六時九分、昔は朝が嫌いだった。


寂しさが夜を襲う

 大好きな漫画から言葉を借りるなら、僕はきっと今日という日に満足していなかったんだと思う。いや、毎夜寂しさという名の不満足を感じながら、ベッドで意味もなく目を閉じている人間ではあるのだけれど。その夜は何故だか、いつも以上に救いを求めていた。
 救い。僕にとってそれは、非日常であり出会いであり、物語のプロローグである。ありもしない救いを探すように、僕はポケットにスマホだけを入れると、深夜四時の街に出た。
 予め断っておくと、これは吸血鬼だとか不可解な少女だとかに出逢うことはないし、別に面白い事件の一つだって起きない、平々凡々としたある晩の備忘録だ。だからこそ夜の街には、寂しさから芽生える情緒がある。

文明を手放せない不審者

 最寄駅というわけではないものの、「歩いて行けるランドマーク」としては、池袋駅は暫定的な目的地に最適だった。
 きっと本来は、目的地もスマホも無しに、当てもなく彷徨うような行動力が必要なのだろう。事実として、スマホをポストに捨てて(投函して?)新幹線に乗った物書きが昔の知人にいる。非日常を求めながら、日常は捨てきれないのが、僕の弱さというか、未熟な部分なのだろうなと常々思う。……思うばかりで、実際にはポケットにスマホが入っているどころか、律義にモバイルバッテリーまで持ってきているのが、現状の僕だ。

 風が吹くと少し肌寒いくらいの気温だった。十分に夜道を照らす街灯と、歩道の脇を絶えず流れる車のヘッドライト。都会の夜空に星々の輝きなんてものは無く、代わりに信号の三色が無機質な光を放っている。
 目的地だけは決めて家を出たものの、何をしようか。駅や店のほとんどは閉まっているし、こんなことに誘えるような友人もいない。そんなことを考えながら、家の近くの公園でスプリング遊具に揺られていた。全身黒色の成人が子供向け遊具で前後している姿は、傍から見たら不審者そのものだったと思う。
 暗くて何がモチーフか分からない遊具は早々に降りて(座る部分が小さくて痛かった)、僕は早速池袋駅へと向かう。数日前までバスで通勤していた道だったから、地図が無くても迷うことはない。「人生の道筋もこのくらい明確だったら」なんて、そんなありきたりなことは考えなかったと思う。

現実逃避と缶ビール

 突然だが、僕はビールが苦手だ。最初の一口で満足するというか、炭酸が抜けたり温くなったビールは吐きそうになる。お酒はゆっくり少しずつ飲むタイプなので、絶望的に相性が悪い。というかそもそも苦い、なんだあれ。
 そんなだから、まず自分で買うことなんて絶対にないし、飲みの席でも頼んだことがない。「とりあえずビール!」な人間と出会っていないことは、もしかしたら結構な奇跡かもしれない。いや、最近は絶滅しつつあるのか?
 とにかく。人生で数度しか口にしたことがない苦手なビールを、僕は何を血迷ったのか、道中最初にあったコンビニで購入した。何もやましいことなんてないはずなのに、緊張しながら年齢確認ボタンを押す。深夜徘徊という状況が、なにかそういう後ろめたさを演出しているのだろうか。
 コンビニを出て歩きながら、少し悴んだ手でプルタブ(正確にはステイオンタブというらしい)を開ける。開封時の炭酸の音だけは、妙に美味しそうに錯覚させる。
 コンビニで買った酒を外で飲むのも、思えば初めてだった。ましてやそれが、一人で歩きながらなんて。ある意味で日本らしさを満喫しているなと、日本を出たことがないながらに実感する。

 結論から言うと、以前ほどではないにしろ、相変わらずあまり美味しくはなかった。三口目くらいまでは喉越しが良くて美味しく感じるけど、逆に言えばそれ以降は飽きるし、やっぱり時間が経つと気持ち悪くなる。350mlの缶ビールを飲み切る頃には、気が付けば遠くに駅が見えていた。 
 そもそも、何故買ったのか。単なる気分と思いつきなのか、それとも最近ハマっている漫画のヒロインに影響されたからなのか。どちらも正解であるし、どちらも満点の答えではない気がする。
 結局のところ僕は、分かり切っていた「苦い・美味しくない」という事実を確認して、自分が大人になり切っていないことを確認したかったのだ。
 年齢的にというか、立場的には、僕はもう社会人だし大人であるべきだ。でも、それでも、「あの頃に戻りたい」という思いは捨てきれないし、大人という概念を自分とは切り離して観ていたい自分がいる。
 僕は、過渡期で在りたかった。在り続けたかった。大人の権利に凭れながら、子供の権利に縋りたかった。両方に存在する義務からは、都合よく目を反らして。だから、酒が飲める年齢でありながら、それを不味いと感じたいのだと。
 とはいえ、現実はそう優しくない。幻想を殺すのはいつだって現実だ。夜道で吸血鬼に出遭うことはないし、裏路地に不可解な少女が佇んでいることもない。夜道には静けさだけがあって、裏路地にはゴミが捨てられている。
 過渡期なんて言えば都合がいいけど、要はどっちつかずなのだ。大人でも子供でもない、中途半端な人間。僕は直面した現実を放り投げるように、空き缶をゴミ箱に捨て去った。

