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代々木決戦:後日譚と縫芽

 このnoteを書き始めた現時点で、代々木決戦から10 日が経過しているそうです。早くも感じるし遅くも感じる。どっちにせよ怖い。
 ライブ後の興奮と熱量をそのまま4000字強にギュッってしたnoteは以前書きましたが、書き足りなさをずっと抱えていたので、こうして再び筆を執っている次第です。キーボードだけど。
 
 本題に入る前にはなりますが、以前書いた『代々木決戦:現象と花と歌』を読んでくれた方、ありがとうございました。
 この記事の位置付けとしては、4000字強に凝縮して飲み込んでいた2日間を、改めて咀嚼し直そう、反芻しようというやつです。後日譚と題しておきながら普通にライブ当日の話をしますし、別に以前のnoteを読まないと内容が分からないとかでは全然ないです。多分。
 あと、今回はこれまでのnoteよりも口語的な文体で書き進める予定です。この方が自然な感情が伝えやすいですし、実は普段の文体で書いて一度没にしている内容でもあるからです。原因は最後の話題なのですが、それに関しては読んだ時に察してください。
 というわけで本編的なもの始まります。いぇーい。


 前日譚を最初から書き始めたら、いよいよライブ告知の日まで遡らなければいけなくなるので(8/21に告知配信)、ライブの数日前から。

 前々日に髪を切って、前日にマニキュアを塗りました。あとは体調管理と心の準備をしていたくらい。体調管理に関してはサボりまくって直前に体調を崩していたので、それはもう滅茶苦茶に焦っていました。体調自体はなんとか治せたものの、ライブでは病み上がりの喉を躊躇なく酷使していましたが、そんな話は置いておいて。
 マニキュアのお話でございます。少し前にフォロワーさんの影響で書いた『死ぬまでにやりたい100のこと(タイトルは全然違う)』にもネイルやるって書いていたので、「これは現地参戦に備えてやるべきでは?」とライブの数日前に思い立ち、ドンキとAmazonで揃えました。「最初からAmazonで全部揃えればいいじゃん」みたいな正論は受け付けてないです。ドンキなら全部置いてあると思ったんです。
 
 余談ですが、『死ぬまでに(略)』はスマホの機種変更とか諸々の手続きとか、達成できている内容がいくつかあります。というかスマホを買い替えたのも、代々木の写真を綺麗に撮りたかったからだった。ライブを動機として実は意外と色々やれているな、自分。

 で、まだマニキュアの話を続けるんですけれども。
「爪に筆で色塗るだけだろガハハ!」とか慢心していたら、自分がお絵描きの下手な人種であることをすっかり忘れていました。つまり失敗しました。
 マニキュアを塗る前にベースコートなるものを塗るのですが(化粧の下地的なものだと認識してる)、まずその塩梅が分からない。最初は塗りすぎたせいで、無色透明のジェルネイルみたいになってました。
 マニキュア自体も色が載らないわ綺麗に塗れないわで苦戦しまくり、結果中途半端に黒くなった爪が完成。こんな出来でも指先が視界に入ると嬉しくなるんだから、綺麗に塗れたら日常生活がすごく鮮やかになるんだろうなと思います。でもまだ一度も綺麗に塗れていません。
 クオリティーとしては失敗に妥協を塗り重ねた感が否めなかったのですが、現地でお会いした件のフォロワーさんにはネイルに気づいてもらえたので、普通にかなり嬉しかったです。前髪切ったことに気付いてほしい幼馴染みたいだね。

 ライブ前日までの出来事としてはそれくらい。別にお配りできるような作品があるわけでも、何か約束のあるフォロワーさんがいるわけでもなかったので、割とのんびりしてたのかなぁと思います。
 心の準備はずっと忙しかったけどね! チケット買った時から!
 因みに、参戦表明を名刺印刷して名札代わりにしようと準備していたのですが、存在ごと忘れていて一度も使われませんでした。可哀想。改めて見ると視認性が悪すぎてまともに機能したとも思えないのですが、せっかくなので首から提げたかった所存。今もベッドのヘッドボードに置いてある。


 そんな前日譚を経て、実感が湧かないまま目覚めたライブ当日。物販が10時からなのを確認しつつも、二度寝したりダラダラ準備したりして、現着したのは11時頃。
 不可解参(狂)の時に、開場2時間前くらいに到着して人の多さに驚愕した記憶があったので、「今回は午前中に現着してやるぜ!」の勢いで向かったつもりが、代々木第一体育館の敷地内には、尋常じゃない数の群衆が。
 観測者のパワーを舐めてました。というか、ライブというイベントそのものを見縊ってました。
 街中の人混みとは違う、不思議と一体感のある人々。武道館でも全く同じことを考えていましたが、「ここに居る全員が観測者なんだ」と、歩道橋から見渡して感慨深い気持ちになっていました。
 
 Twitter(現X)で呟いている方もいらっしゃいましたが、観測者って普段どこに居るんだろうって思うくらい、現実世界で出会わない気がします。少なくとも僕は、現実社会の片隅で日常生活を送っている中で、未だに観測者と出会ったことがありません。本当に皆どこで生きているんだろう。神椿市だったら僕も連れて行ってよ。一応住所は登録してあるからさ。
 まぁとにかく、だからこそ。あれだけの数の観測者が集結している光景は、もうそれだけで少し泣きそうになりました。電子世界の文字列や画像じゃない、観測者のオリジンと際会するあの体験は、ライブともまた異なる感動を僕に与えてくれました。
 その色や形は違えど、皆同じものが好きで。その意思や思想は違えど、皆同じものを観測するために集っていて。それってなんというか、すごく尊いじゃないですか。
 少なくとも僕は、そう思っていたしそう感じました。代々木第一体育館と大勢の観測者が視界に飛び込んできた瞬間、俄かに胸が高鳴ったのを覚えています。ちょっとだけ体温も高くなったかもしれない。
 1月13日、午前11時頃。最高のライブのプロローグとしては、この上なく素晴らしい導入だったという確信があります。

