汐涙

しおると読みます。観測したり創作したりするひと。  神椿の話とか自分の話とか。

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最近の記事

代々木決戦:後日譚と縫芽

 このnoteを書き始めた現時点で、代々木決戦から10 日が経過しているそうです。早くも感じるし遅くも感じる。どっちにせよ怖い。  ライブ後の興奮と熱量をそのまま4000字強にギュッってしたnoteは以前書きましたが、書き足りなさをずっと抱えていたので、こうして再び筆を執っている次第です。キーボードだけど。    本題に入る前にはなりますが、以前書いた『代々木決戦:現象と花と歌』を読んでくれた方、ありがとうございました。  この記事の位置付けとしては、4000字強に凝縮して

    • 代々木決戦:現象と花と歌

       前書きとして、現象Ⅱについての内容が怪歌のそれに比べて幾分か少なくなっていることを謝りたい。1日目もリスペクトを持って最高のライブだったと発言できるけれど、2日目に受けた衝撃があまりにも大きく、そして僕の人生における花譜の立ち位置があまりにも深い場所にあるので、自然と紡ぐ言葉は長く重いものになる。それをどうか許していただいた上で、一人の観測者が感情を吐き出しただけの文章を読んでほしい。  そもそもの話、ライブを2日連続して行うのは何故なのか。会場の日程の都合か、プロモーシ

      • クランクアップにはまだ早い

        「自分はこれだけ怠惰な人間なんです」みたいな導入を書き進めていることに気が付いて、すぐに全消去した。  いやまぁ、事実ではあると思う。少なくとも僕の自己評価はそんな感じ。けれど、死にまでにやりたいことを書き連ねる時くらいは、文章だけでも楽しそうにするべきだと思った。自傷行為みたいなnoteばかり書いてきたので、傷だらけの手首に派手なリストバンドでも身に付けるつもりで。  変なことを考えているのだなと、どうか面白おかしく読んでほしい。夢や希望は、下手なフィクションよりもコメディ

        • ロマンス・デパーチャ

           ある授業課題の一環で、理芽というシンガーについて……正確には、理芽の歌う『ピロウトーク』について書いたことがある。  その時僕は、彼女の歌声をチョコレートのようだと表現した。諸々の背景や含みのような意味合いを除いても、腑に落ちる表現だと思う。  甘くて、苦くて、背徳的で、魅惑的。『ピロウトーク』を歌う彼女の声は、間違いなくそういう声なのだと今でも思っている。  けれど、あくまでもそれは理芽というシンガーの一側面でしかない。三年以上経過した今の彼女は、深く広く変化している。成

        代々木決戦:後日譚と縫芽

          六時九分、昔は朝が嫌いだった。

          寂しさが夜を襲う  大好きな漫画から言葉を借りるなら、僕はきっと今日という日に満足していなかったんだと思う。いや、毎夜寂しさという名の不満足を感じながら、ベッドで意味もなく目を閉じている人間ではあるのだけれど。その夜は何故だか、いつも以上に救いを求めていた。  救い。僕にとってそれは、非日常であり出会いであり、物語のプロローグである。ありもしない救いを探すように、僕はポケットにスマホだけを入れると、深夜四時の街に出た。  予め断っておくと、これは吸血鬼だとか不可解な少女だ

          六時九分、昔は朝が嫌いだった。

          秒速54mの情動

          「人は自分の好きなことをやっているときが一番輝いて見えるから、皆からはそれがかっこよく見えるんだと思う」  元の発言からは大分改変された要約文だが、あるウミウシのこの言葉を、僕は時折思い出す。なるほどその通りだな、と。  僕には、春猿火もそう見えた。ネオン煌めく弐番街よりも輝いていて、和風かつメカニカルな世界観の中で、彼女は何よりも格好良かった。  パフォーマンスパートとは驚くほどにギャップがある、MCパートのふわふわとした可憐な雰囲気も魅力の一つではあるし、あの個性もまた

          秒速54mの情動

          僕は観測者であるという話

           僕はクリエイターである。これは誰に否定される筋合いもなく……強いて言えば唯一自己否定だけが許されるくらいの、アイデンティティの根深い部分にある要素だ。  とはいえ、やっぱり自己否定から湧き上がる、「自分にはクリエイターを名乗る資格がないかもしれない」なんて考えは、髪を切るくらいの頻度で思考の海に浮かんでくる。……最近は髪を伸ばしていたからしばらく切っていなかったとかいう、くだらない例外の話は置いておいて。  自己否定から始まるくせに、自己肯定的な「創りたいものがあって創り

