はじめてのソーシャル〇〇〇
ソーシャル・ディスタンス【社会的距離】
子たちにもすっかりおなじみのソーシャル(social)という言葉。修飾する名詞がdistanceっというだけでめちゃくちゃカッコイイ気がする。
そう感じる理由…それはきっと、私の知ったはじめての「social〇〇」がsocial window だったからではないかと思う。
【ソーシャル・ディスタンス】
すごく分かり易い、謂わんとしていることが。
そして、好きだ、この言葉、その概念。 誕生の背景はともかく、ウェルカム新時代。
初めて耳にしたときそう思った。
ソーシャル・ディスタンスを保って…とか、なんやかや気遣いして…。 「そうしてでも会いたい!」と感じる人を大切にしたいし、めっちゃ大切に出来る自分でありたいと思う。
直接人に会うという「空間」も「時間」も余すところなく味わわなーと思う。時間の使い方が常に課題である私に大きな気付きを与えた。
ソーシャル・ネットワークソーシャル、(ソシアル)ダンス、ソーシャル・ビジネス、ソーシャル・メディアetc.
賢そうな堅苦しそうな言葉の印象が強い「ソーシャル」さん。一変して親近感満載にする被修飾語を私は知っている。冒頭に登場した「ウィンドウ」さん、その人だ。
学生時代、友人が【直訳】した「ソーシャル・ウィンドウ」すなはち「社会の窓」である。ズボンのファスナーが誤ってオープンになっている時に使う言葉だ。
【社会の窓=social window 締め忘れたズボンのファスナーの比喩表現】
ここでまず賞賛すべきは、そもそも「社会の窓」と表現した人物のセンスであろう。もう!好き!
その日本語の深淵さと、英訳のアホっぽさの対比がたまらん。 「あ、そういえばその時、僕のソーシャル・ウィンドウが…」ってめっちゃ賢そうに喋っときながら、内容は「ズボンのチャックあいてる。」ないし「パンツ、見えてる。」を伝えるのみというギャップ萌えたるや。
ふと思い出すとずっとニヤニヤニヤニヤしてしまう。電車の中でオープンな殿方を発見し、脳裏に横断幕がかかるが如くよぎる「ソーシャルウィンドウ」の文字…。不覚にも吹き出してしまったことがある。
今、「そーしゃる・うぃんどう…」と口にしても残念ながらさほど愉快ではないのだが、やたらと笑える日というのは、おそらく機嫌がイイ日だ。 (ザックリだな、おい)
なんか今日気分エエな♪ 思ったらそっと呟いてみよう「ソーシャル・ウィンドウ…」と。その日のゴキゲン度がわかってしまう魔法の言葉を。
世界保健機関(WHO)がソーシャル・ディスタンス【社会的距離】からの言い換えを推奨している「フィジカル・ディスタンス」【物理的距離】 こちらも分かり易いけれど全然定着してない印象。
ソーシャル・ウィンドウ由来の「ソーシャル贔屓」な潜在意識が、「フィジカル」の定着を妨げている…そんな風に考えるのはいささか雑であろうか?
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