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[書評][栞]「狩猟始めました」都会暮らしにむけた、狩猟入門書

   森ガールに始まり、山ガール、釣りガール、石ガールなんてのもいるらしい。〇〇女子では腐女子と、歴女は有名なところで、リケジョ(理系女子)やらドボ女(土木系女子)なんてものも一時期ちやほやされていた。

 自然発生か、商売目的で生み出されたものか、魑魅魍魎がうごめく〇〇ガール・〇〇女子界に燦然と輝くモノホンの実践系女子、

「狩りガール」

 名前の通り、狩猟免許を持ち、獣を狩る女子のこと。ここ数年、狩猟免許を取る女性の割合が増えているというのだ。

「狩猟なんて、お金持ちのおじさんの趣味じゃないの?」というのが多くの人が抱くイメージだと思うが、最近は、色々な理由から若いハンターが少しずつ増えているという。

 今まで獣害対策を担ってきたハンターが高齢化し人手が足りなくなっているところに、環境省が規制緩和と共に「若い人も狩猟はじめようぜ!」というキャンぺーンを打ち始めた、というのが一つの要因ではあるのだが、実際にハンターになる人たちは、どんな動機で動き出しているのだろうか。この問いに、「暮らし」と「食」をキーワードに応えているのが本書、

「狩猟始めました 新しい自然派ハンターの世界へ」である。

 アウトドア系に強い出版社、山と渓谷社が昨年創刊した新書シリーズ「ヤマケイ新書」の7冊目だ。自然体験教室や、自然体験系NPOを主催する筆者二人による共著である本書、前半では筆者自信の狩猟体験を通じて狩猟の醍醐味と奥深さを語っており、後半では、それぞれ異なる理由から狩猟に関わることを生業にした若手ハンターへの取材を通して、現代における「狩猟」が持つ意味や価値について言及している。

 内容の紹介に入る前に、まず、声高に皆様にお伝えしたいこと、それは、「この本は狩猟入門書としては全く役に立たない新書である」ということだ。

 狩猟に関係の無かった人が狩猟を始める、というと足掛かりとして(誘われたりして)地元の猟友会に所属し、まずは集団で鹿を追い立てての巻き狩りのお手伝い(小間使い)から始まり、痕跡の見分け方や銃の撃ち方等を師匠に教わっていく・・・・というのが一般的だと思うのだが、この筆者は、一人で獲物を追う「忍び猟」というスタイルで、初めから身一つ、銃を担いで山に入っていく。自分で痕跡を見つけたシカが表れる場所で待ち伏せするために、

”鹿たちがまだ里で食事をしている深夜に山を登り始めた。先回りをするのだ。ヘッドライトのわずかな明かりを頼りに、見覚えのある大木や地形をたどりながら歩いて行った。”(p.27)

 なんてことをしてしまう。元々山歩きに長けている人間にしかできない芸当だ。素人には参考にならないし現実的でない。前半のほとんどはこういった筆者の狩猟エッセーである。狩猟の師匠がいない中で、山に入って動物を追い、自然と向き合い、五感をとがらせ、一人で試行錯誤を重ねることで確実に動物に肉薄していく様子には驚くばかりだが、

「どうやったら狩猟を始められるの?」「そもそも狩猟って何?」

 というところに興味がある人には残念ながら役に立たない狩猟体験記になっているので、そんなあなたには、前半を飛ばして読むか、「山賊ダイアリー」「ぼくは猟師になった。」あたりを読むことをお勧めする。エッセーにしても、自分語りがすぎるかな、という感じが否めず、若干読みづらいのも難点だ・・・

 後半の第3章からは、「なぜ狩猟者になったのか」という問いを通して、6人の若手ハンターの活動を紹介し、「暮らし」と「狩猟」のつながりについて掘り下げている。獣害対策、グリーンツーリズム、自然ガイド、研究者と立場や仕事に違いはあるが、皆に共通しているのが、生き物を食べることへの興味とこだわりである。

 ここで紹介されている人のほとんどが「おいしいものを食べることが好きで、突き詰めていった先にジビエがあり、必然的に狩猟にたどりついた」人だ。食の持つストーリーに興味を持ち、「狩猟をする」ことに触れることがきっかけとなり、