 人の多さと列の長さに少し圧倒されながら敷地内へと足を踏み入れ、まずはメンバーシップの特典を入手。隣の物販の列がとんでもない。
 僕は未確認少女観測部にしか入っていないので、花譜ちゃんのチケットホルダーだけ貰いましたが、TLでは複数貰えるとか一つ選択する感じだったとか色々言われていました。結局どっちだったんですか? 教えて偉い人か優しい人。
 あと、あれってなんでチケットホルダーだったんですかね? 今回も全て電子チケットだったと認識してるので(当日券は紙?)、需要としてはかなり薄いような。映画館とかで使ってねってことかな…...大切に使うね……。

 続いて、長い長い列の最後尾に並んで物販購入。現地参戦組にはこの言い方で伝わると思うんですが、僕が並んだ時は奥の角を折れて水泳教室の真上辺りまで伸びていました。水泳教室って伝わるのかな。
 一時間ちょっと並んで、案の定ラバーキーホルダーは終了して。グッズもいくつか売り切れているものが見られて、「(これ10時から並ばないと無理な感じなんだな)」とか「(スタッフさん忙しそうだな)」とか思いながら、在庫があるお目当てのグッズを買いました。
 スタッフさん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。現金で払ったけど、多分電子決済の方が楽でしたよね。

 開場までまだまだ時間がある上に、別に予定があるわけでもなかったので、一度帰宅して荷物整理。1日目の最初はリュックを背負って向かったものの、配布のショッパーを肩に掛けると結構嵩張ったので、リュックから小さい肩掛け鞄に変えたのですが、今思えば我ながら良い判断でした。あの体積は会場内で邪魔になってたと思う。荷物なんて少なければ少ないほど楽なんだから。コインロッカー? 知らない子ですね。
 再度山手線に揺られて現地に戻ってきても、時刻は確か14時前。そして本当に予定がなにもない。
 
 まぁとりあえずフード食べるかと心を弾ませながら、そこそこ長い列ができていた花譜のコラボキッチンカーに並びました。
 商品名なんだっけと思って今調べたら、『カフノカフノカフノ〜カフノメケーキを食べると〜🎶目が目が目が〜🎶目がよくなるかも〜🎶』(公式の原文ママ)とのこと。いや、うん。『花譜のおいおい!さくら味って!季節のさくらんかい!アイスクリーム』からまた進化してない? 発想力というか個性というか……センスが。
 どうでもいいけど、『(略)アイスクリーム』の正式名称を調べてたら(狂)の懐かしい画像とかが出てきてグワッてなりました。アヒルかな?
 
 フードメニューが全5種類あったわけで、「(今日2種類か3種類食べれば明日も合わせてステッカーコンプリートできるな)」とか企んでいたら、ケーキが思ったよりボリューミーで満足しちゃったのは、夜にしか食べない食生活が身に付いてしまっているから。馬鹿がよぉ。
 甘くて美味しかったけど、思ったより大きかった。そういう意味でも1500円の価値は十二分にありましたね。目は別に良くならなかったよ、花譜タロ。
 季節錯乱したり視力が良くなったり、花譜フードはなにかと不可解。なんとも彼女らしい。ライブ前から楽しいとか最高じゃんね。

 そこから暫くは、本当に何をするでもなく徘徊していました。物販横のスピーカーから流れていたV.W.Pの音楽に耳を傾けたり、会場から少し離れた場所でTwitter(現X)の情報に触れていたり。ライブ会場じゃなければただの不審者だったと思います。
 ただ、時間が過ぎて陽が傾くにつれ、「え本当に今からライブなの?」という現実逃避みたいな考えが脳に浮かび始めます。だって皆意外とまったりしてるんだもん。人自体は多いけど。
 ただ、そんな能天気な思考も空模様に上書きされてしまう訳でして。早い段階で雲が厚くなり、何時頃だったかに降り出した雹と雨。なんか雪も降ってたんでしたっけ。記憶ないや。
 雹なんて久し振りに見たし雷も鳴るし、ライブ前の天気としては最悪なのかもしれませんが、その時の僕はいつもより頭のネジが不足していたので、「なんか決戦前って感じだな!」とか本気で思ってました。世界が暗くなるのとか完全に最終決戦のそれじゃん。
 天気予報を見ていなかった僕は、歩道橋の下で凌いだり(邪魔だったと思う)諦めて普通に濡れたり(馬鹿だったと思う)しつつ、挨拶しておきたいと思っていたフォロワーさんの現着を確認したので一旦合流。土砂降りの中でのエンカウントだったこともあって、名前だけ伝えてほとんど会話せずに離脱しました。失礼だったなと帰って猛省したのはここだけの話。
 幸いにも開場時間には大分小雨になっていて、冷えた身体と感触の無い指先を震わせながら待機列に並びました。マジで指先の感覚がなかったけど、マニキュアを眺めることで気を紛らわせていた気がします。極限状態だったから記憶が怪しい。


 そしてついに、開場と入場。
 広い会場を見て最初に抱いたのは、独特の空気に対する高揚館。照明用のスモークだと思うんですが、あの空気感が武道館の時から強く印象に残っていた僕は、その瞬間「あ、これからライブが始まるんだ」という今更な実感を湧き上がらせました。あの空気に囲まれることが、僕の中でライブに臨むためのスイッチみたいになっているのかなと思います。
 不透明な空気感がどことなく非現実味を帯びていて、現実世界とライブとを乖離させてくれて。代々木第一体育館という巨大なライブ会場は、まるで夢でも見ているかのような、不思議な力に満ちた異世界でした。

