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オランダの大学院に通う学生です。文化人類学などを学んでいます。

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マガジン

  • 僕の模索記

    僕の模索日記です。本当にただの模索なので、コメントなどで一緒に模索してくださる方がいらっしゃったらとてもとても嬉しいです!

  • いいなと思った記事たち

    いいなあと思った記事をまとめています

  • Aの日常

    自分かもしれないし、自分ではないかもしれないような、誰だかわからないけどそんなAさんの日常を書き溜めていくマガジンです。

最近の記事

最近の早朝ルーティーン

朝5時半。iphoneのアラームが鳴る。布団から腕を出しながらじゃないと寝られないタチだから起床後まず腕から寒さがやってくる。冬のモザンビークは寒い(最低気温12度。とはいえ肌感では一桁代の寒さである)。そのままパッと体を起こすことができたらいいのだけど、そううまくはいかない。起きなければとまだいいやの狭間。頭の中がうぬぬと心地悪い時間が約30分。6時に体を起こす。軽くシャワーを浴びてコーヒーを入れる。オランダに住んでいた時のフランス人ルームメイトの影響から、コーヒーはモカエ

    • 内側からの熱。モザンビーク。

      ひょんなことからまたモザンビークに戻ってきた。契約次第ではあるが、1-3年首都のマプトで働くことになりそうである。 「アフリカの水を飲んだものはまたアフリカに戻る」なんで諺もあるけれど、自分もまさにその諺にどっぷりとハマった一人で、その言葉もあながち嘘ではないなあと感じている。 とはいえ、今回の滞在は学生という身分であった前回とは大違いである。4000メティカル(日本円で当時8000円程度)の家賃で生活していた学生寮時代とは全く別世界に住んでいるようである。 "Cida

      • Orienteの駅1階にあるカフェにて。

        2021年11月4日にフィールドノートとしてパソコンに書き殴っていた文章。 ---- Orienteの駅1階にあるカフェにて。 東京ではよく行っていた、少し広めのチェーンらしいカフェ。とても懐かしい気分になっている。ポルトガルのカフェ、特に自分の住む場所あたりにあるカフェたちは、白い箱に机と椅子とが並び、灰色がかったカウンターが部屋の片側一直線にくっついている、そんなイメージがある。オランダに比べて大きな窓があるわけでもなく、日光もあまり入らない。入ると少し重たい空気が身

        • 雑記 1/12

          「ドアを開けっぱなしにしておく感覚」 なんだろうなと考え続けてきた、モザンビークの人たちのconviviality。 でもきっとドアを開けっぱなしにしておくのも容易ではない。苦手な人はきっと苦手な部分である。おそらく。 電話がかかってきたら、すぐにかけ直す。苦手な人からメッセが来ても、最低限丁寧に返事をする。 convivialityを体現するモザ父を前に学んでいるのは、こうした小さな部分である。 この間自宅でフェスタをした。生憎の雨だったので、庭に簡易の天井を設けた

        最近の早朝ルーティーン

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        記事

          雑記 1/10

          I don’t know. 生きるとは何。息を吸い、吐く。それだけのこと?では終わらない。 偉大なアーティストは言った。好奇心。探究心。目の前のスプーン、素材は何か、この丸みは?誰の意図なのか、自分に再現はできるだろうか?考えて、表して、考えて、表すこと。それがアートだ、科学も同じだろう。 自分の人生はスプーンと対峙することか?何を考えて、何を表すのか? 人と生きることについて考えている。人と生きるとは、何か。 他の偉大なアーティストは言った。風邪をひいたって、人と

          雑記 1/10

          A vida de convivência

          ポルトガル、ポルトのとあるホステル。 変哲もないクロワッサンを一つ、バターとジャムで。それとここはポルトガルなのでcaféも一つオーダーしている。占めて3euro。街のカフェに比べたら安くはないけれど、チェックアウト後のホステルでゆっくりする時間も値段に組み込んだと考えればfaz sentido。 と、書いているうちに無音であったロビーに音楽が流れている。2021のEuro visionで一気に自分のお気に入りと化したicelandのグループ、Daði og Gagnam

          A vida de convivência

          武装解除!

          「自分の境界をちゃんと理解できてる?それを超えられたらちゃんとno、言える?」 とある友人の言葉。彼は「自分が何をしたいのか、それがわかればだいたい人生はイージーだ」と言っていた。 その通りだと思う。自分が苦しくなるのは、大体自分が無の空間の中でもがいているような時だけだ。 「自分は、結婚して家族ができて安定した道を歩むことができれば幸せになれる、そういう幻想に囚われないように日々戦ってる」 彼はそんなことも言っていた。 確かに、自分を含めそれを何かしら求めてしまう

          武装解除!

