見出し画像

捨てるということ

 僕は苦手が人よりも多い人間ですが、その中でも特に苦手なことが一つあります。
 何かを捨てることです。

 7つ下の弟が、この春で中学生になります。
 まだ僕の胸の高さまでしか背丈がなかった頃はすでに遠くなり、気づけば肩のあたりに頭が来るようになっていました。今まではランドセルを背負っていたのが、今度は僕が4年前まで着ていた学ランを着るようになります。子どもの成長の速さというのは恐ろしいものです。いつかは背の高さでは追い抜かれてしまうのだろうか、とまで思ったり。

 さて、中学生になれば小学生の頃よりぐんと勉強量が増えます。というか、増やさざるを得なくなります。勉強嫌いで朝起きて宿題をやるような弟なのに、なんと塾にまで行くようになった(それが本人の決断なのかは諸説あり)らしく、大変だな、と思いながらその姿を見ていたわけですが。
 中学の教科書、塾の教科書や問題集、ノート……。その量の大幅な増加を予想してか、4月のある日、母は僕にこう言いました。

「いらないもの、あったら分けておいてね」

 弟が僕と同室になることになってから、薄々わかっていたことです。仕方ない、こうなったらこの際しっかり断捨離してやろうではないかと、2年生の授業が始まる前の春休み中に部屋の整理を決断しました。

 さて、その「いらないもの」の主成分はというと、高校時代に使っていた教科書や参考書、板書をとったり演習をしたりするノートです。
 3段ある本棚のうち2段を占領し、それでも場所が足りず箱の中に平積みしたものがいくつか。ものすごい量です。当然ながら、大学進学を機に去年の春にも一度整理したのですが、「これは今後も使うかもしれないな……」というものがあまりにも多く、少し圧縮できたものの大きくは減りませんでした。というより、減らせませんでした。
 そしてそのまま1年が過ぎ、いよいよ必要に迫られたさらなる圧縮。結局ページを開きもしなかったものがほとんどですから、もうおさらばするしかありません。

 本棚から参考書や問題集、大量のノート類を引っ張り出していくと、受験期の思い出が次々によみがえってきます。新しい知識を得るのに精一杯だった2年生までの期間。模試の判定と分析に頭を悩ませた3年の前半。やっと志望校と学問系統が定まって問題に向き合い始めた夏休み。教室でクラスメイトとあれこれ話して相談しながらまさに切磋琢磨した秋。暖房の効きが十分とは言い難い教室に缶詰めになってひたすら過去問と向き合った冬休み。どれをとっても、それなくして今の自分たりえなかったもので、そうなってくると尚更、教材を捨てるという選択が憚られます。悪い癖です。
 しかし、僕の大学受験はもう一区切りした話です。これからも勉強せねばならないことは山のようにあるし、その先には長い長い社会人としての時間が待っています。

 悩みに悩んで、僕は数学と世界史のノート、それから一部の教科書と参考書をごっそり資源物として出すことにしました。勉強に打ち込んだあの時あの瞬間にしか味わえなかったものが、ノートや参考書にはたくさん蓄積されています。それは買い直しても勉強し直しても、決して手に入れられないものです。ゆえに、手放すのはあまりにも惜しいですが、もはや開くことのない参考書やノートに、いつまでも部屋の一角を占めさせるわけにはいきません。ましてこれから新しいものがどんどん入ってくるというのに。
 ただ、そのまま全部書籍の形を解くのはもったいない気がしたので、パラパラめくってまだ使えそうだと判断した参考書は、譲るか売るか、ということにしました。この痛みが次の学生の糧になるなら、これ以上にいいことはないでしょう。

「物」に対してしみついた思い出というのは、美しいものではありますが、時にはやっかいな存在にもなりうるものです。結果、僕のように、思い切って捨てるという選択をとることができない人間が生まれてしまうのです。仮にそれが消耗品であったとしても、古くなってもはやどうにも使えないものであったとしても、並ならぬ愛着が湧いてしまった「物」を、そう簡単に手放すことができないという人は、結構いるのではないでしょうか。
 いいように「物を大切にできる心がある」とも言えますが、裏を返せば「決断力がない」ということになってしまいます。そうしてどんどん物をため込んだ結果、部屋がものすごく乱雑になってしまい、印象が悪くなるであろうことも想像に難くありません。困ったものです。

 何かを捨てることの苦手意識は、当分治らなさそうです。


スキ(♡ボタン)は会員登録していなくても押せます!よければぜひポチっと! マガジンへの追加、SNSなどでのシェアもおねがいします!コメントも遠慮なく! もし活動を応援して下さるのであれば、サポートもよろしくお願いします!