 2日とも席は2階北側の同じような場所で、ステージとの位置関係もそこまで悪くなかったと思います。ただ、ステージを向くために斜めに座っていたせいか、2日間で腰がとんでもないことになりました。というか単純に椅子が固いんじゃ。
 荷物を足元に詰め込んで、現象の花譜ペンラを準備して、ソワソワする観測者たちのTLを眺めて。ふと、自分もソワソワしていることに気が付いて。開演前から前のめり気味の感情を抑えるのに必死でした。
 入場待ちの兼ね合いからか、少し遅れて始まったカウントダウン。それ以降の4時間に関しては前回の記事でも触れましたし、過度な言語化は楽曲やパフォーマンスの価値を傷つけてしまうという創作観があるので(要するに単なる個人的な拘りなので、他の観測者の言葉を否定するつもりは一切ないです。むしろ機微まで仔細に教えてほしい)、そこまで細かく描写するつもりはありません。が、やっぱり言いたいこと書きたいことは山ほどあるので、少しだけ感情のままに言葉を綴りたいと思います。

 個人的に外せないのが、最初の『共鳴』をはじめとした、『定命』や『同盟』などの楽曲。要するにコールが印象的な楽曲。
 声出しNGだった(狂)しか知らない身としては、(会場に何人入ってたのか知らないけど)大勢の観測者が叫ぶあの振動が、心にも共鳴して揺らしてきました。比喩じゃなく本当に揺れてたと思う。会場も心身も。
 ついでに、現地に到着した時と似たような理由で涙腺に来ました。同じ場所で同じ音楽を聴いて、同じ言葉を叫ぶ。上手く言語化できないので、装飾を極限まで削った表現をするんですが、僕はあの情景を”信仰”だと感じましたし、僕はこの信仰という心の形が大好きです。信仰と純愛は極めて酷似した概念だと考えているので、つまりはそういうことですね。
 痛みのある喉から大声を出して、非力な腕でペンライトを振りました。熱狂して夢中になって、ステージの上で輝く魔女たちを観測しながら。
 V.W.Pが頻繁に煽ってくれたのも嬉しかったですね。アドレナリンが大量分泌される感覚がありました。あと多幸感。アーティストのメッセージを受け取ることも大切ですが、やっぱりライブっていうのは没入して全力で楽しむことも大事です。ライブ初心者なりにそう思います。

 次は何だ、セトリ的にはヴァーサスか。
 いや、これに関しては最高だったとしか言いようがなくない?
 豪華コラボ、新曲、観測者の盛り上がり。前回のnoteでも全く同じことを書いたけど、個人で活躍している魅力的な方々が複数人でパフォーマンスしたら、それはもう情報と情緒の過多なのよ。アヰドル情緒可愛かったね。
 VSはキレながら褒めるオタクみたいなことしか言えない。ずるいずるい。
 その流れで言うなら、V.W.P×V.I.P×VALISはもっとずるい。Vを三つも並べるな、ステージ上に何人いるんだ、どこを見ればいいんだ。これこそ正しく情報過多だよ。観測者が脳にも瞳増やして上位者になっちゃうよ。……何を言ってるの?
 実際、どこを見ていたかは覚えてないです。音楽に五感を奪われていて、意識のは『機械の歌』を聴きながら懐古を始めていたから。
 僕の人生を構築してきた音楽は、ほとんどがボーカロイドの楽曲でした。PC内には可不をはじめとした"機械の声"が居て、怠惰のせいで彼女たちから声を奪ってしまっている罪悪感が、心に彼女たちを巣食わせています。僕という人間の構成する要素として、かなりの重みを持った”機械の声”という概念が、僕が創りたいと思いながらも小さな一歩を踏み出せないでいる、音楽という輪郭を得て心を掴んできました。不安定な僕の琴線に触れ、容赦なく掻き鳴らしてきました。
 勢いよくペンラを振る曲でもなかったので、ほぼ無意識に力強く握りしめていたことを覚えています。バーチャルシンガーと機械音声が、その特異な喉と口から紡ぐ歌詞は、噛み締めるほどに視界を滲ませました。
 こんなこと言っておきながら、歌詞はほとんど覚えていないです。でも、あの時の心境だけはしっかりと覚えています。救われたような感覚と、心の奥底から生み出される創作への熱情です。
『機械の声』が歌われたあのステージ上において、オリジンであるVALISが踊っているという事実も、僕的には感じるところがありました。あれは、現実と仮想の次元の違いだとか、観測者と同位体の在り方の違いだとかを、結んで繋いでくれる役割があったのかな、みたいに。自分でも何言ってるか分からないけど、少なくともあの空間には、彼女たちVALISのオリジンの存在が必要だったと思います。

 SINKA LIVEシリーズのテーマソングに関しては、やっぱり言葉にしなくていいんじゃないかと本気で思っています。
 彼女たちが想いを歌に込めて、僕たちがそれを観測する。ペンライトや拍手や歓声で観測者の想いも伝えて、感情のやりとりは一段落。創作や表現の根底にある目的はコミュニケーションだと思っていて、音楽こそが意思疎通の起源だとも思っているので、「今の僕たちは、人間性の深奥の部分で触れ合っているんだな」なんて考えながら聴いていました。
 だから、あの時間のあの空間のあの感動が、そこに生じた余白も含めて、他に言葉なんて要らない全てなんだと想到しています。

 魔女拡成も終盤に入り、ライブタイトル回収。つまりは、魔女覚醒です。
 覚悟と期待はしていたものの、いざ映像を観るとやっぱり興奮しますね。クリエイターさんには毎回心をオドらされています。二つの意味で。
 1回のライブ中に平気で複数の形態を披露してくる神椿とはいえ、仮想世界の姿、バーチャルアバターの姿が変わるという出来事が一大イベントであることは、もはや言うまでもないと思います。個人的には、春姉の昭和三色とか、理芽チの髪型の変遷とかが印象深いですね。
 環境の変化や精神の変化、要するに進化であり深化であり、物語の大切な中間地点を打ち記す行為でもあるのです。
 目を覚まして、迷いから醒める。そして、拡がって成る。成長と可能性の拡張が魔女たちのミッションで、その現象を観測者が目撃することによって完成したのが、『現象Ⅱ-魔女拡成-』という最高のライブだったのだと、僕は強烈な衝撃と共に受け止めています。

