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映画『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』感想&考察

夜きみ映画を鑑賞した直後、スマホのメモに色々と感想やら考察やらを書きなぐり、そのうちちゃんと文章にまとめよう…と思っていたのですが、そのうちそのうち…と思っているうちにもう公開から3週間も経ってしまいました。時の流れの早さよ…

このままでは公開が終わってしまいそうなので、書きなぐりのお見苦しい雑メモ状態ですが、つらつらと並べていこうかなと思います。
(本当にめちゃくちゃ乱雑で順番もぐちゃぐちゃで見苦しくてすみません…)
そしてセリフなど記憶頼みなのであやふやで、細かいところは違っているかもしれませんが、ご容赦くださいませ。

あと、原作者としてではなく、普通に一鑑賞者としての感想&考察です(笑)

※もちろんがっつりネタバレしてますので、未読や未鑑賞の方はご注意くださいませ。

ネタバレじゃない感想としては、観た方はみんな同じ気持ちだと思うのですが、
とにかく最初から最後まで画面の隅から隅までひたすら美しいものしか映っていない映画なので、美術とか綺麗なものが好きな方はぜひぜひ!


【以下ネタバレ感想&考察】

冒頭、茜が桜の花びらをつかもうとしているシーン、すごく象徴的でいいなと思った。心の中は無邪気な少女なんだと分かる。でも青磁に見られていたと分かった直後に、おりこうさんな優等生の仮面をかぶって取り繕う。解放されたい、自由になりたい、でもなれない、葛藤がいきなり伝わってくる。

青磁はこのとき、ずっと会いたかった茜に『やっと会えた!』と喜びいっぱいで茜って呼びかけて、
「俺、お前のこと、――ずっと好きだった」
って告白しようと思ってたんじゃないかな。(だから遊園地のシーンで思わず「告白されるとでも思った?」って言っちゃったのでは、と推察。墓穴ほってる笑。)
でも茜に忘れられてると分かって悔しくて悲しくて、告白なんてできるわけがなくて、苦し紛れに、
「俺、お前のこと、――大っ嫌い」
って言い換えちゃったんだね。(不器用すぎだろ。)

茜が夜に淹れているお花のお茶、最初は青色で、花の赤色が滲み出して、青に赤が混じっていく、まさに朝焼けみたいな色のお茶。世界観に合いすぎててびっくりした!

茜の自室からリビングまでの移動とか、お父さんの誕生日祝いのシーン、画面がぐらぐら不安定に揺れたり、妙に暗かったり、ちょっとホラー映画ぽい(これから出るぞ!みたいな)演出で、茜の精神状態の不安定さを表しているんだなと感動。あと、青磁が夜の学校の廊下を見つめるシーンはもう完全にホラーで、怖いの苦手なのですごくどきどきしました。

お父さんは茜のこと大事に思ってるし心配もしてるけど、自分からは行かないで茜から心を開いて歩み寄ってくるのを待ってる感じ、茜を信じて見守ってる感じがいい。いくら親でも言われたくない踏み込まれたくないことがあるのも理解してて、娘のこと心配で口出したくなるお母さんをやんわり止めてるのもいい。やんわり、がポイント。本当にいい父親だしいい旦那さん。

美術の授業で、他人から見た自分のイメージを書いてもらうやつ、『いつもニコニコしてて人当たりがいい』と書かれてるのを読み上げる茜のところ、久間田さんの演技がすごい。褒められて満足げなのが伝わってくるし、なのに嫌な感じがしない!
ふつうだったらめっちゃ嫌なやつになるのに(実際原作では『しめしめ、上手く騙せてるな…』と考えてる嫌な性格)、ここで嫌なやつと思われたら映画を観てる人から反感を買って感情移入してもらえなくなりそうなところを、久間田さんは爽やかに演じている。むしろ『その気持ちわかるよ…』って共感を呼ぶ演技、すごくないですか??

