区切りを感じる時


人生の序盤は、大半の物事が区切られていた。
幼稚園や保育園の期間、小学校六年間、中学校三年間、高校三年間、大学四年間。学問に限らず、部活の所属やサークルの所属、行く道に年数の違いはあれど、かならず区切りが存在している。

区切りのある人生が、まだわたしの大半の人生だ。そのため、2〜4年の区切りサイクルができている。

わたしは今、社会人2年目なのだが、はやくも区切りを感じている。
社会人になると明確な区切りがない。10年以上一つの会社に勤め上げる人もいれば、短期間でさまざまな職を経験している人もいる。人によって、区切りの基準が異なるのだと思う。

わたしはなんとなく流されて生きてきた。
取り上げるほど大きな荒波もなく、周りの優しさに生かされて育った。それゆえに、失敗の経験が少ない。自ら行動した経験が、少ない。創作活動くらいだろうか。

正直にいうと、自分の人生に興味があまりなかった。自信もなかった。
創作をすること、見ること感じることで忙しかった、ということもある。
人生など考えなくても、自動的に人生は区切られて、何かしらの転機が訪れていた。それは、そういう制度だったからだ。
しかし社会人になると、「終わりがない」というように、2年働いて思った。
社会は回り続けるのだから、当然と言えば当然だ。何ヶ月も何年も先を見据えている。目先のことを考えればいいというものではない。先が長くて、長くて、とても長くて、わたしには永遠に先の見えない一本道のように思える。

もしかしたら、他の道があるのかもしれない。ここはどこにも辿りつかないのかもしれない。そんな不安で立ち止まると、本当に別の道が現れる。別の道を歩んでいる人が、現れる。
「生きているのは自分だけじゃない」という当たり前のことに気付かされる。

学生という身分は、社会の外にあるまた別の社会なのだ、とふと感じた。

社会に出ると、いきなり「大人」の扱いをされる。いきなり沢山の選択をさせられる。
わたしは、書類が必要なバイトをしたことがなかった。
何度かバイトをしようと思っていたことはあったが、極度の人見知りと緊張しいのために、ためらっていたのだ。
履歴書も就活をして初めて書いた。
就活を終えてからも、会社の契約書を書いたりした。

訳が分からなかった。

わからないことから逃げていて、わたしは本当に甘いままで、子供のまま、大人のふりをし続けている。

「仕事だから」とよくいう人がいる。
わたしはその言葉は、理解できるが納得はできない。
仕事だから、なんなのだというのだ。

人にはそれぞれ苦手なこと、得意なことがある。
私は地味な集中作業と、発見作業が好きだ。事務作業やサポートをする。それが好きだ。
逆に、人をまとめるのが苦手だ。ほぼ個人主義で、シングルタスクで、人見知りで、心配性だからだ。この作業を任せて不満ではないか、そもそもわたしから指示をされて不快ではないか、人の顔色ばかりをうかがい、疲れてしまう。
それを「仕事だから」なんて言われて、本当に好きなことのためなら我慢できるが、残念ながら今の仕事にそこまでの熱量はない。

何より今、職場の上司が本当に「無理」になってしまった。
怖いのだ。なんというか、派閥を作るタイプの人間で、身内にいれた人間を贔屓して、それ以外は駒くらいにしか思っていない。
偏見だとは分かっている。わたしが、不満を押し殺して何も言わないのも悪いのだとわかっている。だが、そんな偏見と侮蔑と恐怖と憎悪が、止まらなくなってしまった。

いままでは、なんとかごまかしながら勤めていた。
だが、ついに「区切り」がきてしまった。

わたしは人見知りで、できれば人の上に立ちたくない。
なのに、年数があるというだけでリーダー的立場をさせられそうになった。
わがままだとわかってはいるが、わたしはそれがどうしても嫌だった。
人に対して話さなければ行けない。好きでもないことを。たいして興味のないことを。それをさも、真剣に。

そういう嘘をつくのが、嫌だった。
そう思うたびに、「仕事だから」なんて言葉が浮かぶ。きっと正しい。わたしの考えにイラつく人は正しい。社会の人間として正しい。でもそれを人におしつけるのは、間違っている。

わたしは、「人前で話すのは嫌だ」「緊張で涙が出る」「それ以外はなんでもする」と面談で伝えた。
実際その上司と対面すると職場だろうがなんだろうが涙が出てしまう。面談で泣いたのだが、絶対に「心配」するような声色ではなく、「めんどくさい」というようなあしらいを受けた。

そしてそのあと、わたしになんの、ほんの一言もなく、リーダー業務的な移動が決まっていた。

その時に、全ての気持ちがめちゃくちゃになって、

「辞める」



「殺す」



「助けて」

の意思が湧いてしまった。

同時にブツンと、何かが切れた。
「区切り」が見えてしまった。

その上司とは若干別部署にいて、わたしの直属の上司が聞いたのもつい一日二日前らしかった。
わたしは抗議することもできたのに、何も言わずに、失望した。
わたしは打たれ弱い自覚がある。
だから、こんなことで折れるのは、わたしが弱すぎるからだとも思う。だが、無理になった。もうだめなのだ。

その日は仕事中に涙が出て、ごまかすのに必死だった。
上司の位置は遠いが、その場所に「居る」というだけでイライラが酷かった。

めちゃくちゃになっていた。わたしの感情は、全て、めちゃくちゃだった。

自動的な区切り以外で、私が見える区切りは
「無理だ」という、切り捨ての線が見えた時だ。

本当の本当に、ギリギリにならないと見えない。

大学でサークルを辞める時もそうだった。
自分とは違う考え方を持つ人が大半になってきて、わたしは、「ここにはいなくていいや」と思い、辞めた。多分、限界だったのだ。やっぱり代表なんて向かなかった。

わたしは自分を壊しかけているのだとわかっている。
病院に行ってみたほうがいいと分かっているが、長年しみついてしまったものと、無理にひっぺがさない方がいい気がする。

こういう区切りは、認識してもすぐ、「でも」ともやに隠れていく。

さっさと行動しないと、また、わたしは苦しんで、めちゃくちゃになってしまう。

区切りを逃さない。逃しては行けない。

逃げることになっても、振り返ってはいけない。

誰も悪くないとしても、だったら、自分も悪くない。

そういってくれるひとが欲しかった。
だからわたしは、わたしにいおうと思う。

誰も悪くないし、自分も悪くない。

区切りが見えただけなのだ。

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