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#家事分担で気付いた『夫婦間の認識のズレ』

こんにちは!
ソルトです。
日々の平穏らしき生活で、思うことや感じることを時々配信していこうと思っています。
さっそくのお題「家事分担」について、個人的に前々から思うことが満載でしたので、自分の主観・考えについて綴っていこうと思います。


私と我が家の背景

(ここは私の中で今の私につながるとても大事な内容なのですが、少し長いお話になってしまうのでそれが嫌な方はちょっと飛ばし読みしてくださいね)

私は今、専業主婦をしていますが、
以前は、フルタイムで働くワーママでした。
共働き、核家族、実家は揃って県外、という状況なので、家庭には大人が二人だけ、、その夫婦ふたりで同じ方向を見て協力をし合い、力を合わせて頑張っている若夫婦、、というのが私の中の当たり前で当然の構図でした。
しかしその当時夫は、自分のことで精いっぱいだといって家庭のことに非協力的で、実質まったく頼りになりませんでした。私からはむしろ「家庭から逃げ回っているよう」にすら見えていました。

余力があるときは、頼んだことはやってくれます。
ただ、私が頼まないとやってくれませんでした。
これだけ毎日、同じようなことを頼まれていたら、私がやってほしいことが何なのか、さすがにわかっているのではないか??
知っていて、分かっていてわざとやらないのか??
とすら思えてきて、彼の人間性に疑問と不満を募らせていく毎日でした。

そして同時に、とにかく私も時間に追われていました。一日目いっぱい働き保育園が閉まるギリギリに子どもを迎えに行き、帰ってから息つく間もなく今度は家の事、子どものこと、睡眠時間を削って終わらない家事をし、気絶するように寝て、まだ睡眠の安定しない我が子が夜中起きるのに付き合い、次の朝はまた早く起きて慌ててまだまだ準備のゆっくりな我が子をせかしながら保育園に送り、昨日と同じルーティンを一週間繰り返す。。
子育てしながら働くことにまだまだ理解の薄い職場だったので肩身も狭く、周りに気を遣いながらそれらをこなしていると、、
元々人より体力と忍耐があった私でも、何年も続けると顔から笑顔がなくなり、目に見えて疲弊していきました。

夫はその数年、帰ってきたと思ったら、お酒を飲み、出されたご飯を食べて、私の家事が終わるまで泥のように寝てしまいます。
彼も一日一生懸命仕事をしてきて、疲れていたのでしょう。。
それは見ていてもよくわかりました。
だから十年前の若かりし当時の私は、彼を気遣い始めは何も言いませんでした。

でも、、私も同じでした。
私も実は、気を抜けばぶっ倒れるほど疲れていました。

(若かったから、体力もかなりあったしね。もう頑張るしかなかったし献身的な可愛い妻ってやつをやってみたかったのかなーと、
思い返してみたり。。(´▽`*))

誰か、男と女では仕事の内容と責任が違うでしょう?とツッコミを私にしますか??
当たり前ですが、働いている以上私にも責任はあります。
私も楽な仕事ではありませんし、体力、神経を大いに使う仕事。
好きで選んだ仕事なので、仕事自体は大変でもやります。
でも、それって彼も同じ。好きでその仕事を選んでやっています。

ただ彼と違うのは、、
私は好きな仕事でも、結婚してからは子どものこと、帰ってからの家庭のことがあるからと、
ある意味一日の体力の余力を考えて働いていました。
もちろん、一人ではなく会社で働いていたので上司・同僚に迷惑はかけられないし、お客様がいることなので手は抜きません。いつも自分の最高のパフォーマンスを出せるようにと心がけて仕事をしていました。
でも、帰ってからもまた違う「責任」と「やること」が待っていることを頭の片隅においているので、独身の時にやっていたような
「帰ったら倒れこむようにそのまま床で寝てしまう」
というところまで自分を追い込むことはもうしないということです。

でも彼は??果たしてほんの少しでもそんな意識をもって仕事をしていたでしょうか??
私が見る限り、彼は変わらず結婚前と同じ生活で、子どもが出来てもそういった新しい共同生活における「責任・協力」の意識はないように感じてなりませんでした。