クラスの生徒たちを演じた役者さんたちも皆さん本当にお上手だと思いました。何回も「あーこういう子いるいる!学校の解像度高い!」と思いました。明るくてノリのいいお調子者、それを見てにこにこ笑う子、全然興味なさそうなマイペースな子。いろんな子がいる。あと茜に対しても皆そんな悪気なく、ただしっかり者の茜に甘えちゃってるだけで、でも茜に切ない思いをさせてしまっていて、歯がゆい。みんな普通にいい子なだけに、茜も怒りのやり場がなくて苦しいんだよね。

青磁は茜に昔の自分に戻ってほしくてわざときついこと言うんだよなー。茜の気の強さ、反骨精神?を知ってて、好き勝手なこと言われて泣き寝入りするようなやつじゃないって分かってるから。あとたぶん(俺のこと忘れやがって…)の恨みもちょっとあって、きつい口調になってしまうのもあるんだろう。

文化祭のダンス練のとき「悲劇のヒロイン気取ってんじゃねえよ」と言われたときの茜(久間田さんの演技)最高ですよね、めちゃめちゃ目が怒ってる、必死に怒りをこらえてる感じで、「なんでもない」の言い方もう気の強さ全然隠せてない(笑)
相手に強く出られると強く返してしまう茜。だから青磁の前でだけは素がちらちら出てくる。
(追加)美術の授業のあと紙飛行機とばされて暴言はかれたときも、よく見るとけっこう隠しきれてない気の強さが目線に出てますね。めっちゃムカついてるのが伝わってくる。

張りつめて限界だった茜の心を溶かした青磁の絵、破れたフェンス越しの空。これ素敵すぎて…!
ありのままの自分を閉じ込めた檻の中で、『向こう側に行きたい、檻を破りたい、でもできない』って気持ちを表しているのかな。それは青磁の気持ちでもあり、茜の気持ちにも重なる。
そしてフェンスについた水滴は涙にも見える。

この水滴、よく見るといろんなものが映ってる。もしかしたら原作の水鉄砲のシーンから引き出してくださった要素かな?
映画は時間の制約があるから原作のシーン全部は入れられないけど、ビニール傘のシーン(後述)とか、キーポイントになるところはちゃんと他の形にしてでも取り入れてくださっているのが嬉しかったです。

屋上でふたりで過ごすようになって、嬉しさを隠しきれない青磁、明らかに表情も口調も穏やかになってる。そして「いちばん綺麗だと思ったものは?」って聞かれて、よくぞ聞いてくれましたって感じでちょっと嬉しそうな、思い出し笑いしてる、『まあ俺からは言わねーけどな』って思ってそう。

恋に落ちた瞬間って、小説だったら心の中の言葉でいくらでも書けるんだけど、映像だと難しいよなと思う。夜きみ映画では、恋とか好きとか愛とか言葉はまったく使わず、表情や目線や仕草、いつもは塗らないリップグロスを塗る、しかも濃いピンク色を塗ることで表していて素敵。

青磁「言いたいことは言ったほうがいいよ」
沙耶香「言いたくないことは言わなくていいよ」
対比が鮮やかですよね。
溜め込んでいるのが苦しくなったら言えばいい。
まだ言いたくないなら言わなくていい。
言うも言わないも本人の選択。自分の心とよく相談して、自分の心は自分で守る。

沙耶香と茜が仲直りしたあと、沙耶香に「最近つけてるそのマスク可愛い」と言われて茜は嬉しかっただろうな。青磁が選んでくれたマスクだから。
あと、ここで茜と沙耶香の間でマスクの話題がタブーじゃなくなったのもいい。これまでは沙耶香はマスクのこと気になってても茜を気遣って言えなかったんだろうな。優しい子だ…。

私はエアドロというものに対して、知らない人に変な写真を勝手に送りつける痴漢のニュースで知ったので(失礼)、なんだかマイナスイメージがあったんだけど、夜きみ映画のおかげで胸キュンイメージで上書きされたのでとてもありがたい。

玲奈ちゃんのおままごと、フライパンじゅーじゅーしながら「キャンディーのせて〜」って言ってて、お菓子つくってるのかなと思ったら、まさかの「今日のメニューはハンバーグです!」に笑った。キャンディーのせハンバーグ、斬新すぎる(笑)

夜の教室でふたりで話すシーンの青磁、あまりにも見事な銀髪でびっくりした。白岩さんの透き通るような肌の白さもあいまって、月光の化身?と思うくらい。そして久間田さん茜の内側から輝くような明るい色白さは、太陽の化身って感じがした。