 銀テープのカタルシスやMCの涙に情緒を滅茶苦茶にされながら、最後はもはや自分でも何を言ったか思い出せないくらい感情のまま叫び、割れんばかりの拍手と余韻のある手拍子で1日目のエンドロールを迎えました。
 インフォメーションの圧倒的情報量はここで処理しきれないので触れないのですが、終演後最初に驚いたのは現在時刻。本当に体感2時間くらいだったので、4時間近く経過していた事実は全く信じられませんでした。あれ、20時開演だったっけ、みたいな感じ。しばらく理解できなかった。
 誰かと合流しようかとも考えましたが、約束していないし一人で咀嚼する時間も欲しいなと思ったので、朝の満員電車みたいな群衆の一部となって帰路に着きました。
 凍結した歩道橋を、地面の感触とライブの余韻を確かめるように、踏み締めながら歩きました。あの歩道橋は、さながら現実と非日常との間に架けられた橋のようで、無機質に色を変える信号機と駅の眩い明かりが、僕を少しずつ現実へと引き戻してきます。
 僕を取り囲むのは逃避したい現実なのに、きっと心があるのだろう胸の奥のあたりでは、火が熱を帯びて燃え続けていました。火そのものは時間の経過と共に消えてしまいましたが、残り火のようなこの熱だけは、今なお消えずに燻っているような感覚があります。


 ライブの話をしているとやっぱり文章が少し固くなってしまうので、気分転換という意味でも次の話題。ライブ2日目じゃい!

 2日目は1日目の反省を活かして、10時5分頃に現着。その時点で既に通常のテンションではなくなっていたので、ニュアンスとしては現着というより着弾。代々木第一体育館で見事爆発しました。榴弾なんだね。
 ただ、1日目ほどではないにせよ、物販は想像以上に長蛇の列。「(君たちちゃんと迷惑じゃない時間に来た……?)」みたいな考えも頭を過りましたが、知りようがないし知ってもどうしようもないので、そこは観測者の民度を信じる方向性で納得。
 2日目のチケットホルダーを交換して、物販列の最後尾に待機。しかし、途中でラバーキーホルダーが終了し、テントに辿り着いた時にはグッズも一部売り切れ。昨日買い忘れていた怪歌ペンライトは無事入手できましたが、結局欲しかったバッグは入手できなかった。まぁ、怪歌のタイポネックレス欲しかったから我慢出来て偉いってことで! 因みにまだネックレス買ってないよ! はよ買え!
 ……ところで神椿くん、グッズの在庫増やさないか。いや、売上の予測とか生産数の調整とかが難しいのは分かるよ。受注生産も然りね。でも、もうちょっと増やしてもいいんじゃない? ビジネスには疎いから偉そうなことは何も言えないんだけど、頼むよ、後生だよ、人助けだと思ってさ。
 あと、在庫残ってる昔のグッズとかない? 再販できない?

 グッズの話を擦るのは程々にしつつ、1日目と同じ流れでキッチンカーの列に待機。フードに関しても、よもや残り4種類全部を食べられるわけがないと諦められていたので、大人しく理芽チのチュロスだけを購入しました。
 商品名は『ラブみ強メチュロス💙』(公式原文ママ)。花譜理芽はすごいナチュラルに絵文字使うじゃんね。そういうの大好き。
 かなり甘いという事前情報を仕入れていたんですが、実際食べると思っていたより甘さが控えめ&ラブみは強めで美味しかったです。ミスドで販売してくれとか一瞬思ったけど、ハニーチュロ(150円)の横にラブみ強メチュロス💙(1500円)が並んでるのは流石にまずいか。2日限定のオリジナルメニューだから単価が高くなるのは仕方ないけど、富士山頂の自販機みたいな部分もあるからね、ライブ会場の限定フードって。

 1日目とは違って、天気もびっくりするぐらいの快晴。甘いものを食べて暖かな日差しを浴びて、もうそのままお昼寝できそうな状況でした。
 と同時に、1日目と同様に予定が無いのもまた現実。流石にずっと会場内を徘徊するのも勿体ないかなと思ったので、突発的な思い付きで明治神宮に足を運びました。
「こんな歩くんだ?」っていうくらい鳥居から歩いて、拝殿前まで到着。道中に展示されてた氷彫刻が綺麗だった。
 そして拝殿に着いて思い出す、今日が比較的年明け直後の日曜日だという事実。観光客その他大勢の参拝者で溢れかえっていて、かなり長い列ができていました。どうやら書初め展示みたいなこともしていたっぽい。
 手水で清めながら、脳内では「(物販で1時間並んだばっかりなんだよなぁ……)」とか愚かなことを考えていました。まぁ、その後速攻で参拝を諦めたのでもっと愚かなんですけど。時間には余裕があったんだから並べよ。待つくらい今更どうってことなかっただろ。
 拝殿前をそのまま通り抜けるように横切り、復路をゆっくり帰ります。「ただ散歩しただけじゃん」とかは言わないでください。
 生い茂った自然が綺麗だったけど、途中で「(やっぱりあれ並べば良かったかもな)」とか考え始めていたのでいよいよ救いようがない。貴方はいつも優柔不断が過ぎますわよ、くたばりあそばせ。

 歩いていると、木々で日光が遮られていたこともあって、微かに肌寒さを覚えました。そういえば原宿駅にカフェがあったなぁと思って、明治神宮を出た足で向かいます。
 お邪魔したのは猿田彦珈琲。その時は「聞いたことはあるけど初めて来たなぁ」とか思っていましたが、今調べたら九州には店舗無いらしいです。そりゃあ初来店でございますわ。
 抹茶ラテを頼んで一息。体温まれば何でもいいやと適当に頼んだんですが、誇張抜きで今までで一番美味しい抹茶ラテでした。なんかこう、なんだろう、深みが違うみたいな。……すみません抹茶ラテにわかです。
 でも本当に美味しかった。体も温まったし、お店の雰囲気も落ち着いていて居心地が良かったし、気が付いたらそこそこ時間が経ってた。確か、店を出た時点で13時頃。本当にそこそこ。
 と、ここまで書いておいて、猿田彦行った後に明治神宮行った記憶が脳内に再生されました。うーん記憶の混濁。どっちも写真を撮っていなかったので、頼りになるのは頼りない自分の記憶のみ。まぁ特筆するような面白いエピソードがあるわけでもないので、ここの順番に関しては誤差誤差。

