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ご近所付き合いという人間関係から   「自分と他人」を考えてみる



~最近の私のもやもや聞いてください~  「私ってこんなにも腹黒人間だったの?!」   

皆さんこんにちは、ソルトです。
私の最近のモヤモヤについて、お時間ある方は聞いてください(;^ω^)
私の中にあるこじらせの部分についての投稿なので、気分を害してしまう方もいるかもしれせんが、同じような環境の方にはそれ分かるかも~!って思っていただけると嬉しいな~。
今回は、自分の溜め込んでいる感情を外に出してあげようと思います。

 四月当初、私の近所でも、高校・中学の入学式のために新しい制服を着て、ご両親と出かけていく姿をたくさん見ました。
「ついこの間まで小学校にいた子が、こんなにも大きくなったのか。。」
また、ランドセルを背負った女の子たちがご近所から歩いて向かう姿も見かけました。

他所の子の成長はなんでこんなに早く感じるんでしょうね~~😲

みんな初々しさいっぱいでいいですよね~

しかし、私、、
「心から」のお祝いの言葉が言えないのです。。((+_+))

ランドセルを背負って入学式に向かうあるご家族と女の子に
他の人たちのように
『おめでとう~!可愛いね~!!』が心から言えないのです(;^ω^)
どうしても顔が引きつってしまう。。

なんでか全然、可愛いと思わえないのです。。
私って、性格悪いのかなぁ。。( ;∀;)
ランドセルを背負ってニコニコして
「みんな!見て~~!」という笑顔でこっちを見ている女の子を
優しい眼差しで心から
『可愛いね~!』と言ってあげられないのです。

もちろんフリでは周りの大人同様にはやりますが、、
私、どうしちゃったんでしょうか。。。( ;∀;)
もともとそれなりの常識をもった人間で表向きはやってきました。
ホントこんな奴ではなかったのですが。。

私って、ホントは自分が思ってる以上に腹黒いのかな~((+_+))
なんだかショックで。。
こうして最近、他人に腹黒感情を持つ自分にモヤモヤしています。

◇ 忘れられない象徴的な出来事

私の住んでいる地域は、規模の大きな新興住宅地で、
ほとんどの世帯が子育て世代。
私たちはその中でちょうど中間の世代に当たります。
少し上の世代は、私たちにとっては先にその地域に住んでいる先輩で発言権もあります。
うちは比較的新しく住み始めた組。年代様々ですが、ごく平均的な子育て地域だと思います。


そんな環境で、私が越してきた当初から感じていたこと。。

ここの地域の人たちは一見、、
皆さん大変まじめで良い人たち、親切で優しそうなのですが、、
(すみません、ここからホント私の主観です、、。)

なんというか、、ホントに人情というものが薄い。。のです(*_*)

顔は笑っているけど、実は
好き嫌いの線引きがはっきりしていて、
中には人を値踏みして「損得」でどの人たちと繋がった方がいいのかを考えて立ち回っている人もいる。。

私は、同じ「子育て世代」なら、持ちつ持たれず、助け合いながら和気あいあいとやればいいのになぁ。。と思っています。
そういう付き合いがしたくてわざわざ住宅街を選んで住んだのに。。

この違和感。。その土地柄なのでしょうか。。
思えば、私たちはここでは県外出身だしな。
東京から越してきた人も「この土地特有なのかな~人が冷たい。独特な感じがする」といっていたのを思い出しました。
やっぱり、そうなのかもなぁ。。
私には、引っ越し当初から、なんだかみんなニコニコしたお面を被った「狐」(昔話の様な人間を言葉巧みに化かす奴)のように見えました。

日々付き合う中で、ちょっとした違和感の積み重ね
・・・まさかね・・・。
え?今の、もしかしてわざとやったのかな(*_*)。。
と違和感が次第に不信感に変わっていきました。

この人たち、ニコニコしながら私に一線をひいてるし、なんだか見下してきているみたい。。そんなのが言動の端々から伝わってくる。。
そんな出来事が越してきてからたくさんあり、私はついに特定の数人に対して嫌悪感を抱くようになっていました。
また、それ以外の人たちも「波風立てないように。矢面に立たないよう気配を消す。うまく立ち回るが勝ち。何より自分たちが一番。」そんな思考・雰囲気が渦巻いていて、正直、地域の人たちをずるいな、、信用できないという気持ちを当初から抱いていました。。