僕だけの街じゃない

 美味しくない飲料と見たくない現実の両方に精神をやられ、軽くテンションを下げながらたどり着いた池袋駅は、普段とはその様相が異なっていた。
 降りたシャッター、明かりの無いテナント、寝転がる酔っ払い。
 けれど、少し進んで構内に入れば、そこには昼間と変わらない光がある。日中の駅をそのまま切り取ってきたみたいな、不思議な空間が広がっているのだ。……そう、僕にとっては、昼間とあまり変わらない。
 地元で深夜に出歩いたときは、車が時折通過する程度で、無人と遜色ない独特の空気があった。自分だけがこの街に生きているような、妙に高揚感のある空気。東京の夜には、それが無かった。
 答えを言ってしまえば、実はもう始発十数分前くらいの時間帯だった。駅までゆっくり歩いてきていたし、割愛したが途中普通に小腹がすいて牛丼屋に寄っていたから、夜も段々と浅くなってきていたのだ。

 流石に、無人になった駅が見られるとは思っていなかったけれど、ここまで人がいるとも思っていなかった。人混みを避ける必要がないとはいえ、駅の規模を縮めれば、昼間の地元の駅と大差ないんじゃないか。
 煌々と照らす人工の光と、目まぐるしく行き交う人々。そこに、僕の知る夜の姿は見当たらない。眠りを知らない都会の姿と、帳を上げる夜明けの匂いが、盲導鈴が鳴り響く構内で僕を包んだ。僕が吸って吐く息は、東京の呼吸そのものだ。

 広々とした駅を若干迷子になりながら散策したのち、僕は構外に出た。少し肌寒い風が吹いて、色彩の宿り始めた街並みが飛び込んでくる。背の高いビルの向こうはもう、死にたくなるような朝がある。

階調の空、黒い電波塔。

 大好きな漫画から言葉を借りるなら、夜は自由の時間だ。自分を解放させないと、満足なんかできない。
 ただ、借りた言葉をいくら反芻したところで、実際に行動に移さなければ意味はない。そして僕という愚者は、スマホをポストに投函する勇気のないような、行動力に欠けた人間だ。だからこそ、何もしないままただ己の脳内で、独りよがりな思考を巡らせることだけが唯一の取り柄だった。

 つい数十分前までは暗闇が街を覆っていたのに、今この狭い空に広がっているのは、雲一つない紅掛空色だ。夜明けというよりは、もはや早朝と表現する方が近いだろう。微睡むような青と赤のグラデーションが、東の空を染めている。
 結局何もない夜だったなと、もう何度目かもわからない落胆を胸に、僕は歩いてきた来た道を引き返した。事実は小説より奇なりとは言うけれど、現実は小説じゃないのだ。運命的な出逢いも幻想的な事件も、現実世界にはそうそう転がっているものじゃない。
 帰り道の途中、小さな橋があった。真下には線路が直線状に伸びていて、そこを始発電車が通過していく。一時間前に通った時は、明かりの無い文字通りの暗闇だったので、なんだか新鮮な気分だ。
 橋下から奥へ向けて小さくなっていく電車を目で追っていると、その消失点で朝焼けと合流する。――正確には、朝焼けの曙を背景にした、スカイツリーの黒い輪郭と。
 上京してもう四ヶ月が経とうとしていて、この道を毎日のようにバスで通っていたはずなのに、今の今まで知らなかった。池袋からスカイツリーが見えるのか。でも確かに、あれだけ巨大な電波塔なら、ここから見えても意外ではないかもしれない。初めてあの展望台を訪れた時に見下ろした、箱庭のような東京の風景を思い出す。
 曙を背負った黒い電波塔は、時折脈打つようなライティングを繰り返しながら、遠くで静かに聳え立っている。何があるというわけでもないのに、僕は手すりに身体を預けると、ただ茫然とその風景を見つめた。

 僕は今、東京にいる。そんな、分かり切った現実を再認識する。
 なぜ上京したのか? イベント事に参加しやすいからというのも立派な動機の一つだし、人口密度の高い空間で生きることで、創作活動の良い刺激になるんじゃないかという意図も大きい。けれどなにより、過去を手の届かない場所に置いてきて、今を生きると覚悟したからに他ならなかった。
 それらが実現しているかと問われば、正直な話かなり怪しい。四ヶ月も時間があったのに。四ヶ月も生きてきたのに。
 でも、そんな怠惰も後悔も、全て過去だ。過ぎ去って飲み込んで、未来を見らければならない。瘡蓋を剥がして感傷に浸れるような人生は羨ましいけど、そのまま腐るだけならば耐えられない。僕は創り出す人間なのだから。
 傷でもいい、痛みでも呪いでも、嫌われるような偽物だって構わない。吸血鬼も不可解な少女もいないのなら、その幻想を現実というテクスチャの上で描くのが、クリエイターなんじゃないだろうか。

 気が付けば街は色鮮やかな光を反射していて、黒いシルエットだった電波塔も、スカイツリーらしい透き通った色を取り戻しつつあった。
 僕は帰路に視線を戻すと、歩き疲れて微かに痛む両足を動かし始める。夜型人間の僕にとって、夜明けと朝日は憎むべき世界だったけれど、なるほど確かに、この澄んだ空気も悪くない。深い夜が幻想と過去を飲み込んで、訪れた青い朝が現実と未来を膨らませている。
 今晩のことは、noteに纏めよう。面白みのない内容でも、結局は自己満足なんだから関係ない。救いだって、いくら求めても報われない。でも、物語のエピローグを始めるのは、いつだって自分自身だ。
 ポケットの中で大事に握りしめていた、スマホの液晶に視線を落とすと、六時九分を表示していた。曰く、日の出の時間らしい。
 可能性に満ち溢れた「大嫌いな朝」を、溜息を吐きながら始める時だ。

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