 そこからは再度会場に戻り、建物の周辺をぐるっと一周してみたり、キッチンカーが撤収した広場でV.W.Pのパネルを撮ってみたり、集合と撮影と撤収が爆速で行われた集合写真を見たり(あれほんとなんだったんだ)、色々楽しんでいると15時を過ぎていました。こういう無計画な散策は、時々気分でやるくらいには好きです。散策というより徘徊かも。
 30分くらい会場を眺めたりTLを確認したりしていると、昨日挨拶だけして離脱してしまったフォロワーさんの現着を確認。これは流石にもう一回お会いしておこうと思い、投稿されていた写真を頼りに合流しました。
「昨日振りです」のテンションで話しかけたものの、会話デッキなんて用意していないし、そもそも僕は人見知り。結局数回やりとりをした程度で、人が集まりだした後は、『なんか輪の隅にいるけど喋らないし誰か分からない奴』になっていました。一応相互フォローの方と挨拶はできましたが、一方的にフォローや認知している方々も大勢いらっしゃったので、僕は端の方で塩をかけられたナメクジみたいになっていました。サトウデモイイヨ!
 そんな感じで、正直なところ観測者との交流は満足に行えませんでした。こればかりは単純に僕のコミュニケーション能力の未熟さが原因なので、次回のオフラインイベントまでに改善したい所存でございます。
 
 余談、というほど余談ではないのですが、両日で挨拶した方とネイルの方は同じフォロワーさんです。後日『あまり話せなかったのが心残り』みたいなツイート(ポストってなんすか)を見かけて、なんとも複雑な気持ちになりました。滅茶苦茶嬉しいし同感なんだけど、心残りになってしまった原因は僕なんだ……!
  なんかあれですかね、スペースとかでフォロワーさんと話し慣れてた方がいいんですかね。
 そんな感じで、僕はこっそりその輪からフェードアウトして(これも帰ってから反省会した)、少し早めに入場待機列に並びました。


 昨日より30分早い16:30に開場し、昨日と同じ流れで入場。スモークで靄のかかった独特の空気感に、これからライブが始まるんだという実感を湧かせながら、2階北側の席に座りました。
 足元に荷物を置いて、ペンライト(怪歌)の準備をする。ここまでは1日目と変わりないのですが、待機中のエピソードが代々木決戦で一番の後悔になっているので、ここで吐露しておこうと思います。
 右隣に若い学生さん(と思しき方)が座っていたのですが、チケット代で限界だったのか、それとも単純に興味が無かったのか、ペンライトを持っていない様子でした。現象ペンラがあったので渡そうかとも考えましたが、事情が何も分からない以上、「(これって自己満足の有難迷惑なのかな)」みたいなことを考えて、結局終演まで声すら掛けられませんでした。
 なんのために貯金崩して2本買ったんだろう。いや、それは自己満足のコレクション目的だけど。でも、ペンライト振りながら観測した方が絶対楽しかった。身体を動かしてライブに参戦した方が絶対良い思い出になった。僕は1日目でそう感じたし、結果2日目もそうだった。なら、提案くらいしてみればよかったんじゃないか。有難迷惑になった可能性もあるけど、もしかしたら最高の体験をする助力ができたんじゃないだろうか。……みたいな。
 僕はライブ初心者なので、知らないルールやマナーがあると思います。今の話にも正解があるのかもしれません。でも僕はそれを知らないので、ここでこうして独り善がりの独白を出力することしかできません。
 何かしらの模範解答があったとしても、僕は別解としてペンライトを渡したいと思った。でも、躊躇いがそれをさせなかった。これはそういう、偽善的な後悔の話です。
 今となっては、もうどうしようもない苦悩の話なんですが。

 後悔は前の段落に置いてきて、ここからはライブ本編のお話。現象Ⅱもそうだったのですが、感情だけが残って記憶は現地に置いてきたので、有志のセトリを参考に書いています。ありがとうございます。
 セトリと関係ない話からにはなるんですが、最初に感情が爆発したのが花譜の登場時でした。「いや昨日見たばっかりやんけ」って話ではあるんですけど、どうしても武道館のことがフラッシュバックしてしまいまして。
 不可解参(狂)の時の僕は学生で、今よりも創作や表現に向き合えていました。今よりも未熟で社会を知らなくて、今よりも未来の可能性があって。 
 あの時と比べて会場は遥かに大きくなっていますし、花譜の姿も変化しています。僕は、僕も、一応は変化していて。でもそれはなんというか、成長というよりも、変化した環境への適応でしかないような感覚です。ひたすら精一杯に生きているだけで、何も創れていないし何も残せていない。僕は、何も成せていない。
 そんな嫌な考えも、心身に響く音楽でどうでもよくなりました。今この瞬間だけは、ただ目の前の光景を観測していたい。そんな風に感情を整えて、歌われ始めた『青春の温度』を聴いていました。
 1つの考え方として、24歳までは青春期であるそうで。残りの2年というか3年というか、そんな短くて儚い日々を、狂ってしまえるような青春にしたいですね。

