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ケセラセラな男

ろくに天気予報も見ずに家を出たら、雲が「あー、夕立が来るかもしれないな」という色をしている時ってあるじゃないですか。

折り畳み傘を取りに家に戻っても、予定には間に合う時間。ただ、エレベーターで上がって家の鍵を開けて傘を探してまた降りてくるという行為がとても面倒くさい。

そんな時、「今降ってないからいらないね。降ったとしてもなんとかなるでしょ」と傘を持たずに出かけるのが夫。「もし降ってきたら最悪だから、面倒だけど念のためカバンに入れておこう」と家に戻るのが私。

このレベルの性格の不一致は、たまに(よく?)衝突を引き起こすけれど、基本的にはポジティブなものだと思っている。オプティミストとペシミストの両方がいることで、家庭内のバランスが取れる気がする。それぞれに得意分野と不得手な分野があるから、何も言わなくても自然と分担が生まれる。契約周りを気にしておくのは私、大きな決断をするのは夫、みたいに。

こんなこともあった。毎年、夫は健康診断で肝臓に難ありという結果が出るのに、再検査もせずにお酒を飲み続けていた。健康診断の問診でお医者さんに病気の可能性をちらりと示唆されただけで、結果が出るよりも前に、下手したらその日に病院へすっ飛んでいく私とは大違いだ。(10代の頃から、少しでも具合が悪いと大病を疑って病院に行っていたので、ものすごい数の診察券のコレクションがある)

今年、見るに見兼ねて、鬼の形相で夫に再検査を迫った。お医者さんからは、やはり禁酒を言い渡された。

これは本当に素晴らしいことなのだけど、そこから夫は4ヶ月近くお酒を断ち、悪すぎた肝臓の数値がほぼ基準値になった。夫に付き合って、私も土日の飲酒習慣をやめた。ワインに目がなかった私たちは、突然ノンアルビールコレクターになった。夜にお酒で意識が朦朧とすることがなくなったので、二人の読書量が急激に増えた。これまでお酒に使っていたお金で、大量の本を家に迎えた。夫は、哲学に傾倒し始めた。

一緒に住み始めてから9年。結婚してから4年。価値観を衝突させながら、私たちは二人で変わり続けている。それは、とても喜ばしいことだと思う。

・・・

夫は、私には信じがたいほど、ケセラセラな男だ。リスクばかり考えてドツボにハマっていく私を、いつも水面に引き上げてくれる。平気な顔して、「なんとかなるでしょ」って。

苦しい時はたくさんあったけれど、確かに、なんとかならなかったことなんてない。ここにこうして生きている以上、なんとかなり続けていると言っていいはず。

夫が隣にいなかったら、できなかった決断もあるかもしれない。3回の転職も、毎回背中を押してくれた。何気ない口調で、やりたいことを追いかけていいと言ってくれた。「世帯年収がガクンと減ったらきつくない?」なんて、もし言われていたら今の私はいない。「しーの好きにすればいいんじゃない」って、一見ドライにも思えるその言葉に、私はいつだって鼓舞されている。

ペシミストにはオプティミストが必要。逆に私の存在が、彼の何かを救うことはあるのだろうか。1mmでも、1nmでも、あればいいのだけど。

今日は、そんなことを考えながら、折り畳み傘を取りに家に戻った。雨は、降らなかった。

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