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【栞】札幌での5年と父の死、そして新しい3人家族

札幌に住んでいた頃の僕の体の半分はセイコーマートのホットシェフでできていた。残り1/4はボストンベイクである。千歳空港に向かう快速エアポートの中でかき込んだカツ丼、甘いタレのしみたコメと口の中で溶ける脂身を思い出すと涙が出てくる。知床半島、ウトロ側の海岸線を走り、工事現場と鳥を見ながら食べた筋子おにぎり。おにぎりの類はフライドチキンと合わせて食べると最高なのだ。

初任地として5年間生活した札幌を離れて一年がたった。2018年12月28日、リサイクル業者が去った空っぽの部屋で僕は札幌最後の昼食を食べた。

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右も左もわからぬ社会人生活、地元の大学に行った私にとって、友達がいない状況で1から人間関係を築くという初めての経験であった。多くの人に知り合い、多くのことを経験した。札幌で知り合った人はたくさんいる。仕事で知り合った人、研究活動の中で知り合った人、狩猟で付き合いのあった人、twitter経由で知り合った人、行きつけの病院で知り合った人、、、その中には、連絡を取れなくなってしまった人、こちらから連絡するのが気が引ける人もいるが、いまだに連絡を取る人、趣味・学びについてあーでもないこーでもないといまだに連絡を取れる人がいるのは本当にありがたいと思う。このブログはtwitterで知り合ったおちびと始めたブログであった。しばらく更新していないけれど、、、あまりに札幌での5年間が懐かしい。札幌は、北海道は明確に僕の第二の故郷になった。

札幌での5年間は本当にいろいろあったけれど、この1年も本当にいろいろあった。

札幌時代の仕事と東京の仕事に追われた4ヶ月ののち休職、オーストラリアへわたり、10週間の語学学校を卒業したのち、Flinders大学の理工学部、GIS専攻(修士レベル1年間のGraduate Diploma)に進学した。11月末に1学期目を修了し、現在夏休み中。
そして12月半ばに10年闘病していた父が亡くなった。服喪中である。

新しい環境で楽しいこともあれど、コミュニケーションに伴うストレスと不安でここまで落ちるか、ここまで自信を失うことがあるか、嫌になることがあるか、と思わされる一年であった。ここまで孤独に弱いか私、と驚かされた一年であった。

大学院では先生の言っていることがなんもわからん、ネイティブの学生の言ってることがなんもわからんという状況から始まり、人見知りと怖さからコミュニティへの参加を躊躇ったことで襲われる孤独感とか、日本から持ってった北海道を共に旅したマウンテンバイクを盗まれるとか、語学学校で知り合った人と付き合った末に別れたりとか、その子をオージー男子が横からかっさらっていき白人男性コンプレックスを拗らせそうになったりとか、、、

とにかく色々経験した一年であった。
闘病中だった父が7月末に救急搬送され、2ヶ月の入院生活を経て、家での介護を諦めて看取りまでできる介護施設に移り、12月中旬に亡くなった。私は9月に一時帰国して病院でまだコミュニケーションできるときに会い、最期は亡くなる早朝に緊急帰国、なんとか家族全員で看取ることができた。

札幌に住んでいた5年間も実家では母と姉がヘルパーさんや施設の助けを借りながら介護をしており、なるべく長期休みの時には帰っていたし、オーストラリア留学も「向こうにいる間に死ぬかもしれない」という覚悟をした上での決断だった。今になってちゃんと気づいた。父親を実家に残し、東京から離れていることにずっと後ろめたさを感じていたのだ。ずっと東京の実家に、父の存在に引っ張られていたのだ。

父が亡くなる数日前に姉が私と母に言った。

「『大丈夫』っていう言葉は使わないほうがいい気がする。『大丈夫』って言っちゃうと、大丈夫な状態じゃないけど、大丈夫でいなきゃって思っちゃうでしょ?今私たちは大丈夫な状態じゃないから。」

多分、いろんな場面で感じていたプレッシャーとか辛さとかを「大丈夫」とか「もう長いから準備はできている」という言葉で気づかないようにしてきたんだと思う。英語で"We are ready for his death"って書いたこともあった。でも大丈夫じゃなかったんだ。自分の気持ちに気づかないようにする言葉には気をつけなきゃならん。

父が死んでからの時間を私は家族関係のデトックス期間であり、家族関係を再構成する時間だと感じている。父が、自身の死をもって「父がいることによって生じていた何か」を持っていってくれたのだ。これから新しい3人家族として生きていくことをそれぞれ始めなければならないのだ。

この日記を持って、私は2019年に置いていきたいことを置いていくことにする。父が亡くなっていなかったら多分これはできなかったと思う。父が、全て持って行ってくれるのだ。僕はそこまで心が強くないから、父の助けを借りて、忘れるべきことを忘れ、克服すべきことを克服していくのだ。Move on and let go.

さらば2019年。こんにちは2020年。母と、姉と、私という3人家族が2019年の終わりに新たに生まれた。3人家族の末子、長男として私は生きていく。


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