汐見彩

主にTwitterでのつぶやきを膨らませて書いてみようと思っています。 どうぞよろし…

汐見彩

主にTwitterでのつぶやきを膨らませて書いてみようと思っています。 どうぞよろしくおねがいします。

最近の記事

思い出は紡がれゆく

半世紀超の長寿番組 NHK おかあさんといっしょに登場する着ぐるみキャラクターの名前およびコミュニティ名(にこにこぷん、モノランモノラン等)は、なんやかや生涯を通して知っている知り続けているものだと思っていた。 自分が【ブンブンたいむ】を卒業し(正味、覚えてない) 近所の赤ちゃんの子守りのときには【にこにこぷん】を一緒に観て モラトリアムの大学時代は【ドレミファどーなっつ】を観たくもないのに観る 目に入れても痛くない甥っ子(いや、痛い。んなもん)とは【ぐーチョコランタン

    • そして“母“になる

      向日葵(ひまわり)が好き!な人にちょっと憧れがなくもない。 ポジティブで明るくてキラキラしている きっと笑顔で周りを照らす向日葵みたいな人なんだろうな… 北斗晶さんみたいに(お好きだそうでーす🌻) でもってこの数日、我が家には向日葵がいけてある。 長女が「ヒマワリが一番好き」と知ったのは誕生日の少し前。 幸い季節にフィットしているので近所の花屋で所望し飾っていたと言うわけだ。 そして長女の誕生日当日、彼女はクラスメイトの男子生徒から呼び出しを受け ひまわりの花束をもら

      • 「社交辞令=マウント奪取」は思考のプロセスエラー?

        以前、「承認欲求」という言葉を覚えたとき、まずは自分の承認欲求を恥じた。けれど、承認欲求もそんなにわるいヤツじゃないと気付いた・・・ということを書いた記憶があります。ただ、ここnoteではなかったかな…。 お察しのとおり今回の掘り下げワードは「社交辞令」でーす。 私は「駆け引き」とか「社交辞令」がホンマにきらいです。なんて言うか、小馬鹿にされている気分になるからが大きな理由のよう…というのも、社交辞令を素直に間に受けていた自分に気づいたことから「怖っ!」「やばっ!」「チク

        • 豚汁作りました

          今日はホンマにただの日記。 最近、知人のツテで少しずつ始めた在宅ワーク。今日も打ち合わせをすると、思いの外どばっと仕事が増えてワナワナ…。これを嬉しい悲鳴と言うのだろうか?言うべきだ。 打ち合わせが終わってから子達が帰るまでに1時間半ほどあり、帰宅までにヒトツ片付けよう!とPCに向っていた。 なんでなんだかPCの調子が悪くなるんだ、これが。「今まさに勝負!」という時に限っての不調。脇汗かいたわっ。 このまま集中を切りたくなくて、ついに長女に新メニューの調理を依頼すること

        思い出は紡がれゆく

          自分で自分をほめたい

          自分はとても怠け者だと認識している。 学生時代に部活をしたこともなく、好きな仕事に就いて情熱を傾けたこともない。何かにつけて「マジメだけど真摯じゃない」というか、自分の内なる情熱にしたがってことを成したことがないと言うか…「やらされている感」が付きまとっていたように思う。 「私、がんばった!」 そう断言できる経験がなかった。バルセロナオリンピックの女子マラソン。銀メダルを手にした有森選手が「自分で自分をほめたい」と涙を流した時、私はその10倍の涙を流した。 その頃は深

          自分で自分をほめたい

          赤ちゃん

          赤ちゃん

          忘れ物が多いから一軒家に住みたい

          我が子の小学校へ行く用事があって外出した。 平日は家族に任せるごみ捨てを祝日に自分で行った1回を含み、2021年5回目の外出だった。5,6日に1回しか外に出てない計算になる。結構少ないな。子どもが幼稚園の頃は平日はとにかく毎日お迎えに行っていたし、こんな風に引き籠ることが出来る悦びを噛みしめる。 「生協さんありがとう。Amazon・楽天及びネット環境ありがとう。宅配業者さんありがとう。太陽光は窓からだけで充分です!」 こんな話をすると「自粛警察の一味」と思われかねないか

          忘れ物が多いから一軒家に住みたい

          結局は「ありがとう。」

          最近はいろいろと昇華された感がある、一昨年の父の急逝。 生まれて初めて父の居ない世界を生き始めた昨年はグラグラのブレブレだった。乗り越えた…と思いきやドッと落ち込む日があったり、そうかと思えば泣いている傍からなんだか笑えて来たり…。 ともあれ、最近は波がさざ波になったようでとても心穏やかだ。波の高さが低いから、天空からザッパンザッパン水が打ち付けない、痛くない、そんな感じの日々だ。 少し前までは台所に立って集中していると特にダメだった。無心に手を動かしている間に如何に自