こんなこともモヤモヤと溜め込みながら彼の行動を何年も見ていると、始めは「家事への協力、家庭への協力」についてもっと意識を持ってほしいと伝えましたが、それが伝わらないので「訴え」に変わり、最終的には→『お願いする』ことすら、私が何を考え何を大事にしているかを『伝える』ことすら諦めてしまうようになりました。
というか、疲弊しすぎていて、、『伝えるために考える力』さえ残っていなかった。。
そんな自分になってしまうことがなんとなく分かっていたから、それまで何度も何度も、泣いてでも訴えていたのに。。
(ここまでになってしまうのは、双子が生まれて二年たったころですが。。)

ワーママをしながら事実上ワンオペで育児と仕事の両立の末、、そしてさらにその先に双子の妊娠・過酷な育児という展開が待っており、更なる精神的・身体的な負担も重なった私は、ついに体と神経、精神のバランスを完全に崩してしまいました。
とうとう体調不良により休職、、職場復帰を断念せざる追えなくなり泣く泣く退職。。
不本意ながら家庭に入ると、今度は人間関係、行動範囲、体力、気力など今までの『自分』とのギャップに落ち込みながら、色々な病院を通う日々を経て、今日に至ります。
専業主婦と言っても、私にとっては、この六年間は自分の体と向き合う「療養生活」のようなものでした。働かないのではなく働けない、、日常的な家事さえ一日かけてやっと行うといった状態でした。

長くなりましたが、、

こうして私は、
自分の意思に反して半ば強制的に大好きな仕事を辞め、専業主婦になり、家事、育児をメインにする日々が始まりました。
専業主婦になることでワーママと専業両方の視点を持ち、そこから様々なことで『比較』や夫と家庭を運営する上で色々と『思うこと・感じること』が溢れてくるのです。

これは長女が生まれ育休をとっている時から強く強く感じていたことですが、、
専業主婦になると、目の前にある家庭についての問題から逃げることも自分をごまかすこともできなくなるので、もう~~まじまじと実感し確信に変わっていったこと、、
「家事分担」の認識について、「夫と私」で、、
大きく認識のズレがあるのではないか??
というか、やっぱりズレていたんだな。。ということです。

私と夫の「家事分担」の考え方の違い

私が言いたいのは結局のところ、いわゆる、世の中の奥様方がよく愚痴を漏らす「何か手伝おうか?という声がけがそもそも間違ってる!」という案件のことです。

私も始めテレビ番組の街頭インタビューでこれを見た時は、、
「この声掛けは旦那さんに家事分担に協力するという気持ちがある」ことの表れで、それはとても素晴らしいことじゃないのか?と思っていたのです。
また、我が家で最も人手が欲しい時期に、妻がどう考えても抱えきれない事態に直面し、頭を抱え一人苦悩している姿を目の前にしていても、全く理解を示さなかった夫だったので、そんな言葉が頂けるだけでも、もう十分ではないかとも思ってしまったのです。

夫は「俺が外で働いているなら、家の事は基本妻の仕事」
という考え方であることは、聞くまでもありません。
外で働く夫・・・
今は療養中にいより仕事をしていない妻・・・
家の事は?・・・家にいる妻がやるんでしょう?
この構図は、容易に出来上がる仕組み。簡単なことです。
でもだからこそ夫からは「大変なら手伝ってもいいよ」という言葉になるのです。

しかし、ここで見落としがちな大事なこと、、
そもそも「家庭って妻(大人)一人でやり切れることなの?」ということです。
「家族」って「家庭」って一人主導でやることなの?ということです。

ん?また誰か、片親でやってる方もいるじゃん?
てあげ足をとってますか??
家庭を持っている方なら分かると思いますが、家事も育児も家庭全体の運営も、基本とても大人一人ではやりきれない、責任と量ですよね。
子どもの人数がいればなおさら。
だからこそ、そういった状況になればまた違った様々な手段と方法を考えるわけですが、、
ここではあくまで夫がいる私の見解の話です。

私の家事についての認識は、いざ専業主婦になってからの考えはこうです↓↓↓

そもそも『家事』って、家族のだれがやってもいいものではないでしょうか??

