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むしゃむしゃモンスター100〜小島慶子さんの解縛を読んで自分自身を顧みる〜


とある友人が境遇が似ているかもと勧めてくれた、
アナウンサーである小島慶子さんの人生を綴った
「解縛」という本を読んだ。
暴力を振るう父、
娘に自分を重ね娘ではなく自分自身の欲の分身として使う母、
年相応に少し意地悪な姉、
そして彼女の生まれ育った環境。
さらに彼女自身も15年間に及ぶ長い時間を摂食障害に費やした。
親との関係に、摂食障害に悩む私が少しでも楽になるきっかけになればと、調べてくれたようだ。
彼女はどのような境遇で、どのような成長過程を経て病気になってしまったのか。
更にどのような道を進み完治に至ったのか。
少し興味があった。
加えてせっかくお勧めしてくれたのだからという思いもあり、
ドキドキしながらページを開く。

結論から言うと私と彼女は随分と違う。
海外を飛び回り、子どもながらに様々な社会の辛さを感じながら、
その中でも強く、そして少しずる賢く生きる彼女。
反して私は大阪の田舎の小さいフィールドでことあるごとに意地悪の標的にされ、
自分の何が悪いのかすら考えずびーびーと泣いては周囲の大人達に守られていた。
大きくなるにつれ、なんとかして自分自身の手で名声を手に入れようとする彼女に対し、
私はこれまた周囲の優しさに甘え、伸ばされた手を繋ぎ歩いては楽することだけを考え生きてきた。
共通する部分で言えば、身の丈に合わない、
いい世界を見てしまったせいで、
自尊心をことごとく傷つけられたことだろうか。
彼女は進学と共に一般家庭ではないいわゆるいいとこの女の子達と成長し、
その中で親の収入カーストや、
はたまた女同士の世界には、
自分の努力ではどうにも這い上がれない世界があることを知った。
私は夜の世界に飛び込み、際限なくお金を使える人たちと共に、
食事や夜景の見えるホテルに行く過程で、
自分の生きる世界とはかけ離れた世界があり、
逆立ちしたって自分がそこの住人にはなれないことに気づいた。
更に普通よりちょっとだけ整った10点満点中6点ぐらいの見た目と、
人よりかなり優れたコミュニケーション能力で、
学生時代人よりもてた私は、
10点ではない見た目では、天才的ではないコミュニケーション能力では、
夜の世界で脇役にすらならないことに気がついた。
そこが各々の劣等感に繋がり、えもいえぬ孤独感の要因となっているのだろう。

彼女と私自身の決定的な相違は家族に関してだ。
彼女のと違い、お金はなかったけれど比較的穏やかで、
むしろ愛情に関しては恵まれた家庭で育ったよう感じる。
少し欠落した部分はあるけれど優しく愛情深い母、
言葉には欠けるけれど暴力も振るわず否定をしない父、
そもそも精神年齢が違いすぎて喧嘩にも比較にもならなかった姉。
家族は私をいつも肯定してくれ、
家族のせいで悩むことも、愛情を感じれず不安になることもなかった。
いじめられているといえば、いじめっ子でなくてよかったと抱きしめ、
勉強ができないといえば音楽を頑張ればいいと言い、
誰々ちゃんはかわいいと言えば、誉めれるあなたの心はもっと美しいという家庭だ。

そう。彼女と違って圧倒的に甘えた環境で生きてきたのだ。

ではなぜ私は孤独感を感じ、
食べ物で満たそうとしてしまうのだろうか。
確かにきっかけは家族や友人であった。
食べれば喜んでくれる、食べなければ文句を言われる環境のもと、
私の過食嘔吐はスタートした。
けれど、それは食べて吐くことによって幸せを感じていた頃の話で、
ここ3年ほどに関してはそうではない。
誰も私が食べることを望んではいないし。
食べたからといって満たされるわけではない。
なのに襲われる猛烈な不安や物足りなさはどこからやってくるのだろうか。

一時的に止まっていた過食嘔吐が見事に復活したのは3年弱同棲した彼氏と別れたことがきっかけ。
失恋のダメージかと思っていたけれど、
どうやらそうではないようだ。
同じように愛情を注いでくれる彼氏ができても、
一向に治る気配がなかった。
むしろ悪化する一方である。
その後パタっと止まった時は家から遠く離れた地で仲間と共に暮らしていた時のこと。
ひとりぼっちという寂しさが私の食欲を増進させているのか?
そうなればなぜシェアハウスに住んでいてもなお満たされず食べてしまうのか?
一つずっと悩んでいるのはキャリアについてだ。
大学生の頃からずっとついていた仕事を、
同棲解消と共に離れることになった。
ずっと好きな仕事であったから、
一生続けるものだと思っていたから、
同じ会社の彼と別れたこと、それから派生する人間関係のいざこざに、泣く泣く仕事を辞めた。
目の前のことを必死にこなす生活から一度離れ、
老後を含めたキャリアプランの再考を行い、
就活、そして資格取得を目論みた。
そこで私は気付いたのだ。
自分が天才でないことに。
みんながきっとそこに気づくであろう大学生での就職活動の際、私は頭を打たなかった。
むしろ前もって経験していた分、
叩く必要もない石橋を歩いていったようなものだった。
そして、4年遅れて私はその壁にぶち当たった。
天才だと思っていた私は、
自分が思っていたより世の中からの需要がない。
三流大学卒、資格も何もなく、見た目もそこそこ、
英語も話せず愛想がいいだけが取り柄の人間なのに、
望むは海外就職。
なかなか決まらない再就職に頭を抱え込み資格取得を目論みるも努力半ばで断念。
その割には夢は捨てきれずフリーターのままズルズルと時間だけが経っていく。
そうこうしている間に周囲は結婚に出産、
はたまた自分が心から望んでいるはずの海外生活を手に入れ、
あぁ、私も本当はその居場所が欲しかったのに。
そう羨みながらもまた同じように怠惰な生活を続け、
気づけば歳を取り、1人置いてけぼりだ。

ずっと愛情を受けて育ってきたから、
ずっと何かに守られて生きてきたから、
随分と遅くに人は裏切ると知り、
裏切らないキャリアを手に入れるためにもがくも、
努力不足の自分なせいで何一つ手に入れず、
その間に前へ前へ進む周囲と比べて落ち込んでしまう。
きっと満たされない原因を作っているのは自分自身で、
どうにかするのも自分自身でしかないのだ。
つまり食べるのは満たされない自分の気持ちを紛らわすためだけれど、
その気持ちは決して他人は満たしてくれず、
自分自身で努力をするか、
自分自身に対して諦めをつけるかどちらかしか方法はない。


仕事をするべきだ。死に物狂いで。
学ぶべきだ。全てを忘れるほどに。

そんな風に思った、読書後の気持ちをここに書き留める。

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