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自分勝手と自分らしさ


自分勝手ってどこから?
自分らしさってどこまで?

最近の世の中は、“個”が重要視されるようになって
より一層この境目が分かりにくくなった。

でも、わたしはそれすらも
いいんじゃないかな?って思ってる。

いい意味で、
出る杭は打たれよう!
みたいな風潮を感じるから。

もともと人と同じようなことをするのが
嫌だなぁって思ってるわたしにはぴったりだったから。


でもね、これはちょっとどうなのよってことが
起きたんですぅ・・・。

それは、ある日のヨガレッスンの時間のこと。

基本的に、お客様たちは
貴重品管理を自分でするので
ヨガマットの側に小さなバッグを置いている人が多い。
(スマホや財布などを入れている)

マナーとして、
スマホも電源を切るかマナーモードにしてもらいます。

そして、その場にいる全員が
「今日もいい時間だった!」って
思ってもらえるようにクラスを作るのがわたしの仕事。


なんだけど!!!

warming upが終わってお水休憩を入れた瞬間
わたしのすぐそばで、バッグの中のスマホを
いじってる人がいるやないかーーーーい。

しかも、
「SHIORI先生のヨガで1週間始めないと
調子が上がらないのよ」って
もう4年近く通ってくださる方だっただけに
トンカチで殴られた氣分でした。


「わたしの想いは、届いてないのか」


緊急だったかもしれない
何か心配事があったのかもしれない

そういう側面もちゃんと想像するようにしたけど
やっぱり悲しかったし、黙っているには酷だったので

「何か緊急だったら外に出ていいですよ」
って穏やかに、促しました。


はっ!とした様子ですぐに手を止めて
ポーズに入ったその方が
その後どんな氣持ちでその場にいたのかは
できる限り想像しないようにして
わたしもクラスに没頭しました。


人生を歩んでいく中で
自分らしさは、絶対に必要です。
個性という色が出て、
それが化学反応を起こした瞬間に
面白い繋がりやドラマが生まれるから。

でも、自分勝手に何かをした結果
相手に不快な思いをさせたり
その場の空氣をがっつり壊すのは
わたしだったらしたくない。

例え、“心配性なわたし”というのが
自分らしさだったとしても
それを使う場面は選ぶことができるはずです。


「大人だから」
「子どもだから」という
年齢や立場は関係なく

今回で言えば、どんな風になりたくて
ヨガの時間を使おうと思ってるか。

その意識があるか、ないかで
そのあとに得られるものも変わっちゃうんですよね。


その時は悲しいし、憤りを感じることもあるけど
もはやその人を変えることはできないので
わたしが変わっていく(選んでいく)しかないわけです。


だってね?高校球児や中学女子たちは
一切携帯いじらなくて逆に心配するくらいだし(笑)


自主開催やパーソナルの時は、写真は撮り合うけど
その場にいる方との会話を楽しんでる皆さんが愛おしい。

わたしは、これからどういう人たちと
ヨガ時間をシェアしたり、笑い合いたいんだろう?って。


その氣付きになったのなら
今回の出来事も必要だったんでしょうねぇ。

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