これです(笑)
ワーママもやって外で働くことの大変さも知っているし、家庭との両立の難しさも知っている上で出た私の結論。
家庭での家事・育児さらには家庭運営は、しんどさが全く違う。
どっちが大変という話ではなく、、
社会に出て働く仕事とは、なにか質が全く違うのです。
そして、そもそも誰かが一気に背負うものではないと思うのです。
だって、その家に住んで生活しているのは私一人ではないんですから。

確かに、比重の問題はあると思います。
家にいる時間の一番長い私は多くの家のことをこなすことができるので、状況的・物理的にはその役目はわたしに回ってくるのは、自然のことだと思います。

しかし家事と一言でいっても、よく世にいう『名もなき家事』というところまでは、その家事が、
❝ 何のためのものなのか ❞
❝ どうして必要なのか ❞
までを考え、必要性に気づいた人にしか見えてこないもの
だと思うのです。

例えば『ごみ捨て』について、
・家中のごみをすでにゴミ袋にまとめてある状態でおいてあるものをゴミ置き場まで出しに行く
・または、家中のゴミをゴミ袋に集めるところからスタートしてくれる
→ここまでが「手伝うレベルの人」の家事の認識。

『名もなき家事』を知っている人は、、
「ごみ捨て」とは、家の中のゴミ箱からごみを集めて→ゴミ袋にまとめ→ゴミ置き場にもっていき→最後は「各ゴミ箱に新しいゴミ袋をセットする」ところまでのこと。
だって、次にゴミをゴミ箱にポイするときに、ゴミ袋ないと捨てられないじゃないですか(笑)

考えたら当たり前なんですけど(笑)
家事とは家の事、人が暮らす限り続くもの、、一度やったら終わりではなく、次があるんです。
「手伝うレベル」という人って、その次を考えているのかな?と思うのです。
分かってるよそんな当たり前のこと!と言われるかもですが、分かっていてもそこまでやろうとしているかな?と思うのです。
その最後の工程が「ごみ捨て」の一部に含まれないのは、「そもそもそれが自分の仕事じゃない」と思っているからですよね。

夫は「ごみ捨ておねがいしていい?」と頼むと、キッチンにある大きなゴミ箱を収まっていたところから通路にドン!と出しっぱなしにし、蓋もガバッと空きっぱなし、ゴミ袋を出したら出しっぱなしで新しく大きなゴミ袋もセットしてないし、各所小さいゴミ箱にも新しい袋はありません。
「俺やったからな!」というアピールなのか?
「面倒を頼みやがって」という当てつけなのか?
と思うほど、その現場の自己主張がそれはもう強くて強くて(笑)
その時心からの「ありがとう」はわたしも素直に出てきませんでした。
仕事に行く日には、その主張の強い現場に数ミリの理解を何とか持とうとしてみるのですが、見ていると時間に余裕のある休みの日も同じなのです。

また、
食事のあと、私が子どもたちをお風呂に入れるからとキッチンの片付けをお願いした時も、シンクにある食器を食洗器に入れるのみ、、。
シンクに置かなかった鍋やフライパンはそのまま、、テーブルに残されていたおかずの残った大皿、調味料類は出しっぱなし、、。
子どもたちを三人入れ終え、お風呂から出てきて「え??」と思っている私と対照的に、彼はソファーでスマホでゲームをしていてリラックス状態でした。その時間があるならもっと片付けられることがあるだろうに。。

他にも挙げればこんな案件は数知れず。。
「それって、奥さんがちゃんと頼まないのがいけないからじゃない??」
またまたXのアンチコメントみたいな声も聞こえてきそうですが、、(笑)
私から言わせてもらえば、それって頼まないとわからないことなの?と思ってしまうのです。

え?だってあなたもゴミ捨てるよね?ごみ捨てる時に袋セットされてなかったらチッって思わない??
いつまでもテーブルが片付かなかったら気にならない??
それって誰がやるの?誰にやれって言ってるの?自分がやらない理由は?
ここはホテルか??レストランなのか??
ここは自分が生活している「あなたのおうち」ですよ((´∀`*))??
じゃなに?私専門の仕事なの??私はお手伝いさんですか?いつそんな契約をしましたっけ?お手伝いさんがいるほどこのうちはセレブでしたっけ??
と、言いたい。言いたいよなぁ、いわないけどね、いちいち。。

すべてのご夫婦、男女に当てはまるわけではないのは分かっています。
「夫は外で働いている。それなら当然家にいる私が家の事は頑張らなくては!!」そんな潜在的な意識は、私にも始めはありました。
もちろん、現実的に考えれば家の仕事の大部分はそうなのです。