 少し進んで、『それを世界と言うんだね』。カラオケで毎回歌うくらいに好きな曲で、小説をテーマにしていることもあってかなり刺さります。
 それに、観測者のコーラスが原曲みたいに優しい声で、一緒になって歌いながら涙腺が限界を迎えていました。間の3曲もクリティカルな曲選だったので、「あぁこのライブ絶対どっかで泣くな」と思いました。
 まぁ、悟った直後に、その時こと『邂逅』が歌われたわけなんですけど。
 いやさ、ショートVerとはいえ昨日歌ったから無いかなとか思うじゃん。昨日「ショートVerじゃなかったら絶対泣いてたわぁ」とか宣っていた奴が、フルを聴いて泣かないわけがないじゃん。
 はい、泣きました。ライブでいつも目に浮かべていた涙が、静かに零れて頬を伝いました。いつもは「泣いたらちゃんと観測できない」みたいに考えて我慢してたんですが、よくよく考えなくても視界が滲んでる時点で意味ないんですよね。皮膚に触れる涙って温かい。
 恥も外聞も変なこだわりも捨てて泣きながら聴いていると、すっと音楽が入ってくる感じがしました。純粋な感情を純粋な感情で受け止めているとでも言えばいいのか、とにかく耳と心に素直に響いてくるんです。
 邂逅。僕の心に刺さって抜けない楽曲の1つ。花譜とカンザキイオリの、新しい始まりの歌。僕はこの歌が現地で聴けて、感情を溢れさせながら観測できて、ただただ単純に、そして本当に、幸せでした。

 そんな感じで、邂逅以降の楽曲は、曖昧な上に不必要だった謎の枷や柵から解放されたような心象で、観測して楽しんで感動していました。明らかに声も大きくなっていた気がする。
 雷鳥で可愛いー! ってなったり、ゲスト参戦で盛り上がったり(あさひは盛り上がるって曲じゃないけど、感情の起伏的なニュアンスでね)、元々佐倉綾音さんが好きだったので、「(よくよく考えたら今あやねるともお会いしているのか)」と一人で嬉しくなったりしていました。
 で、現象Ⅱの方では触れなかったお馴染みのディスコタイム。
 何もディスコタイムに限った話ではないのですが、二階席の特権として、会場全体のペンライトが見渡せるというものがあると思います。ライブ映像を見ると分かるのですが(僕は見てない)、ペンライトが振られたり揺れたりする煌めきってすごく綺麗なんですよ。会場の一体感を視覚的に感じられますし、舞台演出の一部と捉えても美しい輝きです。普通にあの光景で泣きそうになる。泣ける。
 今更ディスコタイムで戸惑うような経験値でもないのですし、ステージ上ではダンサーさんのパフォーマンスもあったので、「おっしゃ楽しむか!」のテンションでペンライト振り回してました。もちろん、人に当たらないよう配慮した上で。聞いた噂だと本当に踊ってた人もいたみたいですが、あの密集度でよく踊れたなぁと感心する次第です。

 皆ハイテンションだった『CAN-VERSE』と『トウキョウ・シャンディ・ランデヴ』は名前だけ出しておいて(手叩くの楽しかったね)、VHKAFの登場について。
 より現実的な新しい姿を持つことに関して、僕はそれを形態変化の一種と捉えていて、そういうビジュアルの可能性の広さであったり、現実との境界を薄くしようという試みが好きなタイプだったので、「おっVH来たか」という印象でした。でもあのサイズは聞いてない。
 なんかクラブイベントみたいなやつでああいう演出あったよね。詳細情報無いから分かんないけどオマージュなのかな。観測者の「(でっか)」とでも言いたげなリアクション好きだった。
 ……この表現が不快な人も居るであろうことを理解したうえで、それでもこの表現をするのですが、『わたしの声』の臓器に響くような重低音クソエロくなかったですか。いや、分かる人には分かるってこの表現。僕は食虫植物のイントロもエロいと形容するし、あれをエロいと思う人と友達になりたいんだ。頼む、自重するから排斥しないでくれ。真剣な感受と感想なんだ。

 扇鳩へ形態変化後の楽曲なのですが、この辺は本当に感情しか残っていません。記憶は代々木のあの時間に置いてきてしまいました。
 カンザキさんの卒業と不可解の完結。花譜を形成する音楽には明確な変化が訪れましたが、決して「これは花譜の歌じゃない」と思わせないのは、継承したコンポーザーさんたちの才能や、しばしば語られる『どんな楽曲も花譜の音楽にして歌う』、”花譜らしさ"という彼女の才能なのだろうなと噛み締めていました。
 音楽が良かった、演出が良かった、歌声が良かった。言いたい言いたくないじゃなくて、本当にこれしか言えない。余白というか空白というか未観測部分の可能性というか、そういう花譜の新しい歩みを観測しているのだと、響き渡る音楽に心を奪われながら、そんなことを考えていたはずです。
 あと、さりげなく(はないけど)Guianoさん出演してたね。完全に予想外。当然といえば当然なんだけど、同じ歌でもぐいさんと花譜ちゃんの歌い方の違いで印象も変わって、やっぱりこういうの面白いなとか考えてた。


 冒頭に書いた、「没にした内容」の前半部分。時系列的にはここで触れることになります。この文体でも上手く書けない気がしていますが、ここまで書いたので頑張ります。
 突如説明されたAlter9までの深化の派生と、開示されるその一つ。詳しい文言は忘れたけど、”彼女”の姿が露出することを匂わせるような文章だったことは覚えています。でなければ、あの時にあんなざわめきは起きなかっただろうし、急に自分の心臓が五月蠅くなることもなかったはずなので。
 というか、あの言葉がモニターに表示されるまで、僕の脳味噌からそんな考えは抜けていました。(狂)の時から予想していたことなのに。可能性が文字通り形を得たその瞬間を、僕は目撃しました。

 ”バーチャルシンガーソングライター・廻花”
 バーチャルと銘打たれてはいるものの、その実態はリアルをバーチャルに投影したような姿。オリジンの身体が仮想上に出力されたような姿。
 困惑と驚愕とが混じっているのであろう不思議な喚声が上がったことは、今でも強く印象に残っています。その瞬間の僕はといえば、声すら出せずにひたすら思考を巡らせていました。
 ついに、どうして、なにを歌う、なにを語る、これから何をする。でも、考えてもその場で何か答えが出るわけでもなく。僕は反射的に、他の観測者と一緒に拍手をしていました。
 まずは、廻花を受け止めて迎えるべきだと。ありがとう、おめでとう、僕たちは君を歓迎するよと、まずは伝えるべきなんだと。思考よりも先に感情が、彼女を祝福しようと働きました。会場の喚声は歓声に変わり、開いた花には観測者の拍手が送られていました。
 彼女は今から歌うわけで、語るわけで、歩むわけで。そして僕は、観測者なわけで。ならばやるべきことは決まっていると、遠いステージの上に立つ廻花を見つめていました。