疑いや不信感を日々抱いていたからか、、
挨拶をしても、挨拶を返してこない近所の小学生たちにもいい気持ちはしなかったですし、大人をみて態度を変えてくる子たちも本当に嫌いだった。。

子どもだし、まだ未熟なんだよね。
特に親しく付き合ってるわけじゃないのに「挨拶くらい返せ」っていうのはこちらの押し付けなのかな。。

自分の気持ちを抑え、頭で納得させて、表面上うまく付き合えるように目をつぶってきましたが、、
最近どうも、今まで我慢してきた自分の気持ちを無視できなくなってしまって(*_*)。。

今まで目を細めるように物事をボヤっとだけ見るようにして、物分かりの良い人を演じて理解しようと努力していましたが、、

でもやっぱり、、
小学生であっても、近所の人には普通に挨拶できますよね?(;^ω^)笑
時々小学校前を歩いていても見知らぬ小学生に挨拶をされることがあります。その子は「きっと同じ小学校の保護者なんだろうな」と思って挨拶してくれたのでしょう。そんな子も、いるんだしね。
それ考えたら、こちらが挨拶しているのに返さないとかありえない。。笑
明らかに顔を知っている近所の人なのに。。それはないよな。。とやっぱり思うのです。

心の中で(ホント、クソガキどもだなー)なんて思ったりしちゃってました笑
まぁ、私がそもそも嫌われてる説、、ってことなのかもしれませんが。。笑
そうであっても、、
これは親の育て方と地域全体の雰囲気だと思います。
何かの時には助け合うためのご近所・地域(自治体)なんですから、日ごろ義理でも挨拶くらいはすべきでだと私は思うのです。

それから、、ねちっこい奴と思われるかもですが、、(;^ω^)
今でも忘れられない出来事があるんです。。

越してきた1年目、下の二人はまだ2歳でした。
越してきた子たちや先輩方の子どもたちみんなで、外で遊んでいた時のことです。
うちの子のひとりが、親がリーダー格の一人の子とぶつかったのです。
相手の男の子はもう小学、うちの子はまだ2歳。。
ぶつかったうちの子はコンクリートに打ち付けられました。手をついたのでギリギリ頭を打ったとかではないのですが、、かなりの勢いで走ってきたその子にただ立っていたうちの子がぶつかったので、我が子はべちーん!!と結構な勢いで倒れこみました。

その時の光景を私は忘れません。。
私は、我が子が頭を打ってないことが分かったので、しりもちをついた相手の男の子にも大丈夫?!痛かったね!と声をかけました。
そこまでして、ハッと気づきました。
あれ? この男の子のママは ??
その子がしりもちをついたまま目線を送っている先を見ると、、
井戸端会議の中心に立ってこっちを見ているその子のママ。。
そして、そのママを囲んでいる他のママたちもこっちを見ていました。

当然みんな気づきますよね。
ぶつかってうちの子が倒れた時、かなり大きな音がしたもの。
私も危ない!!って叫んだし。

「気をつけなさい」
それで終わりでした。
その子からの「ごめんね」も
そのママからの「すみません」も
何もなかった。

ついでに、
周りの取り巻きの人たちの、何事もなかったかの態度。

うちの子を、
たった2歳のうちの子を、
あれだけの人数大人が見ていて
しかも、子育て真っ最中の母親たちが見ていて
誰一人心配も、一言の声掛けもなかった。

私はその時、一瞬にしてすべての異様な状況を把握しました。
またその時、一瞬にしてすべての異様な状況に混乱し、困惑しました。

そこでそのママさんに詰め寄って抗議もできず、複数の目を考えると情けないけど嫌みも言えず。。
グッ!!。。。と感情を飲み込みました。

家に帰った後、我が子がぞんざいに扱われたことが
とにかく、悲しくて、悔しくて、はらわたが煮えくり返りました。
私が嫌われているならそれでもいいけど、大の大人が小さいたった2歳の子にまでそんな態度をとるのかと。
その時、周りのすべての人間が嫌になりました。
そして、そんな人間ばかりの中、周りの目を気にして我が子だけを心配してひたすらかばってあげられなかった自分の馬鹿さ加減にうんざりしました。

そんなことがあっても、自分のプライドから、やられたことはなにも響いていないようなふりをし、にこやかに日常を過ごすしかなかった当時の自分と周りの環境にもずっと腹が立っていた。。