仕事には労働時間の上限がある。決まった時間まで働いて、それを超えれば残業扱い、それに伴い報酬も変わります。
正直、私は仕事をしていた時の方が、労働の成果が自覚できることや気持ちのON・OFFの切り替えなどで生活にメリハリがつくので、時間に追われてはいたけど、結果、精神衛生上よかったなと思いました。
家庭に入りどっぷりと家事・育児をこなしていると、、
あれよあれよと「家の全般は私が背負う」という構図になっていきました。
家族が起きる前から寝た後まで、、何なら子どもたちに夜中起こされるということでは寝てる間も神経は休まっておらず、、OFFの切り替えがゼロに近いこの状態は、疲弊して余力もなくなってくると私にとっては終わりのない地獄となりました。。

この現実はもはや「夫婦が協力して家庭運営している」とはいえないです。
家庭内で夫婦が機能していない。。
夫にとって「家事分担」というものは意識レベルで皆無だったのです。

夫→家事育児・家庭運営に関しては基本的に妻がやるもの、時々手伝う。
私→家庭に関わることは、それぞれの比重は変わるものの、意識は同等。

頼み方、協力・分担の仕方云々の前に、、
お互いの根本的な「家庭に持つべき意識」がズレていました。。

「できる方がやればいい」の落とし穴

そうなる前に、なんで初めに決めておかないの?夫婦といえども他人同士なんだから、しっかり決めておかなくては!!
はい、、その通りです。。
その通りなんです。詳細まで決めておけば。。でも実際は、現実がうまく回らなくなってからようやく見えてきた問題なのです。

私たちは結婚する前に、どんな家庭にしていきたいかお互いの価値観を話したことがありました。
お互い結婚しても仕事を続けることや子育てについて、そして、共働き家庭として家事はどうするか。
その時、夫は「俺はね、その時その時でできる方がやればいいと思うよ」
と提案してくれました。
おぉ!臨機応変に夫婦で連携をとっていくなんて、なんて素敵なの!と私は思いました。相手を常に意識して思いやりをもって「気が付いた方が」行動するってことだよね!その時の私はてっきり自分の都合よく解釈をしてしまいました。。
「できる方が。。」これは罠だったのです。。(笑)

実際はどうでしょう、、帰ってきて夫はすぐ寝てしまいます。。先手必勝!起きている私が❝できる方❞となったわけです(笑)
やられました。
当時結婚にウキウキだった私にはこんなしんどい現実は想像できなかった。。(笑)
「できる方が→相手を思いやり気付いた方がやる」ということを実行するには、二人が同じように相手を思いやり足並みがそろったうえで、家庭の中で発生する仕事のすべてを知っておく必要があったのです。。。

今考えれば、夫に当初からそこまでの覚悟と責任感、相手への思いやりがあったあったとは思えません。
しかし当時の私は、基本的には何事も話し合えば解決すると信じていました。。
ただし、話し合いが通用するのはある程度同じ常識を持っている人か、本気で相手も改善を望んでいる場合だということを私がしっかり分かっていなかった。。
まさか、、信頼してパートナーとなる人物が、最強に話し合いが通用しない相手だとは思いませんでした(;^ω^)
相手はきっとそんな気はないのだけれども(彼は全く悪気もなく自然体で生きているだけ生活しているだけだし)、、私には自分の懐に最大のアンチがいるようで恐怖すら感じました。自分を内側から壊しにかかってくる人に見えたからです。。

これは、、ホントに、、根本的な改革が必要だ。。と思いました。
文章にするとたった一行だけど、、相当な覚悟と根気と年月がかかることは
それに気づいた瞬間すでに見えていました。
とにかく途方もない。。
私が途中でどうにかなってしまう恐怖もありました。正気を保って生きていられるだろうかと。。(ほんと大げさではなくて)
始めからここまで読んでくださった方は察していただけるでしょうか、、
精根尽き果てていたボロボロのわたしが、これを覚ったときの絶望と、それでも自分を保っていくために改善を懇願する私の気持ちが。。

家事分担について考え気づいたことについては一旦ここまでにします。
かなり思いの丈が入ってしまい、長文になってしまいました💦
次回投稿で、夫婦間の意識のズレについて、自分なりの解決策を綴っていきたいと思います。

ではでは(´▽`*)




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