          僕は観測者であるという話

          発露と音楽と祈り

           ライブ前にX(Twitter)でも話したことだが、僕は今回のライブをプレーンな感覚で視聴する観測者だった。  今までの僕が観測してきた幸祜は、前回のミニライブや他アーティストのライブゲストぐらいなもので、あとは極稀に生配信とその切り抜きを見る程度だった。知らない曲ばかりというわけでもないけれど、歌えるくらい聴いた曲というのも特別なく。「これから好きになるため」とでも言えばいいのか、とにかくこれまでのライブとはまた異なる形で楽しみにしていた。  結果から言えば、僕が観た『PL

          発露と音楽と祈り

          八月二十四日

           あの日もこんな暑さだったなと、九段坂を登りながら懐古した。  いや、もしかしたら気温も湿度も全然違ったのかもしれないけど、当時の僕は心臓が五月蠅いくらいに跳ねていて、暑さなんて気にしていられなかったんだと思う。あるいは、子供みたいに純粋な感情の高ぶりが、人を殺すような炎天下を搔き消していたのかもしれない。  一年振りに訪れた武道館は、あるバンドのライブが行われるようだった。グッズTシャツを着た人々が、どこか落ち着かないような様子で待機し、鞄につけた缶バッチは、強い日差しに

          八月二十四日

          奇異を擬く

           僕は社会人だ。財布に学生証は入っていないし、カラオケの学生割も適用されない。身分を訪ねられて答えるのは学校名じゃなく会社名や業種職種になるし、制服は今じゃコスプレになってしまう。……いやまぁ、制服は専門学生の時には既に無かったのだけれど。  社会に出て、大人になることを求められて、やっぱり溜息をついて。過去に置いてきた何かに届かない手を伸ばして、無駄に膨らんで希薄になっただけの自分自身に辟易しながら生きている。 「僕はもっと音楽に救われるべきだ」  この言葉は、以前の記事

          奇異を擬く

          華麗なる美にカンパニュラを

           今までの僕にとって、ヰ世界情緒は物語の編纂者だった。  強かで優しく、儚くて怪しい、そんな御伽噺の編纂者。同時に、見知らぬ物語を綴じた本でもある。僕が観測する『AnimaⅡ』は、ヰ世界情緒という本の表紙を開いて、未知の可能性に溢れた物語を読むようなライブだった。  事象の測地線、そして神椿市参番街。そこには、色鮮やかな白があった。美しい黒があった。彼女が歩んできた三年半を知らずとも、心を奪われるような花が咲いていた。  編纂者という認識は、間違っていたのかもしれない。彼女

          華麗なる美にカンパニュラを

          ヰ世界★情緒シンガー

           ブラック★ロックシューターは、僕の人間性と作家性を形成している歌……もとい、コンテンツの一つだ。「魔女の誰かがB★RSを歌った時が命日」と、冗談半分ながら考えていたし、もしかしたら似たようなことを以前呟いたかもしれない。そして予想外にも、その命日は訪れた。  いや、正確には予想外ではなかったと思う。ヰ世界情緒(情緒ちゃん……じょちょ? 普段あまり文章で触れないから呼び方が安定しない)は、古い懐かしい楽曲も含めて、様々なボカロを歌ってくれていたから。もしメンバー五人の中でB★

          ヰ世界★情緒シンガー

          他愛もないけど、きっと愛はある話

           最初に断っておくと、この記事は自分の頭と心の整理を目的としているので、コンテンツとしての面白さや情報の正確性は保証できない。けれど、一応は他人に読まれることを前提とした文章を書くつもりなので、美味しくない拙文でもよければ、咀嚼してもらえると嬉しい。 記憶って多分、レコード盤の溝みたいなもの  何から書けばいいんだろう。語りたいことが沢山あるので、差し当たり過去でも反芻してみようと思う。僕が観測者になるきっかけみたいなものだ。如何せん記憶力が無いので、かなり曖昧なものだけ

          他愛もないけど、きっと愛はある話