小学生のときの青磁、めっちゃ女の子みたいな顔で小柄で超かわいくて、だから「せいちゃん」って呼ばれてたんだろうな。あと青磁の綺麗な色のペンを盗った女の子、たぶん青磁のことが好きだったんだろうな…。ちょっと困らせてやろうと意地悪したのかも? と想像したり。

青磁的には、『茜はもう自分のこと思い出してくれない、茜が思い出したくないなら思い出さなくてもいいや』と諦めて、とうとう自分から過去の話を持ち出したのに、まさかの「せいちゃん!」と呼ばれてめっちゃ恥ずかしかっただろうなー。

青磁が茜に八つ当たってしまったシーン。たぶんそのときちょうど青磁は未来のことを考えて不安になってて、そんなときに進路のことを言われてしまって、かっとしちゃったんだろうな。
「黙れ、知ったフリすんじゃねえ、お前に俺の何がわかるんだよ、勝手に歩み寄るな」
このセリフはたぶん、茜の前では強くてかっこいい自分でいたくて、だから弱い所かっこわるい所を知られたくない、これ以上踏み込まれたくないって気持ちが高まってぶつけてしまったんだよね。

だからこそ最後の屋上シーンで、真っ暗な夜空を見て、夜明けが来るなんて思えないっていうセリフは青磁の弱さそのもので、茜に弱さを見せられるようになったんだなと分かって尊い。

(これは原作者としての感想)ビニール傘に絵を描くシーン、たぶん尺の関係で入れられなかったところをすごく頑張って屋上ペンキぶちまけシーンで取り入れてくださってるんですよね。ありがとうございます!嬉しい!

サントラの曲タイトル見てて気づいたんですが、お互いを救い出すシーンでかかる曲、
Sunlight Prince(太陽の王子様)
 =世界を眩しく照らす鮮烈な光=青磁。
Moonlight Princess(月光のお姫様)
 =暗闇を明るく照らす優しい光=茜。
すばらしすぎるタイトル!ありがとうございます!
茜にとって青磁は光で、青磁にとっても茜は光。

冒頭とラストのリンクがすごい。
冒頭シーン=廊下で茜の後ろ姿を見つけた青磁、優しく「茜」と呼ぶ。茜は作り笑いで困ったように「深川くん?」と答え、青磁とても悲しそう→怒る。
ラストシーン=画廊で茜の後ろ姿を見つけた青磁、優しく「茜」と呼ぶ。茜は振り返り、とろけそうな満面の笑みで嬉しそうに「青磁」と呼び返す。よかったね青磁…!

あと、5年後に画廊に飾られてる青磁の絵、だいぶ作風が変わってる感じがして、彼の5年間の頑張りと変化と成長が表現されててすごい。

青磁と岡崎先生の関係(妄想)
岡崎先生と青磁、ただの顧問と生徒の関係には見えないので、たぶん昔から知り合いだったんじゃないかな。たとえば小児がん関連の集まりとかで(先生、小児がんサバイバーについてよく知ってるみたいだったので、きょうだいが患者だったとか…)先生が大学生の頃に小学生の青磁と知り合っていて、青磁に絵を教えたんですよね。そこで青磁は絵を描くことの楽しさを知った。
中学生になり、尊敬してる岡崎先生が色葉高校で教えているのを知り、だから青磁は芸術コースがあるわけでもない普通科の色葉高校を受験したんでしょうね。
そして先生は子供の頃の青磁から好きな子=茜の話を聞いてて、ふたりのことを知ってたんじゃないかな。そしたら色葉高校に青磁と茜が入学してきたので、おおっ運命の再会じゃん!と勝手に嬉しく思ってた。
茜と青磁が仲良くなったころ、茜が美術室に来たとき、何も言ってないのに青磁に会いに来たの分かって「あいつなら上」と教えてあげて、見送りながらちょっとにやにやしてるの、よかったじゃん青磁やっとだな…って思ってそう。
それで二人はてっきり付き合ってるものだと(茜はもちろん青磁のこと覚えてて病気のことも知ってるものだと)思い込んでて、だから茜に青磁のことを説得してと頼んでしまったんだけど、そのときの茜のぽかんとした反応を見て、あっ知らないんだ!と自分の勘違いに気づき、慌てて「聞かなかったことにして。忘れて…」と。たぶんあとで青磁にめっちゃ謝ったんじゃないかな。
クライマックス、茜が青磁の病気のことを知って心配して青磁を探しに来て色々教えてあげたシーン。「じゃ、映画観てるから」とあっさり話を切り上げたけど、飛び出した茜の背中に「がんばれー!」と声かけて、ほんといい先生だ。