          結局は「ありがとう。」

          エンストは気の迷いから

          今年こそはペーパードライバー講習を受けよう!と思っていたけどもう1月も25日。とりあえずそれは横に置いて(←)かなりどんくさい私が、MT車で、なんと補習ゼロで取得したあの輝かしい日々に思いを馳せてみた。 実技初日、担当教官曰く私は乗車するなり嬉々として見えたそうで、 教:「そんなに嬉しいですか(^-^)」  私:「はい(^▽^) この巨体を操る雄姿を両親に見せたい

          エンストは気の迷いから

          おしゃべりと寿命の関係

          「10分ほどでイイから、おしゃべりやめて、しずかーにしといてくれる?」 耐えに耐えた末、3人の我が子達に懇願することがある。       「母にしばし静寂の時間をおくれ!」と…。 「ちょっとだけ黙っといてくれる?」 これは新婚時代、父が母に行った言葉だそうだ。酷似!父が仕事から帰ってホッとしたところに、待ってました!とばかりにマシンガントークする母…目に浮かぶ。父のことだから努めて優しく伝えたとは思うが、新婚時代に夫からコレを言われたら…母はさぞがっかりしただろうな、な

          おしゃべりと寿命の関係

          強い人と弱い人

          自分のことを「弱いなぁー」と疎ましく思う時、そして疎ましさのピークに達した時、その弱さをどうにかするために、一見「強い人」の存在を、私を含む「弱い人」は求める傾向にありはしないだろうか。私はこの数年を振り返り、自分にその傾向があったとつくづく思った。 弱い自分が「一見強い人」にあやかって強くなろうする。まやかしの強さを手に入れて、やがて元の木阿弥に。「こんなはずじゃなかった!」と自分を責める。と同時に「一見強い人」をも秘かに責めている。 「一見」にこだわっているのは私が「

          強い人と弱い人

          はじめてのソーシャル〇〇〇

          ソーシャル・ディスタンス【社会的距離】 子たちにもすっかりおなじみのソーシャル(social)という言葉。修飾する名詞がdistanceっというだけでめちゃくちゃカッコイイ気がする。 そう感じる理由…それはきっと、私の知ったはじめての「social〇〇」がsocial window だったからではないかと思う。 【ソーシャル・ディスタンス】 すごく分かり易い、謂わんとしていることが。 そして、好きだ、この言葉、その概念。

          はじめてのソーシャル〇〇〇

          運転席のガム

          「考え過ぎちゃう?」 とはよく言われる。自分でも思う。けど瞬時に深掘ってもうてドキドキしたらビビったりするんだから仕方ない。止まらない。というお話。 教習所に通い詰めて、2ヶ月ちょっとで運転免許を取った大学4回生の私。あの頃のバイタリティが懐かしい今日この頃。ペーパードライバ―歴が免許取得年数の8割を占めている「助手席専門」の私が偉そうに…いや、だからこそ、ドライバーさんに「それ大丈夫なん?」と思うことを書き残しておきたい。 家族や友人・知人の車に乗せてもらうとワクワク

          運転席のガム

          焼き芋としずかちゃん

          無農薬のサツマイモをたくさんいただいた。 子どもがお腹にやって来た時、「将来は無農薬野菜やオーガニックフードで育てたいな」などと殊勝なことを考えていたんだった…。 しかし、配偶者のあまりの大食漢ぶりに「無農薬やらこだわってたら破産する」という哀しい理由で断念した。中年のおっさんの身体は農薬など化学物質を最も吸収しにくいと聞いて、ますます「なんだかな…」と思った。 ひと昔前までは無農薬・オーガニックというと専門店の宅配で手に入れる…というイメージだった。あの段ボールも毎週た

          焼き芋としずかちゃん

          花を飾る

          家の中に植物があると落ち着く…というのは年を重ねるごとに深まる感情なのだろうか。今でこそホームセンターに行くと植物のコーナーをぐるり一周することをたのしむけれど、子どもの頃は父の園芸趣味の機微がちっともわからなかった。 父は、夏の暑い日も冬の寒い日も、剪定鋏(せんていばさみ)を持ってウロウロ…庭で何時間も過ごしていた。 部屋に花を飾るのが好きだ。 年末年始には母が立派めな花を床の間に活けていたと記憶している。おそらく、それ以外は専ら父が買ってきた鉢植えの花々だったように

          花を飾る

          風が吹いたら?

          今朝は目覚めてすぐに曇天模様がうかがえた。子達が起きる頃にも外は薄暗く、そんな日は決まって「まだ暗いじゃーん。まだ夜だよぉ。」布団から出ない言い訳に使うのが第二子だ。 それでも母はパンを焼く。ご飯をよそう。 バタバタと皆が出掛けようやく静けさの中に身を置くことが叶う。この瞬間の幸せなこと!ひとり暮らしが長かったせいか、はたまた性分か、ひとりで過ごす静かーーーーな時間がたまらなく好きだ。 ふと窓の外を見ると、曇天の隙間からはやわらかい太陽の光の筋がいくつも地上に刺さっていた

          風が吹いたら?