ただ、、
もともと、誰かにこびることは嫌いな私でした。
これからは、必要以上に下手に出るのはもうやめようと思いました。
ここの人たちには、仲良くやっていこうという気持ちで必要以上に丁寧に接する必要はないのだとわかりました。
つけあがるので意味がないのだなと。

ある一定の人には、最低限の常識範囲で義理は立てますが、その上で挨拶すら必要以上にしなくてもいいのだと思いました。
大して尊重もされてない相手に自分がペコペコしているようにしか見えていないからです。
相手の方々も私たちがいても極力気づかないようにしているのが分かりましたし、そこをあえて声こけなくてもよかったのだなとも気づきました。

嫌悪感を抱くような出来事が他にもいくつもあり、
私も「子育て世代=同志・分かり合える仲間」
ではないとようやく理解し、世間の現実というものを知ったのです。

私は理想を持ちすぎているのでしょうか??
私の考えが甘いのかな(;^ω^)
でも、、
みんながみんなそんな人間たちだとしたら
「世の中」ってホントつまらないなぁと思うのです。。((+_+))

挨拶をしない子どもたちは、きっとそんな大人たちの人間模様を感じ取り
「この人たちには挨拶をする・しない、態度を変える・変えない」
とか、くだらない価値観を身に着けてきたんだろうな、、と思ったのです。

だって、子どもたちがあれだけ集まっているのに、
いる子はみんなあつまれー!みんなであそぼー!
って無邪気な雰囲気では決してないんですもん。笑
子どもですよ!?笑
素直に純粋に育った子は、わざわざ他の子を選ぶなんてことをしますか??
フィーリングのあうあわないはあるだろうけど、そこにいればみんな遊ぶでしょ。子どもは敵・味方なんて始めから考えますか??
それを感じさせるのは、周りの大人・環境です。
この感じ、、
学校で、クラスの先生が生徒に厳しく意地悪だと、そのクラスの雰囲気は悪くなり生徒間でいじめが発生しやすいのと似てるなと思いました。

すべては、「大人」の影響です。

疑問を持ち、考えれば考えるほど、
この地域の人が大嫌いになっていきました。。

そんな背景があるからですね。。きっとそう。
文書を書きながら、なんだか気持ちの整理がついてきました。
私が「おめでとう」を素直な気持ちでいえてない理由、、
それは、、
日々過ごす中で、
私たちが近所に受け入れてもらえているような感覚と体感は全くなく、
うちの子たちが周囲から大事に扱ってもらった記憶がないから。
今までの、周囲への度重なる不満と不信感と嫌悪感からでした。

◇ 本当の自分

ここまで、
私の毒吐きに付き合ってくださった優しい方、、
本当にありがとうございました。。
過去のある出来事一つ一つについて、同じ状況でもとらえ方は人によってきっと違うでしょう。。
でも私は「そう感じてしまった」。。のです。
自分の中にただただ溜めているのと、こうして言葉で吐き出すのは全然違うんですね~(;^ω^)
勝手ながら、なんだかすっきりしてきました!笑

「人の悪口は言ってはいけない」と、自分の正直な気持ちまで押し隠していたのかもしれません。
そして、、
今まで自分は「良い人」を演じようとしてきたのかもしれません。。
私は本気で、「正しく清い人間である」。。と
信じたかったのかもしれません( ゚Д゚)

でも、当然のことながら、
私も聖人ではなく「人間」だった、、ということです 笑

嫌なものは嫌だし、
子どもだとしても、態度や底意地の悪い人間性が分かってしまい
それをこちらに向けられれば、
当然むかつくし、なんだこいつ大嫌いだなと思う。
大人だからって、すべて受け入れていい顔ができるというわけではない。
世間体的に常識の範囲で「いい大人」を演じてはいますが、
なぜこちらばかり、理解ある態度をとらなければいけないのか?と思ったら心の中は実は全然「いい大人」ではなかった。。笑

なので、
子どもといえど、ずっと変な態度をとっていたあの子たちが進学しても、、
自己中心な思考でずっと面倒なことは他人に押し付けきた
あのママたちの子が一年生になっても、、
私は、心からの素直な
「おめでとう!大きくなったね!可愛いね!」が出なかったのです(;^ω^)

