思うと当たり前だと思っていた自分がいることに気づきます。

高校時代、送迎してもらったり
祖母と一緒に出掛けたり
そんな些細な思い出が溢れてきます。
私は1番可愛がって頂いたということを聞いて
尚更他人なのにここまでして頂いてありがとうという気持ちでいっぱいです。

大学進学と共に私は実家から遠く離れたところに住んだので
その方に頻繁に会うことが無くなりました。
なので記憶に新しい期間の間で生きているうちに会うことが出来ぬまま、お別れを迎えました。

お別れって本当に突然に来るものですよね。
こんなご時世の中私は就職活動のために一時的に実家に戻っていました。
その最中でその瞬間がやって来ました。
これは巡り合わせというものかと今でも思いますが
私としては中々人と会うことすら難しい今、ちゃんと見送ることが出来て良かったと思っています。

私は今年で22歳になったのですが、
20歳になってからしっかりと人の死と向き合うことが無かったように思います。
だからこそ、今回こんなに人の死について考えたり深く悲しんだりしているのだろうと思います。

父や母、その他の家族の皆はこのような人の死と向き合うことを幾度となく経験してきたことが本当に凄いことだと思うのです。大人になって死を受け入れることって本当に難しいと思います。

大人になると視野や考え方価値観が変わったり広がったり、
あらゆるところから考えようとすると思います。
私は小学校や中学校の時にも祖父母の死を経験しています。しかし、その時感じた気持ちと今思う気持ちは違うと思っています。
言葉で表すことが難しいなと今痛感していますが
大人になるとその受け止め方が違うのかなと思います。

私には分かります。
その人を思う気持ちの方向性や度合いが違うことを。
その人を心から愛した人がいることを。
その人のことを嫌いだと思っている人がいることを。
その人を苦手だと思っている人がいることを。
その人を親身に支えた人がいることを。

あらゆる感情を持つ人がいます。
当たり前です。
好きな人もいれば嫌いな人もいます。
どちらの気持ちも痛いほど分かります。
決して綺麗事を並べて片付けようという訳ではないです。

今まで歩んできた生きてきた毎日の中で
紆余曲折あると思います。
その中で人と人が育んだ絆や感情は
何にも変えられないし否定する権利などないと思っています。

だからこそ私は私なりに考えて受け入れていきたい。

今は、少し悲しみを抱えながら毎日自分なりにもがき苦しんで感情を整理している所ですが、
そんな中で特に祖母を心配しています。

私より小さい身体で何もかも背負いすぎなんです。
でもこんな若輩者が口を出したところで
祖母は気持ちを決めたら突き進む人です。
だからこそ壊れてしまわないか心配です。

私は遠く離れたところにいるので
近くにいる妹や家族に任せようと思います。

私は今回このような経験をしたことで
もっと周りの人に愛をもって接していかなければいけないと思いました。
いつくるか分からないお別れの瞬間のためにという訳ではありませんが、
後悔してからでは遅いです。何事もね。

だから思った時に口に出して伝えるんだよ。
ありがとうとかごめんねとか大好きだよとか。
言える時に言わないとね。

支離滅裂、文章構成めちゃくちゃかもしれませんが最近起きて感じたことを書かせて頂きました。

皆さん大切にしている人に愛をもって接することが出来ていますか?
何事も感謝と尊敬の意を持つことは大事です!

ここまで読んでくださりありがとうございました。

それでは幸せな1日になりますように。

しお