【プロレス】そこに「闘い」はあるんか?
最近の新日本プロレスにはリアルな「闘い」がないと感じる。レスラーのリアルな感情が見えてこない。
流血のない「キレイ」な闘いにはなったが、ドロドロとしたものや泥くささはなくなった。
ドロドロとしたものがなくなった
レスラー同士闘うなかで因縁が生じて、最終的にビッグマッチのシングル戦で決着する。近年の新日本プロレスはそのパターンが多い。
しかし、その因縁の生じかたにレスラーの「リアルな感情」がなくなっているのでは?と思う。
「いいんだね?殺っちゃって?」
「リアルな感情」の具体例として、気に入らないから徹底的に潰すである。永田裕志vs佐々木健介、長州力vs橋本真也がその最たるものである。
これらのカードはまさにドロドロした闘いである。人間の相手への「憎しみ」という感情がレスラーからにじみ出ている。
気に入らない相手を徹底的に潰すという、まさに「リアルな闘い」そのものである。かつての新日本プロレスには人間が持つ「リアルな感情」を引き出した闘いが多くあった。
絶対に勝ちたい!
また、相手に勝ちたいという「リアルな感情」が名勝負数え唄を生んだ例もある。ジュニアヘビー級時代の越中詩郎vs高田延彦がそれにあたる。
越中はU系レスラーの高田に勝てずじまいであった。なお、U系レスラーはプロレスからショー的要素を排除したものであり、蹴りや関節技を主体とするUWF出身のレスラーである。
タイトルマッチでどうしても勝ちたかった越中はあるとき、「指固め」で高田に勝ったことがある。
指を決める関節技であるが、その試合以外で聞いたことのないフィニッシュ技であり、どうしても高田に勝ちたかった越中の感情がそのフィニッシュ技となった。
まとめ
昔の新日本プロレスにはドロドロしたものやどうしても相手に勝ちたいという「リアルな感情」が渦巻いていた。その感情が「リアルな闘い」を生み、時に名勝負数え唄となっていった。
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