 廻花が歌った歌は、その記憶が全てが感情に変換されてしまっています。彼女の歌が僕の心を染めて、彼女の言葉が僕を呪いました。
 呪いです。あるいは傷なんです。過去のnoteでも散々同じ言葉を使ってきました。僕にとってのこの言葉は、決してネガティブな意味じゃなく、僕の少ない語彙力で、最も的確に自分の心象を表現できる言葉なんです。
 のろい、まじない、あるいはまほう。記憶がないのは、廻花の魅せる魔法にかかっていたからなのかなとか、今となってはそんな考えも浮かびますが、現地にいた時の僕は考える事すらも忘れて、無我夢中に熱狂的に、ただひたすらに観測していました。

 花譜と廻花の、ビジネス的な今後は一切分かりません。ここで話す内容でもないですし。ただ、物語としてのこれからの話は、ここで楽しそうに語ることが、僕にできる応援の1つなのかなと考えています。
 花譜のプロフィールの『にほんのどこかにいる20さい。 うたをうたいます。』という言葉と、廻花のプロフィールの『誰にも壊すことの出来ない、力強く美しいエネルギーが開花する。』という言葉が、もう全てだと言ってしまえばそれで終わりなんですが、まぁそれだとあんまりなので。
 たくさんのアーティスト・クリエイターのエネルギーを吸収して成長し、「どこかにいる誰か」だからこそ表現できる歌を歌う。当然、それはどこの誰でもいいわけじゃなくて、”彼女”や観測者や大勢の関係者が共に創ってきた、今の花譜であることに意味があります。
 そして、可能性の分岐点として、「自身の衝動」という力強く美しいエネルギーを軸に、誰にも壊せない絶対的で唯一の世界を歌として創るシンガーソングライターこそが、これからの廻花なのだと思います。気がするとか思うとかばっかりだね。
 
 念のため話しておくと、今回の開花を僕はすごく肯定的に受け止めていますし、これからもずっと応援したいなというのが純粋な気持ちです。
 Vtuberの歴史がその証左であるように、僕も花譜の歌を好きになったのが始まりで、そこから花譜という少女を好きになって。そして、仮想を挟んだ先にいる”彼女”のことが好きになっていました。今回の開花は、そんな彼女をより理解できる機会を得たと思っているので、もう有頂天ビバーチェって感じです。(ジョチョとか歌わないかなぁ)
 あと、”廻る”という文字が使われているのも、大変滅茶苦茶ビッグラブ大好きです。語彙力。詳細はパンフとかに載っているので読んでくださいって感じなんですが、曰く「枯れていくんじゃなくて、咲き続けたい」みたいな想いから、廻る花としたそうなんですね。
 神椿界隈の僕なりの解釈として、情緒の循環があります(ジョチョがクルクルしてるわけじゃなくてね)。どのコンテンツでも、制作者と消費者の間には相互に感情の矢印が飛んでいるとは思いますが、この界隈はその循環が濃密というか、より強く大きな意義を持っているように感じます。媒体が音楽だから、という説明では片付けられません。双方の深い部分、大切な部分、起源の部分で触れ合っているような、尊い感覚があります。
 廻花のこれからの活動も、音楽と観測を通じた情緒の半永久的な循環で、枯れない花が咲き続けられればいいなと、僕は望んでいます。
 美しい花は、いつまでも愛おしく眺めていたいじゃないですか。


 で、ここからが「没になった内容」の後半部分。タイトルでいう後日談と縫芽の両方の要素。更に言えばただの自分語りです。
 冒頭で、代々木決戦から10日以上が経過していると書いていますが、この文章を書いている現時点ではもう2週間以上が経過しています。書いたり消したりを繰り返していたら時間が経っていました。
 ライブ後の自分はといえば、ライブ前と大して変わらない生活を送っています。厳密には労働環境が少し変わりましたが、変わったのは環境だけで、僕は別に変化も成長もしていません。
 毎度毎度、ライブの度に「生まれ変わった」とか「進み始める」とか言いながら、停滞という緩やかな衰退をしていた僕ですが、今回のライブ後に関しては、今まで以上に焦燥感と罪悪感を抱いていました。
 2日間もあったから、観測者とも会ったから、上京後(就職後)初めての現地だったから。理由は色々ありますが、一番は廻花という可能性の分岐点と、”彼女”の深化を観測したことです。
 僕の心のどこかでは、花譜はまだ制服を着た中高生で、幼さの残る十代なのだという認識が拭えないでいました。でも、廻花として姿を見せてくれた”彼女”は、先月20歳になったばかりとはいえ、もう大人と言って差し支えない佇まいでした。
 成長を感じました。時間の流れを感じました。僕が彼女を観測し始めた時から、もう3年以上が経過しているのです。僕たちの世代が過ごす3年という月日は、恐ろしいくらいの密度を持った大切な時間です。
 僕はいつまで、消えかけの火を無為に燻らせているのでしょう。

 人を変えるのは環境だと言います。実際、全てのゲームを消去していた専門学生時代は執筆が捗りましたし(なぜ社会人になって再インストールしてしまったのだろう)、部屋を掃除すると精神的にもすっきりします。今の僕の部屋は汚いです。
 ただ、僕は昔から考えて生きていた人間なのだと、それだけしか能がないのだと、今更のように思い出しました。知識と経験が無いので大抵正解にはたどり着けませんが、自分が納得するための思考、自分の思想を形成するための行動なので、そこはあまり関係がありません。そういえば、考えるからこそ作品が書けるんでしたね。
 そういうことで、変化するための云々は一度置いておいて、考えることにしました。自分の部屋で椅子に座って、モニターには廻花に関するページを表示させながら。「僕のこれからの物語」について、俯瞰的に、客観的に、小説のプロットを練るような感覚で考えました。
 結論から言えば、僕も廻花に倣おうと思います。いつだって僕は、好きなものに影響を受けて、好きなものを継ぎ接いで生きてきた人間なので。

