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作曲・編曲の活動について

こんにちは!
shioriです。
今回は作曲・編曲活動について触れようと思います。


空想の世界

物心ついた時にはいつもそばに音楽がいました。
なので、頭の中ではいつも音楽が鳴り映像が流れて
空想の世界が広がっています。
その世界観を現実に表現する手段が
作曲や楽器演奏、ビジュアル面での創作です。

初めての作曲

初めて曲を作ったのは小学3年生の時。
通っていた音楽教室で曲を作ってみよう!という課題が出ました。

その時はピアノ曲を作りました。
確か『馬が走る』という曲名にしたと思います。
(なぜ馬にしたのでしょう?(笑))

小さい大会だと思うのですが本選に選ばれ、
どこかのホールで披露しました。

演奏が終わった後
もしかしたら、将来自分は作曲をする道に進むかもしれないと思いました。

中学生の時は
部活(ソフトテニス部)に明け暮れ、塾にも通っていたので
ピアノを続けることと学校で伴奏をすることで精一杯。

作曲まで手は回りませんでした。

なので、
次に作ったのは高校生の時。
大分期間が空いていますね。(笑)

その時は音大に行くメンバーで即席バンドを組んで
メロディーとコード進行だけを作りました。

編曲は時々行っていた記憶があります。

文化祭でサザエさんのエンディング曲を編曲し
友人たちとバケツドラム&リコーダーで演奏するという
かなりシュールなことをしました・・・
今考えるとぞっとします・・・(笑)

大学で理論を学ぶ

本格的な理論は大学で学びました。
勉強してもまだまだ学びきれていないのですが、
和声や対位法、楽器の仕組み、音響学、民族音楽や教会旋法系は一通り勉強しました。
ピアノ曲をオーケストラに編曲する授業もありました。

クラシック系の授業は大学で受けていたのですが、
いわゆるポピュラー・ミュージックは勉強していなかったので
補足でコード進行や即興演奏を外部で勉強しました。

音楽療法との出会いから日本音楽の歴史に触れる

在学中に音楽療法に興味を持ち
高齢者施設や障害者施設に出入りしていました。

卒業してからも
高齢者施設に訪問し、音楽を使って場作りをする
「ミュージックファシリテーター」
という仕事をしていたので
童謡から歌謡曲・演歌・シャンソン・ジャズ・ブルース・民謡まで
作曲家の服部良一や古賀政男など
昭和時代の第一線で活躍した作曲家の曲を
高齢者の方が歌いやすいように編曲し演奏していました。

気がつけばレパートリーは300曲以上に・・・

編曲能力がついたのは
確実にこの時代ですね。(笑)

その後も
障害児療育に携わり
音楽を用いた療育をする上で
他の先生方にピアノの指導をしたり
音の特性を用いて行動を促す音楽療育を実施していました。

オンラインコミュニティ・スクエアとの出会い

職場が遠かったこともあり
結婚してしばらくしてから療育の仕事を退職しました。

その後、今の自分を作るきっかけになる
人生を変えた大きな出会いに恵まれます。

当時は旦那の事業を手伝っていたのですが
自分でも少しは稼げるようになりたいと思い
エレメンツコードの開発者であり
オンラインコミュニティ・スクエアの主催でもある
林原琢磨さんのアビリティ・デザイン講座を受けることにしました。

エレメンツコードとは

エレメンツコードとは
心の状態を4つの属性(風・水・地・火)に分けて可視化してくれるツールのことで
心の状態を認識することができます。

こちらより無料診断することができます。


この講座を受ける中で
「やはり音楽をすることでしか生きていけない」という思いが募ります。
(音楽しかしてきていないのだから当たり前なのですが・・・)

そんな思いを募らせながら参加した交流会で(お酒の席で)
「一番やりたいのは作曲なんです」
と琢磨さんに話したことから
「アビリティ・デザイン講座のテーマソングを作ってよ」
と言っていただき
この曲が生まれました。

『アビリティ・デザインのTheme』

まさか作曲のご依頼をいただけると思っていなかったので
本当に嬉しかったです。

完成した時も感無量でした。

この曲を作るのに使ったパソコンも
誕生日だからと言って
スクエアで寄付を募って購入したものです。

後にも先にも
「ここから始まったんだ」
と言える作品になることでしょう。

この曲を作ってから少しずつ作曲のご依頼をいただくようになりました。
お仕事のフォームも準備中ですのでお楽しみに。

最後まで読んでくださりありがとうございました。






















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