          根無草

          自分の存在価値が揺らぐ。 あぁ、また来たかこの感じ。 何度目かの、胸の落ち込み。まるで自分には何も無いかのような、何も持っていないかのような、根無草のような存在に感じられる。 「価値」なんて言葉から一番遠い場所で自分と向き合っていて欲しいような存在。そんな存在に対しても、無意識に自分を重ねて、自分の価値を測ろうとしようとしてしまう自分の浅ましさに吐き気がする瞬間。しまいにそんな存在に対してすら嫉妬してしまい、ますます自分という人間がまるで薄っぺらい紙切れのような存在に感

          根無草

          写真と映像

          どうも自分は写真や映像がまだ苦手である。 自分の撮った写真や映像は、自分が撮るのではなくて頭の中で想定され得る写真や映像によって引っ張られ、そしてそれによって撮られているような気がするのである。 写真や映像を撮るときは自分がなんかしらを感じた時に撮ることが多いのであるが、その感情を味わいながら撮影する余裕が自分にはまだないように思う。その感情を表そうと試みる余裕もないように思える。 それは撮影の瞬間に様々な(雑?)念が絡み合ってしまうことが大きい。まさにその瞬間を収めな

          写真と映像

          二日酔い

          二日酔いの、朝? 途中一度も目覚めることはなく、ようやく体を起こす。ベッド脇に置いてあったスマホを確認すると、すでに14時であることを告げていた。 自分の部屋で他に寝ているはずの二人はどうやらまだ目を覚ましていないようである。人がいるはずなのに音がしない。その状況がより一層、部屋に静けさをもたらしていた。 窓際に並んだ大量の空き缶やボトルは、一夜明けて主役へと変貌していた。酔いが回った酒の席、誰がボトルになんて着目するだろう。十分に騒いだ後の空っぽな部屋、ど真ん中にたた

          二日酔い

          油たっぷりの唐揚げを

          友人との通話。うまい言葉が見つからない。 頭の中を何通りかの言葉が巡る。このモヤモヤを理解してもらおうと。 巡った言葉たちには答えがない。どの言葉も結局回り道をしているような気がしてしまった。 「結局ね、何か作りたいのよ」 その言葉にたどり着くまでの説明はいくらかすることができる。抽象的な思考をしがちな自分を具体に落とし込みたい。何か意味が与えられてから行動するだけではなく、自分で納得する行動を自分でしてみたい。パッケージに当てはめられるだけではなくて、自分で自分を定

          油たっぷりの唐揚げを

          リトルRyoheiと刹那

          いかに刹那的に生きていられるか。 これが自分の今の課題であるように思う。今、とは言いつつもきっとずっと前から薄々と感じてきていたことだし、これからもずっと向き合っていくものかもしれない。 まるでリトルRyoheiてやつがいるかのように、何かにおいて自分の置かれた状況を客観的ぽく捉えようとする何かが自分の中にはいる。そいつは実態がないことをいいことに時間も空間も好きに飛び回っているようである。 自分の置かれた状況をそのままに受け止めることができれば、きっと味わえることはた

          リトルRyoheiと刹那

          レスポンスと自分

          ちびちびとでも自分と向き合う必要性を感じる。 なぜならそれが自分が一番取り組みたいこととやっぱり繋がっているはずだし、結果それが研究にもつながるはずなわけで、また日頃散りばめられているたくさんの選択にも繋がっているはずだからである。 と、いうわけでちびちびとランダムに書いていこうと思う。 自分は誰かに頼ってもらえている時が一番やりがいを見出す時であると思う。それはとてもいいことでもあり、苦しいことでもある。 きっと誰かに頼ってもらえているときは自分の行動を肯定してあげる

          レスポンスと自分

          Nichijo、日常、にちじょう、ニチジョウ

          課題の締め切り。 「絶対無理だ、いや締め切りあるから結局やるんだよな、いやでも論点すらまだ掴めてないし、いや論文読むとこから始めないと、ため息」 を繰り返してベッドから起き上がれない日々。 研究者は絶対向いてないわ。と友人に吐露。 自分がする行動に対して、レスポンスが欲しいんだわきっと。 チームプレー。グループプロジェクト。そこでの自分の行動には滑らかに意味が与えられていく。それはプロジェクトの目的かもしれないし、オオグッジョブ!の一言かもしれない。 そのレスポンスが

          Nichijo、日常、にちじょう、ニチジョウ

          自分って何よ?となった@ Uber Existence

          最近友人から教えてもらったサービスがある。それはUber Existenceというものだ。 みんなおなじみ、家でオーダーをし、食事を配達してもらうuber eats。一方で、uber existenceは、単に食事を持ってきてもらうだけではなく、人の身体を借りて外を散策できるサービスということらしい。キャッチフレーズは「家にいながら、外に出よう。」 流石にこれはフェイク...?存在代行...?いくら2020年といえども、身体まで貸し出すサービス...?と、という驚く気持ち

          自分って何よ?となった@ Uber Existence

          Dear くにっち

          この週末は重たい課題がどさっと溜まっていて、ただでさえ晴れない天気の中、自分の心にも厚い雲がかかっていたようだった。 なんてスタートしてみたけど、今はそのうちの一つが終わって、全くプレッシャーがないってわけではないけど、幾分穏やかである。 今日(月曜日)にはグループで書くリサーチプロポーザルのドラフト提出の締め切りと、個人でやる課題(二つのペーパーを比較して、研究手法の比較についてエッセイを書きなさい的なもの)の締め切りであった。自分の心を重たくしていたのは紛れもなくこの

          Dear くにっち