何年も周りとうまくやるために、モヤモヤを抱えてきた正直な思いを
文字にすることで、あらためて「素直な本当の自分」が知れてよかったかもしれません。
本当の本当の自分は、、
『 我が子が一番かわいい、
自分の気持ちもいつでも大事にしたかった!
そのうえでみんなと仲良くしたい 』

のです。
それを思うって本来、当たり前のこと、なんですよね。

でも、家族のため子どものため周囲とうまくやっていくために、、
守るもののために、、
周りを優先させてるあまりベクトルが自分の外側に四六時中向いていると

いつの間にか、「自分の本当の気持ちを優先」できず、自分は後回しになってしまう、、
そして次第に自分の正直な気持ちに気付いても見ないようにし、最終的には気づくことすらなくなってしまうのでは。。と思うのです。周りとうまくやるために、地域での決まり事・当番事は上の子が進学前でまだ下の双子が小さい当時は大変なことでしたが、夫に協力してもらったり、県外の私の両親に来てもらったり、、それも頻繁には難しいので、自分の体調が悪かったとしても多少無理してでも周りに協力するためだと、なんとかこなしていました。
一方で、やらないようにうまく逃げたり、一切顔を出さなかったのにいつの間に作ったコネを使って自分の立場を確立している人を目の当たりにすると、とても嫌悪感にさいなまれました。なんてずるい人たちなんだと。。
大丈夫、私はこれで大丈夫。正しく筋を通しているんだから、、と自分に言い聞かせて、責任感を持つあまりいつのまにか自分の心と体に無理をさせてました。

本当の自分がいるのに、、
世間体を気にして周りの目を気にして、世間的に正しい自分を世覆って、外も内も美化していて、、。
自分はもうキャパを超え無理をしてるのに、
うまくいかないのは私がきっと悪いんだ、、
私が嫌われるようなことを何かしたんだ、、
周りより立ち回りが下手なんだ、、
と、さらに鞭打って自分のせいにしていました。。
それなのにさらに、、
なんだか周りから大事にはされていないようだけど、
自分の中がうまくいっていないくせに外面よく、相手が困ったときにはいつでも手を貸してあげようとしていて、、。

なんだか、、
いい人のふりしてたことにもういい加減、、
疲れちゃいました(;^ω^)


もう認めよう。。
私は「いい人」ではな~い!!
私は、腹黒人間です(´▽`*)!!ハハ~~

むかつくものはむかつくし、嫌いなものは嫌い、ズルされたらふざけるなと思うし好かれていない人に手助けはしたくなーい!
理解あるふりもしな~い!

だよな!笑
わたしの感情だって大事だもんね!
なんで他人を優先してたんだろう。
自分は誰が大事にしてくれるんだよ!自分しかいないじゃんねぇ!!


はあ~~~!すっきりした!!(笑)



~相手と自分の境界線を知る~

自分のモヤモヤを吐き出し、リアルな自分に気づくと、、
なんだか心のざわざわがとれて、少し冷静になった自分に気づきました。

そうなるとなんだか、起こってきた出来事が少しだけ俯瞰して見れるような気がしてきました。
なんか不思議なんですが、急に、、
もしかしてもっと多面的に見れるんじゃないかなとも思えられるようなってきたのです。
これって、もしや周りのせいではなく物事をとらえる自分の問題でもあるのではないかと。。

もちろん周りの環境というのは平等ではないと感じています。

ただ、、一つの出来事について、、例えば、
「周りに受け入れてもらい、うまくやっていきたい」
という同じ目的がみんなにあった時、、

そのために、
「一人で無理をしてでもまわりのルールに従い気を遣って立ち回る」という方法をとっている私。。
一方で、
「できるだけ責任や面倒を負わず極力自分の力は使わないように、力のある人を見分けてコネを作り立ち回る」という方法をとっているあるご近所ママさん。。

私から見ると、その人の「つながりを持ちたい人」と「そうでない人」の「接し方」が露骨に違いすぎているので、その人を正直「気持ち悪い」と思ってしまうのですが、、

私が素直な気持ちで自分のやり方を「正しいと信じて」そうしているように、、
もしかして、相手も何の悪気もなく、それの方法が「正しいと信じて」いて、全く私や周りにマウントをとってるわけでもなく接し方に差をつけているつもりが「ない」としたら??