「狩猟」をツールとして自然の魅力を伝えるガイド、「狩猟」を通じて地域おこしと獣害対策へ貢献する職員、「狩猟」を通じてジビエのおいしさを伝えるシェフなど、狩猟に直結する生業をもち、狩猟が暮らしの一部になった人たちだ。第3章を皮切りに、第4章以降で著者たちが狩猟の楽しみ方を交えて議論しているのが、本書のテーマでもある「新しい自然派ハンター」のアイデンティティにも直結する「あえてこの時代に狩猟をすることの意味」だ。

 「新しい」ハンターを語るためには「従来の」ハンターを知る必要がある。地域や、人々によって差異があるとは書かれているが、本書で一般化されている「従来の」ハンターと言うのは地縁組織としての猟友会ハンターであり、閉じられた山のハンターである。狩猟とは本来、食べるため、毛皮などを利用するために、必要な分だけ獲るという営みだが、猟友会は、そういった本来の趣味の狩猟に加え、獣害対策としての駆除も担ってきた。獣害対策としての駆除は、農村の維持機能として公共事業的な側面があり、必要以上に動物を殺すことがあるという点で、手段は同じでも狩猟とは異なる営みだ。

 元々、狩猟者の集団は地縁的組織で、猟場などの問題から排他的である。駆除は必要なこととはいえ、「家畜ならまだしも、野生動物を必要以上に殺すとは残酷だ」と考える人が少なくない(特に都市住民では)中で、狩猟や駆除に関する情報を積極的に外に発信することは少なかった。その結果が、狩猟が文化や、山野の維持に必要な営みとして社会にあまり認知されず、後継者不足となった現在であろう。

 狩猟への理解が広がらないと、他の目的で同じ山を利用する人々から怖がられ、反社会的な行為と批判され

”このままだと、狩猟者は、公共の山で存在理由を失ってしまう”(p.194)

 と筆者は指摘する。しかし同時に、食へのあこがれ、自然思想、鳥獣害対策や地域への貢献など、地縁血縁以外の多様な動機から山に入ってきたハンター、つまり、筆者の言う「新しい自然派ハンター」が、

”自分たちがしていることや思いを積極的に社会へ発信することが出来たなら、狩猟の社会的価値はもっと高まるだろう。”(p.195) 

 とも言っている。確かに、何か新しいことを始める上で、情報の多かったり、誰に質問すればいいか分かったりするとはハードル下がるものだ。また、田舎暮らしをしなくても、筆者のように週末ハンターとして狩猟をしている、という実例があると狩猟のイメージもずいぶん変わってくる。狩猟を始めるからといって、猟友会に入る必要もなければ、無理に地域貢献につなげる必要もない。

 さらに言えば、胸を張って「俺は狩猟者なんだ」と言えるような、ルールとマナーを守った活動をしていれば、必ずしも積極的な情報発信をする必要もないのだろう。

 狩猟とはあくまで趣味であり、銃を持つ、生き物を殺す、という責任を持つことが出来れば、誰にだって始められるものなのだ。自然派でなくたっていい、でも、狩猟という自然と相対する営みの魅力を伝えることができる「新しいハンター」が増えれば、

”それは「害獣」とレッテルを貼られてしまった野生動物たちにとっても幸せなこと”(p.196)

 なのだろう。

【合わせて読みたい狩猟関連書籍】

「邂逅の森」(熊谷達也、文春文庫)   知っているようで知らない「マタギ」の生き方を克明に記した冒険譚。明治期の動乱に翻弄されるマタギの生き様を括目せよ!

「相克の森」(熊谷達也、集英社文庫)  邂逅の森の関連作品。野生動物の保護管理を通じて自然と向き合う人々の葛藤を、女性記者という視点から描いたドキュメンタリ―的作品。

【筆者情報】

安藤啓一 1970生まれ 日本自然保護協会自然穂子監察院にして自然体験キャンプ「野畑あそび」を主催。単独での忍び猟をする。著書に「子どもと楽しむ山歩き」がある(上田と共著)。

上田泰正 1959生まれ キャンプやボランティアを通じて青少年の健全育成を支援するNPO「NPO響きの森net」理事。民間の学

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