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なりたい自分となれない自分[INFJ]

多くのINFJは他人にも自分にも、さらには世界にも理想を抱いている。それらが達成されないときには落ち込み、世界や自分を恨む。

༝ ༝

例えば、世の中は人が思い合って気遣い合う世界になれば良いのに、と思っている。そこで何をするかというと、まず自らが行動を起こす。周りの人を気遣い、時には救うために行動する。だけど、自分が窮地に陥った時に誰からも助けてもらえないと、絶望する。自分だったら絶対に自分のことを助けられるのに、と思ってしまう。いわばこれは他人に対する期待であり、他人からすると「勝手に行動して勝手に期待して迷惑だ」と思われるかも知れない。だけど、無意識に世界ないし他人に期待をし、その度に裏切られて、傷つく。

周りの人は、被害妄想だというかも知れない。その通りだ。私たちが考える理想世界は現実世界とは程遠く、実現は不可能だ。不可能なことを勝手に求めて勝手に傷ついていてはいつか自分が壊れてしまう。

実際に私も、他人に期待し、"裏切られた"と思った経験が何度もある。だけど、相手はそんなこと1ミリたりとも考えておらず、悪意があって"裏切り"をしている場合はほとんどない。そもそもこちらが何もしていないのに相手に悪意があるわけがない。ほとんどの場合は。(世の中には死ぬほど性格が悪く気に食わない人に悪意をもって傷つけに行く人も存在しているのでこの人たちは例外。)

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そこで、考える理想のうちどれが叶えられてどれが叶えられないのか客観的に判断できるようになることが必要だと思った。例えば、自分の言動は変えられるけど他人の言動は変えられない。いくら言っても聞かない人は聞かない。また、自分の言動にも限界がある。救える人は自分の周りの人たちだけで、その人たちですら自分に余裕がないと手を差し伸べることは難しい。

だから、私はなりたい自分となれない自分を考えて、弁えることにした。高すぎる理想は身を滅ぼす。世界平和なんて自分の手では叶えられない。世界平和どころか所属コミュニティの平和ですら自分1人では保つことが難しい。INFJの敵は、いつだって世界だ。理不尽な目に遭うのだって世界のせいだ。であるならば、諦めも必要なのだ。

理解できない人は理解できないと諦める。理解し合おうなんてお互いが思っていないと到底叶えられることではない。自己犠牲的精神も、結果的に誰かのためになると言い切れるわけではないし、不確定なそれよりも"自分が傷付き疲弊する"という確定事項を避けることに集中すべきなのだと思う。もちろんそんなこと考える前に行動を起こしてしまう私たちだから、それは難しい。共感性が高すぎるあまりに周りの人の気持ちを常に考え、自分の気持ちは気付かない間に見失っている。

でも、本当に想像する相手の気持ちは正しいのだろうか?本当に相手にとってそのサポートが必要なのだろうか?

༝ ༝

小学生のとき先生に言われた「相手の気持ちを考えて行動しよう」を律儀にずっと10年以上守り続けてきた。自分がして欲しいことは全て相手にもしたし、自分がされて嫌なことは相手にもしなかった。それが当たり前なのだと思っていた。だけど、実際は相手の気持ちを本当に知ることなんて出来ず、それが正しいとは言い切れない。もちろん"気持ちを考える"という「姿勢」は大事だ。逆に、その人を思いやる気持ちさえ捨てなければ、自分のことを犠牲にしてまで他人のために何かをする必要はないのではないか。

以前noteで悩みを投稿した時に、「いくら気持ちがあっても世界中の人を救えるわけではない」「まずは自分が強くならないと救える人も救えない」「多くの人を救うためにまずは自分を大切にすべきだ」というコメントをいただいた。とても素敵な考えだと思った。自分を優先することは、決して利己的とは言い切れず、他人のためにもなるのだと思った。そして、そのような考えをもって今後は生きようと思えた。だから、他人の影響を必要以上に受け、他人を想うがあまりに自分を見失ってしまっているINFJの仲間たちにも、まずは自分を大切にして欲しいと思う。自分が壊れてしまっては、救えるものも救えないのだ。

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