見出し画像

私と次郎の「大分ばんぢろ」物語

 大分県大分市に「珈琲を愉しむお店 ばんぢろ」はある。コンパルホールの裏隣り、なんとも落ち着ける喫茶店は、いつも変わらずそこにあった。ところが、存続の危機にあると聞き、思い出を綴った。

 この物語は、そのお店が、一日でも長く、そこにあることを祈って書いたものだ。幸い2018年12月はなんとか営業ができているという。すべては、移り変わっていく中にあって、いつも変わらずにそこにある(あってほしい)、そんなお店の物語を読んでください。
*追記*2023年12月現在も存続しいてますよ~

1、「大分ばんぢろ」との出会い

 そのお店に、地図を見い見い、やっとたどり着いたのは、8年ほど前のことだ。次郎が支援学校の高等部1年生だった頃のこと。支援学校の先輩に、陶芸家になった方がいて、その作品展に、出かけて行ったのだった。
 作品展というからには、なにかこう、無機質な建物だとか、こじゃれたカフェだとか、凡人には理解しがたい雰囲気がだたよった場所なのでは、と、半ば恐る恐る足を踏み入れたそのお店は、なんとも、気の抜けるような、自分ちのような喫茶店だった。

 靴を脱いで上がりこんだ畳の間で、次郎は靴下を脱ぎ、くつろいだ。その姿を見て、私も、さっきまでの緊張を解き、ほっと周りを見渡してみれば、実家にあったような縁側があって、縁側にはメダカがいたりして、庭には、よく見るけど名前をしらない馴染みの草木が青々と茂っていた(後で知ることになるけれど、マスターはその名前をよく知っていた。なぜなら、マスターが植えて、育てた草木だからだ)。

 「いらっしゃいませ!」マスターが水とメニューを持ってくる。ちゃんとしている(笑)。我が家のような喫茶店となると、次に心配になるのが、常連さんが、「マスターいつものやつね」なんて言っていて、いちげんさんは、肩身が狭いなんてことがありがちだ。でも、きちんと挨拶されて、そんな心配も消える。

 次郎はハヤシライスのランチセットで飲み物はカルピス、私はパスタのランチセットでコーヒーを選んだ。マスターがオーダーを取りにくる。「何になさいますか?」その顔は、次郎を向いている。次郎は答える。「ママ」(に聞いて)と。そして、次郎は私に向かって「ママ」(答えて)と言う。私は「ハヤシライスのランチセットと、バスタのランチセットをひとつづつお願いします」と答える。マスターが、「お飲み物は何になさいますか?」と尋ねる。その顔は、やはり次郎を向いている。次郎は答える「ママ」(に聞いて)と。そして、私に「ママ」(答えて)と言う。私は、「カルピスと、コーヒーをお願いします。」と答える。「お飲み物は、ホットにしますか?アイスにしますか?」とマスターは聞く。その顔は次郎を向いていることから、カルピスもホットがあることがわかる。次郎は、にわかには、カルピスのホットを理解できなかったらしく、私の顔を見る。私は、次郎に「カルピスもホットがあるんだって。ホットにする?」と聞くと、次郎は「ブブー」というので、「カルピスはアイスでお願いします。コーヒーはホットで」とお願いする。

 次郎は、すっかりここが気に入った様子だった。なぜなら、マスターは、自分に注文を聞いてくれたからだ。『どうせわからないだろう』とか、『どうせ答えられないだろう』とか、もう少しソフトに表現すれば、『どう接したらいいいかわからない』とかで、自分が目の前にいるのに、居ないかのように扱われるのは、ひどく自尊心を傷つけられるものだ。なのに、ここのマスターは、自分を一人前として接してくれる。普通に話しかけてくる。こんなあたり前のことをしてくれる人はあまりいない。だから、かなり嬉しかったのだ。

 そして、それは、私にとっても嬉しいことだった。その頃の次郎といえば、どんなお店に入っても、食べ終わったら、『はい!さようなら!』と、伝票を持って、とっととレジに向かうのが常だった。『食べ終わったお店に用などない』と言わんばかりの次郎と一緒では、食後のコーヒーなど、夢のまた夢だった。

 「大分ばんぢろ」で、私は、次郎と一緒にゆっくり食事をし、初めて食後のコーヒーをゆっくり飲んだ。そのコーヒーは、びっくりするほど、私好みのコーヒーだった。「また、来ます」、玄関まで見送りに来たマスターにそう言って帰った。

