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再考―災害とわたし

 2024年は、まさかの大災害で幕を開けた。

 あの日は福島にある母の実家に一人で帰っていて、親兄弟の合流のため寝る場所の準備を祖母としていた。午後4時ごろのこと。
 千葉も地震の多いところではあるので、少し揺れがくるとすぐピンとくる。「あ、揺れたな」という感じがしながらも、そこまでの揺れではなかったから、そのまま布団を敷いていたら、下の階にある居間から緊急地震速報が聞こえてきた。これは、と思って降りていってテレビを見ると。
 じわじわと広がっていく、緊急地震速報の範囲。震源は北陸地方。しばらくもしないうちに津波警報まで出て、それが大津波警報にもなり。6歳の僕が心に刻み付けたおぼろげな記憶がよみがえってきて、これはただでは済まない、という予感がした。
 それからは一日中、テレビの画面やTwitterにかぶりついてばかり。寝床の準備どころでは、とてもなかった。

 あれから2か月と少し。能登の復興がまだまだこれからというところで、東日本大震災から13年を迎える。
 去年は「干支が一回りした」と書いた。今年は僕の7つ下、東日本大震災の年の10月に生まれた弟が、小学校を卒業して中学校に進学する。震災を知らない子どもが、中学生になるのだ。尚更、時の流れを感じずにはいられない。すでに、東日本大震災は教科書の中の出来事になり始めている。僕らにとってのNYの同時多発テロ事件と同じように、出来事の存在のみが過去のものとして覚えられていく。

 僕自身は、大学生になり境遇が大きく変わって、その気になればボランティアに出向ける身になった。自分にできることが一つでもあるのなら、能登半島に飛んでいきたいと、今でも思う。でも先約があったり、その結果お金が足りなかったりして、まだ行けていない。仮に行ったとして、非力な僕にできることはあるのだろうか。自分の都合で言い訳を並べ立てて、赤十字社経由で義援金を送ったこと以外は、被災地に対して何もできていない。どうしてこんなに情けないんだろう、と思う。旅に出て、ライブに行って、そうして充実した春休みを過ごしてきたけれど、今になって能登に行けていない自分のことがどうしても引っかかった。

 僕は能登に行ったことがないので、東北での経験を引くしかできることがないのだが。ただ感じるのは、「ふるさとをあきらめない」「あきらめさせない」そして「あったことを忘れない」ことの大切さだ。
 去年の大晦日――つまり能登半島地震が起きる前の日、コミケに出たその足で僕は常磐線に乗り、福島に帰っていた。いわき駅で特急列車から乗り継いだ原ノ町行きの最終列車には、それぞれのボックスシートに一人いるくらいの乗客がいた。東京方面から来たのであろう、大荷物を抱えた人も中にはいる。そういう人たちが、富岡や大野、双葉でぽつりぽつりと列車から降りていく。正直に言って、予想外だった。まだ僕の中では、帰る者のない無人の町という印象が根強く残ってしまっていたから。
 常磐線の一列車の様子だけで復興を語るのは、あまりに愚かかもしれない。それでも、帰る人がいるというだけで、町は生きていると、そう感じられるのである。あきらめなかった先に、誰かのふるさとが、息を吹き返し始めている。
 東北と能登半島では地理的条件も気候も大きく違うので、復興の道のりだったり、必要な予算だったりを単純に比較することは極めて難しい。だが、復興に向けての心持ちは、まったく違うということはないと信じている。ふるさとに住み続けたい、戻りたいと願うのであれば、どうかその願いを、希望を捨てないでほしい。そしてその気持ちを、誰かの心ない言葉が捨てさせるようなことも、決してあってはならないと思う。まだ2か月、もう2か月と、時間の長さの受け取り方は人それぞれだ。まだ前なんてとても向けない、という人もいることだろう。だが何にせよ、先に述べたように、復興はまだまだこれからである。一歩一歩、自分のペースで進んでいってほしいと願う。ただの外野には、これくらいしか言えない。

 能登半島地震があった翌日、僕は祖父母に頼んで海に連れて行ってもらった。かつて海から歩いて5分もないところにあった祖父母の家は、津波で跡形もなくなった。今は整地され、何やら新しい施設が建っていて、もうどこにあったのかはっきり思い出すことも難しくなっている。
 景色は変わった。世界も変わった。それでも、おぼろげながら覚えていることは今でも浮かんできて。その度に、忘れちゃいけない、手放しちゃいけないと強く思う。
 東日本大震災は、気が付けば教科書の中の出来事になりつつある。能登半島地震も、経験していない人からはいつか忘れられてしまうかもしれない。去年も一昨年も、もう何度も書いてきていることではあるが、一人でも多くの人の記憶にとどめさせることが、これから起きる災害の被害を、ちょっとでも減らすために必要だと思う。
 過去を振り返るというのは非常につらいことだ。僕自身、誰かにとっては思い出したくないはずのことを被災者でもないのに何年掘り返し続けているんだろう、と自問することも未だにある。だが、思い出すことで救われる命はあると信じている。だからどうか、忘れさせないということを、きっと北陸は今それどころではないはずだが、大事にしたい。

 あらためて、震災で犠牲になった方々、そして能登半島地震で犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。
 必ず、能登にも行きます。


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