「間伐」から考える組織のあり方
「間伐(かんばつ)」とは森林の環境を守るためにあえて木を切ることです。
噛み砕くと。
「木が多いのは良いことね!」とか言って森林の木々をそのまま生やしっぱなし伸ばしっぱなしで密林状態になると、伸びてる木は老いて弱くなるし、若い木は育たないし、土が悪くなって災害にもなりやすくなるし。だから適切な密度にしようぜ!
というのが間伐です。
過密な森林のデメリットを噛み砕くと。
土に光が届かない過剰な密度の森林は、木がお互いを邪魔して森林そのものが朽ち果てます。
ですかね。
増えすぎた老木が土壌や若い芽に光を届けることを邪魔して、その結果老木もろとも森林が滅びゆく。
「おい!これはうちの組織の話をしてるのか?」と言いたくなるほど、人間界にも当てはまりそうだと感じた。
キーは(木だけに)、「もう育った木が過剰に密集していることが問題を起こす」だろうか。
会社や社会では想像しやすい。
実績や肩書きが育ち切った年配者の数が増えすぎると、その年配者同士でお互いの足を引っ張り合い、その下の世代には光=機会、権限、責任、報酬などが届きづらくなり、その空気によって組織への帰属意識や憧れが薄れた土壌=若手や学生(就活生)が育たないどころかどこかに流れ落ちたり。
お〜こわっ。
でもそこらで聞いたことがあるような話だ。
木自体は社会に必要なもの。
あくまで「それが組織内に増えすぎると〜」という話。
では。サッカーのコーチらしくサッカーでの話を。
「組織」の括りをサッカーの中で考えてみる。
パッと思いつくのはやはり「チーム」という組織。
登録選手のベテラン中堅先輩の人数が多い場合、もしかしたらその環境は組織の成長としては適切ではないのかもしれない。
若手が多いとしてもチームで抱えている選手数自体が過密かもしれない。それでも光は十分に届かない。
光を与えるのは誰か、という考え方も必要かもしれない。
光を機会、権限、責任、報酬などとするなら、そのほとんどは監督/コーチが与えるものだろう。
その光量に適した密度にすることも大事だ。
「クラブ」という組織は前述の会社の話が当てはまるか。
では「日本サッカー界」という組織ではどうか。
「サポーター」も一つの組織だろう。
「育成年代」という組織に区切っても良いかも。
地表に光が届く健全な密度になっているだろうか。
光量は足りているか。
この辺はサッカー界に関わる人ごとそれぞれに思うところがあるだろう。
組織の範囲を大きくしたで、今度は小さくしてみる。
「チーム」より小さいのは「ユニット」か。
試合中に発生する2〜5人程度のグループ。
全体の中の一部と捉えると一つの組織として切り離して考えるか迷うが、ユニットの概念で試合中の動きがあったり、ユニット単位で練習したり、切り離せるものとすることが一般的だと思う。
この少人数のユニットという組織でも間伐が必要とされる密度異常が起こり得るのか。
単純に「ユニットの人数が多すぎて機能しない」という問題もありそうだが、」完成されたユニットによって他の選手がそのポジションに入る余地がない」という問題もありそうだ。
機会=出場時間が同じ選手だけで過密にならないように調整することが、「入る余地がない」というケースでの間伐にあたるのか。
もし組織に間伐を必要とするならば。
間伐には様々な方法があるらしい。
老木をとにかく切れ!じゃあダメな様子。
その組織が抱える問題に適した間伐はどんな方法になるだろうか。
おわり
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