と、自分と相手の立場をフラットにして、何のしがらみ・感情もなくして考えてみたのです。

いやいやそのママさん、フツーそこまで露骨なら「あなた達とは一線を引いていますので」というパフォーマンスにか私には見えないし(;^ω^)
と思ってしまうところですが、、(笑)
確かに思い返せば、それなりの態度や表情で、公では対応しています。
ただその端々に「ん??今のは??」ということがよくある。。
というか、毎回ある。。(笑)
他の方々と改めてそんな話はしないので、周りが何と思っているかは分かりませんが、私にはひかかって仕方がなかったです。
実際のところ、本当はどうなのかは分かりませんが、私には90%ぐらい意図的にやってると思っているけど。。笑(くどいwww)

でも。。

結局、本当のところは実はわからない、、。
「そう感じた」それは事実ではなく
「それって私の感想ですよね」なのです。(笑)

私は、相手の感情に人一倍敏感なところがあります。
小さい時から相手の腹の内で思ってることが本人より先にわかってしまうところがありました。だから時々「人」が怖いとも感じていました。
言っていることと、思っていること・やっていることが違う。
『信用したいのに裏切られる』そんな風に思うことが何度もありました。

でも、、
感じ過ぎるあまり、
私が相手に勝手に踏み込みすぎていたのかもしれません。

私は見えてしまう一つ一つに『私はやらないのに。なぜ?どうして?』と自分を基準とした善し悪しの物差しを同時に当ててしまっていたのだなと気づきました。
見えていること・見えてしまっていることは、それが真実かどうかは、始めから関係がなかったのかもしれません。

私がそうであるように「正しい・大切にしたい」と思っている信念の様なものは相手においても当然あり、、
例えば土や風土が違えばそこに適応して育つ作物が違うように、
ただただ、みんなが、自分たちそれぞれの環境に適応しようとしているだけのことだったかもしれません。

リーダー的存在だったご近所ママさんは、自分の子が思いきり私の子を弾き飛ばした時、今までの立場や周りの人たちの目が一瞬よぎり、新参者だった私に頭を下げることがとっさにできなかったかも知れません。
また、いつも自分の都合優先で、面倒が少しでもかかりそうな匂いがすると一番適任であっても逃げてしまうママさん、、みんなで請け負ってやるものに一度も顔を出さないのにリーダー的な人と過剰に仲良くしてサポートしてもらっているママさんは、もしかしたら自分のキャパを極度に過小評価して「私は子育てで精いっぱい、、せめて効率よく最小限人を選んで付き合う」と決めているのかも知れません。

私たちへの周囲からの失礼と思われるふるまいは、もしかしたらすべて相手側の事情・問題からであったと思えば、わたしは「何かしたのかな」「なんでこんな振る舞いをするの?」などとそれ以上相手に感情をもって踏み込む必要はホントはなくて、、

『きっと相手方に何か事情があって今この状況なんだな』
と、渦中から一歩離れてスッと自分と相手の間に境界線を引くようにする

これは、自分を守り且つ相手と程よく距離を保って付き合うためにの唯一の方法なのではないかと思ったのです。
そうすれば、上手に付き合うためにと周りの目や反応ばかり気にしていた私の意識は自然と自分に戻ってくるし、心に起こるはずだった大きな波はきっと小さくなるし、もっと大切な目の前のことに余裕をもって対応できるのかもと思いました。
まわりと距離を縮め仲良く付き合うためには、私は敢えて「人との境界線」を意識することが大事だったのです。。

~今回のまとめ~

子育て期間中の余裕のない私に必要なこと。。
①自分の気持ちをどこがに吐き出して正直な自分を認めること
②外と自分の間に境界線を引き、
自分に多面的な視点を持てる「余裕」を持つこと

言われればごく普通のこと、、。
でも、子育て中ってタスクが多すぎてどうしても日々冷静さにかけてしまいませんか??
環境が変わったり、子どもの成長とともに人間関係や付き合いが広がれば気を遣ったり、考えて行動する場面も増えます。
関わる人々すべてとうまくいくことは難しいのかもしれませんが、自分としては、できるだけ日々穏やかに過ごしたいものです。
でも、そもそも、みなそれぞれの事情や立場の正義に基づいて立ち回っていると考えていれば、何か食い違いが起きても波にもまれる水面ではなく、少し俯瞰した水の上から物事を見れて、スマートにやり過ごせるんじゃなかろうかと思いました。

まぁ、今日はそんな風に考えられた、、という話なのですが(笑)
明日はワカラナイデスネ(;^ω^)

以上、、ソルトでした(^ω^)
ではでは!




























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