デザイナーの自分が言語聴覚士を目指した理由
皆さまこんにちは。shirと申します。今年国家試験を合格したばかりの初心者マーク付き言語聴覚士です。
20年以上の社会人経験・子育て経験後に養成校を経て国家試験を受験し、晴れてこの春から言語聴覚士として勤めることとなりました。
グラフィックデザイナー・UXデザイナーが、なぜ異業界・異業種の言語聴覚士の世界に飛び込んだのか?
自身への覚え書きを兼ねて以下まとめました。大きく分けて3つあります。少し長めですが、もしよろしければお付き合いください。
1. いちデザイナーの力だけでは全ての人のコミュニケーション体験を満たすことが困難であることを痛感したから
グラフィックデザイナー・UXデザイナーとして20年ほど勤め続けた自分にとって、企業人としてのデザイナーを辞める決断は本当に重いものでした。
それでもあえて決めた理由として一番大きかったのは、「デザインの力だけでは救えないコミュニケーションの障害・障壁が存在する」壁にぶつかったことでした。
そもそも自分がデザイナーを志した理由として、「デザインですべての人々を幸せにしたい、苦しむ人を救いたい」という強い思いの実現がありました。
しかし実際のところ、デザインで実現できることは限られていました。
例えば、印刷物やWEBの改善の場合、視聴覚障害がある方向けのアイデアやアウトプットはウェブアクセシビリティ基盤委員会(https://waic.jp/)などの精力的な活動から認知・啓蒙・実装が浸透しつつあります。
一方、他の多様なコミュニケーションに障壁を持つ方(発達障害や失語症、認知症など)を含めた全方位の施策やアイデアの企画や実装となると、まだ一般的に共有されているアイデアや事例も少なく、満足のいく結果の実現に至ることができませんでした。
もっと相手の事を知らなければ、正しい知識をつけなければ、いつまでも情報にたどり着けず、取り残される人が一定存在し続ける。誰かがやらなきゃ何も変わっていかない。デザイン業務を続ければ続けるほどそんな思いが強くなりました。
もちろん、もし言語聴覚士の知見を得たらそれらがすぐに解消できるというものでもありません。ただ、デザイナーのままでいる自分より、言語聴覚士として福祉・医療の世界に身をおき、理解を深めることで、より自分が実現したい世界観に近づけると考えました。
2. ことばが遅い障害児の親として、子の成長を通じて言語聴覚士の力を目の当たりにしたから
私には発達障害の診断がおりている子どもがいます。
彼の乳児期〜幼児期は、2才頃まで意味のないことばやCM・歌のエコラリアばかり発していました。そんな子どもの様子を見て「何かある…?」「このままずっと『ママ』って言ってくれずに大人になるの…?」と常に不安な日々を過ごしていました。
それでも長年ハビリテーションを続け、少しずつ増える噛み合う会話に変わっていったことで言語療法の力を実感していくとともに、言語療法がコミュニケーションの架け橋になるということへの確信に変わりました。
3. 親である自分自身も苦しい育児時期に助けられ、心の支えとなった言語聴覚士を目指したいと思ったから
初めての子だった息子。保育園児となり、他の子との差がはっきり見えるようになってからは、成長していくに連れて乳児期以上に、時には自分のせい…?色々な人に助けてもらってばかりで申し訳ない…と自分を責めることも増えました。
そんな中で担当言語療法士からは、療育中に、親の自分へも
「お母さんがんばってるね」
「家でのその方法いいですね」という声がけが。
どれもちょっとした一言でしたが、当時の自分にとっては本当に大きく温かく響き、生きる力へとつながりました。
時が過ぎ、あの頃エコラリア連発だった息子は、いつの間にか会話や冗談が好きな少年に成長していました。
息子の試行錯誤を通じて、近い悩みを話し合える仲間もできましたし、僭越ながら相談をおききすることも増えました。
そんな日々を過ごしながら、次第にあの頃の自分のように思い悩む保護者や家族を救えたら…その思いが日に日に強くなり、現在に至ります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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