守備は危ないところから

どうもサッカーのコーチです。
先日守備テーマの練習をしていた際に、子供達が「なるほどねー」ってなってた話がある。

練習中に、守備側で何でもかんでも前に出て取りに行く子が多いので「ちょっと待ちなさいよ」と。
下図のような図をボードで示して、
「1対1なら守る幅は図1みたいになるから、②よりも少しでも前に出て①に近い方が安全なことは確かに多いね。でもさ、じゃあ図2みたいにもう1人攻撃がいたらこの守る幅がどうなるかわかる?そう。幅が変わったでしょ。パスを出されるかもって考えた時、③と④はどっちの方が安全だと思う?ね。③だと遠いよね。不思議でしょ。こうなると前に出ない方が危なくないんだ。だから君たちもGKをやるとあんまりゴールの前から動かないでしょ?あれはなんとなくそれがわかってるんだよ。前に出た方が安全な時と、前に出ると危険な時がある。」
こんな話をしたら「ほーなるほどねっ!」ってなってた。
自分はスクールのコーチだけど、それぞれの所属チームでは「とにかく取りに行け」って教わる子が多いらしく、下がることの必要性は初耳だった様子。

図1
1対1で守る幅
(と平面図ではわからない”高さ”もボールから離れるほど大きくなる)
図2
2対1で守る幅


守備はすごく単純に言えば「危ないところから埋める」をやっていればいい。
その上で「奪える状況を作って奪う」をやるわけで、「守備とは守るか?奪うか?」みたいな2択ではなく、「守りながら奪う」が守備。守ると奪うは同時進行。(この「守りながら」をすっ飛ばした指導によって下がることの必要性が浸透しないんだろうね)
積極的に「危ない」を埋めていけば自然と奪える状況にもなっていたり。
ただ「守備は危ないところから埋める」とは言っても、これは言うは易しで、「危ないところの優先順位」を認知して「効率よく埋められるアクション」を適切に実行するのは、複数人の敵味方が入り乱れているサッカーにおいてはとても難しいこと。

上記の子供達との話でも、「ちなみに、図2でこのボールを持っているのが(ドリブル好きでボールをほとんど離さない)〇〇だったらどうする?」って聞いてみると「前に出る笑」と答えてた。(〇〇は「その時はさすがにパスするよ笑」って言ってたけど)
同じ状況でも「誰が」が変わるだけで「危なさの優先順位」が変わる。
サッカーには同じ状況は無いと言われているし、その「危なさ」を認知するだけでもとても複雑なことだとわかる。

「埋める」の実行について言えば、例えば図2の状況で守備側が既にボールに近い位置にいるとする。(図3参考)
その時、よく教わる定石である「サイドに追い込む」を実行したらどうなるか。
2対1の間を分断して1対1に出来ることもあるだろうが、その裏でサイドに行かれるほど守る幅を広げることにもなるし、ボールを持っている攻撃側選手が右利きなら最も危険なゴールの可能性が高いシュートを打たれることも十分にあり得るだろう。
もちろん「誰が」や「ボールとの距離」などにもよるが、実はこういう数的不利な状況においては、サイドには行かせず、もう1人の攻撃側選手の方にボールと人を誘導した方が不利が少ない場合もある。
決まった定石のみで乗り切れない状況もあるのだから、「より効率よく埋められるアクションはどれか?」を適切に選択して実行することの難しさがわかる。

図3


「守備は危ないところから埋める」
この複雑で難しい「危ないところの優先順位」の認知「効率よく埋められるアクション」の実行には知識と経験が必要だ。

「首を振る」「周りを見る」でお馴染みの「認知」。
自分の解釈では、認知とは「見る」ではなく「理解」。(記事参考)
だから見えていなくても認知は出来るし日常でも無意識でしている。

前述の子供達との話をしながら思ったのは、子供達は「何が危ないのか」の理解が足りていないなということ。
だから危ない状況を見ていても、それが「危ない」と認知できない。
知識と経験のどちらも足りない。
「サッカーを見ない子」のディスアドバンテージの一つがこれ。
危ないシーンがわからない。

そして我々日本のコーチは、そんな「危ない」がわからない子に、いきなり「効率よく埋めるアクション」を教えなければいけないことが珍しく無い。
当たり前にサッカーを見たり当たり前にサッカーで遊ぶ文化は無い国であり、それでもなぜか月謝を出してまで「サッカーを上手くしてくれ!」と子供を預けてくるカスタマーの期待に応えなければならないから。
というのは愚痴なのでスルーして。

閑話休題。
「危険」をわからない子に「対応方法」をいきなり教えることは別に間違っているというわけではない。
限られた時間で、いろんな「危険」を知識として教えてそれを経験をするまで待つ、なんて現実的じゃないからね。
「対応方法」を一から自分で考えさせるのも非効率だし、「とりあえず一通り安全な動きが出来るようにはしておこうぜ」って考えるのは当然のこと。
ただそこで思うのは、「別に包丁やアイロンのような危険ってわけじゃないんだから、対応方法を教える前にもう少し危険を知る機会をあげてもよく無いか?」ってこと。

例えば。

この記事にも出てくる「チャレカバ」という対応方法。
これはよく教えられている対応方法の一つだと思う。(自分は記事内でも言っているように推奨していない&言葉遊びじゃないけどチャレンジとカバーって単語も危険を知らない子に教えるにはよく無いのではと思ってる)
これを「ただ実行しているだけ」っていうのを自スクールでもよく見かける。
マシーンのように無心で実行しているだけだから、つまりそれによって発生した「危険」に気づけていない。
だからその仕込まれた型を破れない、っていう。
チャレカバによって出来た隙で失点した際に「今その動きしたら危なくなったりしなかった?」と聞いたら「え?」とびっくりして「あ、たしかに」と、そこで気づいた様子。

先に対応方法を教えると「これさえやってれば安全だ」と思い込んでしまうことは無いだろうか?
「これ本当に安全か?」と疑う思考も持つべきだと思うし、そのためにはやっぱり「危険の経験」というのも大事。
じゃないと危険に気づけない。
「振り込め詐欺に気をつけて!」って対応方法と共に散々アナウンスしても結局被害者が出てしまうのは「実際にやられる経験」が乏しいからなのではないか、と変な例えを出してみるけども。


「守備は危ないところから埋める」のためには「こういう時って危なくね?」「これとこれならどっちが危ないの?」という知識と共に実体験を積み重ねることが必要であり、それこそがいわゆるクリエイティブという人材を育てるのにも必要不可欠なのではないか、と考えさせられた冒頭の出来事でした。

危険を知らないことに無自覚で自分の知識を疑わないことこそが本当の危険。
あなたは何が危険かわかってる?


おわり

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