茜がなぜ色葉を選んだかというと、たぶん家から近いから。お母さん大変だし玲奈もまだ小さいし家のことを手伝わなきゃと思って選んだ。
茜はお母さんと二人暮らしの期間が長かったので、家のことを手伝うのは当たり前と思ってたんだろうな。それにお母さんの喜ぶ顔が嬉しくて、子供の頃から積極的に手伝っていたから、お母さんもかなりそれに甘えてしまっていて、申し訳ないなと思いつつも忙しいと茜に頼んでしまうのが良くないんだけど…。(お父さんは茜にやらせるのは良くないよな…と思いつつも自分も仕事があり、店にいる時間が長いので代わってやることも現実的に難しく、任せてしまっている。)

茜のお母さんとお父さんのストーリー(妄想)
お母さんは離婚する前に元旦那とかなりごたごたして大変で仕事も忙しくて毎日へとへとで、もう無理ってときにたまたま入ったのが現旦那(お父さん)のカフェだった。あったかいコーヒーとおいしい料理に癒やされて、それ以来ときどき通うように。
お父さんは実は以前から仕事に向かうお母さんのことをカフェの窓から見てて、なんて綺麗な人なんだろうと思っていて、店に来てくれたときはすごく緊張した。食べ方も綺麗だし、毎回笑顔でありがとう御馳走様と言ってくれるし、いつも仕事がんばっててかっこいいなと思っていて、お母さんが離婚成立したと知り、勇気を出してアプローチした、とか。
いやでも幼なじみ設定も捨てがたいなー。お父さん昔からずっと片想いしてて、でも仲良しだからこそいい友達ポジションでしかいられなくて、友達として茜の成長も子供の頃からずっと見守ってたとか…(妄想です)


【まとめ】
映画は総合芸術と言われますが(言われますよね…?)、私の見解では映画においては映像や音声がメインで言葉は添え物みたいなものだと思っていて(むしろ言葉で語りすぎる映画は説明的になるのであまり好きじゃない)、
そういう特性の媒体で、小説という言葉だけで書かれた物語を原作にするのってすごく難しいと思うんですよね。小説をそのまま映像化するのは難しいし、そのまま映像化しても『映画』にはならない、良い作品にはならない。
逆もしかりで、映画のノベライズも、ただセリフを文字化したり役者さんの演技を言語化しても『小説』にはならない。色々補足しないと、たぶんすごく味気ない作品になる。
それくらい映画と小説は根本的にまったく違う芸術だと思う。
そして夜きみの原作小説は(というか私が書くものはだいたいそうですが)主人公が心の中で思っていること考えていることをつらつらつらつらと地の文で独白していることが多くて、そんな心の声はもちろん口にも表情にも出さないので、それを映像にするってすごく難しいと思います。ずっとモノローグをつけるわけにもいかないし。
そんな中で、夜きみ映画は、原作の世界観や各シーンの要素を大切に生かしていただきながら、酒井監督の芸術性や個性や世界観を遺憾なく発揮して、たくさんスタッフの皆様のご尽力(学校やカフェのロケ地探しとか、茜の家や部屋のインテリアとか、すばらしすぎる青磁の絵とか、映像に合い印象的すぎる音楽とか、時間との戦いな夕焼け朝焼けの撮影とか…)も加わって、まさに『総合芸術作品』になっていると思いました。
そして久間田さんと白岩さんの透明感や儚さ美しさ、まさに茜と青磁を体現したようなビジュアルと表情と声色によって完成されたんだなと。
それと、小説ではあれだけ声に出さず心の中でいろいろしゃべってるのに、映画ではモノローグが一切ない、のに本音がしっかり伝わってくるってすごくないですか??久間田さんも白岩さんも本当に演技がすごい…

『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』は、私にとって転機となった思い入れの強い作品で、たくさんの読者様に好きだと言っていただけた作品で、そんな大事な物語をすばらしい映画にしていただけて本当に嬉しいです。
映画の製作に関わってくださった皆様、映画を観てくださった皆様、そして読者の皆様、本当にありがとうございました!


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