 僕は、暗い土の中で燻っていました。花譜や魔女たちから与えられたエネルギーを胸に抱えておきながら、燃えない仮初の熱情を抱きながら、何も成さずに生きていました。……言い方を変えれば、条件は揃っているんです。
 環境はこのままでも問題ありません。必要なエネルギーは十二分に持ち合わせています。土の中でいつまでも燻っているのなら、僕は種なのだと自覚して、その芽を出せばいいんです。
 開花とは言いません。彼女と同じ姿なんて、流石に恐れ多いので。でも、だからこそ、今の僕には萌芽がちょうどいいんじゃないでしょうか。成長の兆しである芽吹きの姿こそが、現状に合っているんじゃないでしょうか。
 
 萌芽。単語そのままではやっぱりつまらないので、尊敬する色々な方へのリスペクトも込めて言葉遊びをします。
 縫った芽と書いて、”縫芽”。糸を連想させる単語は、花譜の活動との文脈や芽吹きを意味する言葉として、悪くない多義になりますね。天才。
 自分を植物ではなく裁縫に比喩するのなら、僕は間違いなく針でしょう。糸は経験や思想で、布は創った作品や人生そのもの。その布は、ほとんどが誰かの作品や思想に影響を受けた借り物で、それを自分自身の思想という糸で継ぎ接いで。そうして、たくさんの布を綴り合わせて形を成しているのが、僕という一枚の布。
 僕という芽は、そういう継ぎ接ぎだらけで不格好で、色鮮やかな姿をしているんだと思います。どんな花が開くかなんて予想できませんし、開花してもすぐに枯れてしまうかもしれません。でも、そういう花だってあるじゃないですか。そういう花だって美しいじゃないですか。
 繰り返しになりますが、僕は縫芽です。別に名前を変えるとか、別名義で活動するとか、そういう類の話じゃありません。僕の中だけにある、僕だけが読み進められればいい、僕の物語の章タイトルです。タイトルという道標があると、小説も人生も描きやすいんです。
 ただまぁ、恥ずかしながらこうして露出させておくことで、気分でゴミ箱に捨てられるプロットではないんだと、退路を塞ぎたかったんです。それに物書きなんて、自分の身を削って物語ってなんぼでしょう。知らんけど。
 要するになんというか、決戦後に自分も戦いたくなったので、格好つけて痛々しく宣戦布告したというイメージです。誰にと言われたら、僕自身に。
 神椿のように最大のミッションと言えるかは怪しいですが、最大の分岐点とは認識しておくべきだと思っています。開花するか、このまま枯れるか。物語を創る人間として、観測者として、情緒の無い物語を綴るわけにはいきません。


 書いた! 一応! 没前とあんまり変わんない気もするけど!
 はい。何度推敲しても納得できる文章にはなりませんが、作品も人生も大体そんなもの。若干の妥協がないと進まないんです。若干のね。
 最初はもう書かなくてもいいかなとか思っていましたが、今は書いて良かったと感じています。特にライブ前後とか観測者との話とかを文字に起こせたのは嬉しい。薄い記憶が擦り切れる前に残しておきたかったんです。
 2万字弱の反芻。長い日記もとい備忘録もとい、声のデカい独り言。これの5倍書いたら一般的な新人賞に応募できる文字数になるんだよなぁとか考えてはいけません。このnoteにも十分な価値と意味があります。絶対。
 またしばらくは、いつもの文体といつものボリュームで書くと思います。イベント直後の情動をなるべく早くそのまま言語化したいですし、毎回長いと書くのも読むのも大変ですからね……。
 あと、これこそ究極的に自分語りなんですが、2月中旬から現実生活で環境が変化する予定でして、上手く適応できれば観測者としての活動にも良い影響を齎しそうな内容です。どう活用できるかは今のところ不明だけど。
 その勢いに乗せるつもりで、神椿の二次創作に挑戦したり、放置していた作曲を再開したりしようと画策しています。今すぐやれと言われたら全くもってその通りです。でも僕は勢いでまとめてガッてやる癖があるので……。他人から決められた〆切とかの強制力があればなお頑張る……。 

 とにかく。後日談という形で宣戦布告もとい宣言をさせてもらったので、本当にここを分岐点として歩き出します。変化します。成長します。
 これは、V.W.Pのお話し会に当選したら彼女たちに伝えようと思っていたことなんですけど、作詞作曲の大きな中間目標として「創った曲を彼女たちに歌ってもらう」というものがあります。伝える機会は訪れませんでしたが、想いは潰えていないので、逃げられないように書き記しておきます。
 二次創作に関しては、とりあえずは自分が楽しむことが最優先かな。誰かの呪いになれれば御の字くらいのつもりで。読者の情緒ぶち壊してやる。
 小説執筆だったり、作詞作曲だったり、やりたいことはたくさんあって、でもどれも満足に取り組めていないのが現状です。現状でした。最初の一歩を踏み出せば、あとはいつも通り惰性が足を動かしてくれると思うので、まずは芽が花開くその時まで奮闘します。死に物狂いで戦います。

 最後に。
 このnoteは公開後も編集できますし、消去だってできます。でも、文字に書いて公開して、誰かに届いて想いが伝わった以上、その言葉は読者の記憶の有無に関わらず、僕の心に呪いとして刻まれると思います。
 物書きの端くれなので、胸を張ってこう言えます。音楽がそうであるように、言葉の持つ力もまた、のろいであり、まじないであり、魔法なんです。
 魔女たちを観測する人間として、言葉で物語を創る人間として、僕は魔法の力とその輝きを信仰しています。

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