 同じ大分県内とは言え、「大分ばんぢろ」と私の自宅は、離れていたから、「大分ばんぢろ」に、簡単には行けなかったけれど、なにかと、都合をつけて、立ち寄る場所になっていった。

2、アールブリュットとの出会い

 その日は、頭が重かった。文字通り、頭の中が情報でいっぱいで、ぱんぱんになっていたのだった。2011年の春のことだ。3月11日以降、私はパソコンの前にかじりつき、ありとあらゆる情報を取り込もうとしていた。でなければ、何をどうしたらいいのか、さっぱりわからなかったからだ。そう、頭の中は、放射能でいっぱいだった。

 そんな私の前に、マスターは、一冊の画集を差し出した。「これ面白いんですよ」。私は、たいして興味もないけれど、画集をぼんやりと眺めた。『なんだ?これは?』理解できない絵が現れる。ページをめくる。青い海に、ピンク色の空。『えーーーっ!空と言ったら青でしょ。海が青いんだから、空も青いでしょ!』ページをめくる。『人のとなりに人、そのとなりに、鳥?人のとなりに人が来てほしかったー』ページをめくる。『えーーーっ!なになに、これは!』

 いつの間にか、私は、その不可解で、不思議な絵たちに夢中になっていた。『私の常識が覆されるーーっ!』『なんだかわからないけど、楽しいーーーーっ!!』画集を見終わる頃には、すっかり私の頭は空っぽになっていた。

 『これこそ、今の私たちに必要なものだ』という言葉が湧いてきた。そう、アールブリュットこそ、今の私たちを癒し、笑わせ、感動させ、人間らしい心を取り戻すために、必要なのだ。傷つけられた私たちに、必要なものだ。と確信した。

「マスター、これ面白い」そういうと、マスターは、「そうでしょーー」と次々に、画集を出してくる。その時にマスターに教えてもらったのは、ヨーロッパではアールブリュットと呼ばれるけれど、アメリカではアウトサイダーアートと呼ばれたりもするということ。

 マスターのレクチャーは続いた。「これ持ってみてください」そう言って、陶器を差し出された。握りこぶしくらいの大きさなのに、持つと、やたらと重かった。「これ花瓶なんですけど、重いでしょ。こんな花瓶見たことないでしょ。でも、これ、一輪挿しにいいんです。この重さがあれば、少々の重さの枝まで挿せるから、いいんです。」なるほど、そんな使い方があるのだ。それにしても、こんな花瓶どこを探してもないはずだ。

 私はアールブリュットの入り口に立っていた。マスターに導かれるままに、覗き見るアールブリュットの世界は、どれひとつ同じもののない、色とりどりで、豊かな世界が広がっていた。もっと、知りたい。感じたい。「大分ばんぢろ」は、私をアールブリュットと出会わせてくれた場所になった。

3、アールブリュット作品との出会い

 アールブリュットと出会った私は、アールブリュット展と聞けば、覗きに行くようになった。そんな話をマスターとしている時、私は「作品の横の解説が長いのがどうも」なんて、ちょっとした不満を言った。なんだか、その作品展示には、邪魔だと思ったからだった。マスターは「その展示の仕方は、わからないけど、解説って大事なんですよ。例えば、この絵」そう言って見せてくれたのは、おそらく鉛筆でぐるぐるぐるぐる描かれた人らしい絵だった。見れば見るほど不思議な絵で、どうやったら、こんな立体感が出るのか?まるで、高速回転をしている人が浮いてでもいるような絵なのだった。マスターが言った。「この絵、不思議でしょ。でも、それだけではないんです。この作者は、絵を描いたら必ず、びりびりに破いて、そして、最後は、パラパラと撒いておしまい。そんな作風の方なんです。なのに、どういうわけか、この絵だけは、びりびりに破かなかった。だから、その方の絵はこれしか残ってないんです。」

「どうです?欲しくなったでしょ」

私はその絵を買った。もうすでに、マスターは、画商のようでもあった。その絵が売れることで、その絵を描いた方は、喜ぶだろう。その家族も、『まさかこの絵を買ってくれる人がいるなんて!』と喜ぶだろう。買った私も、毎日その不思議な絵を眺めながら暮らせて幸せだ。

 この予想だにしなかった感動はなんだろう?
アールブリュット作品は、私をワクワクさせて、思いもよらない方法で、硬くなった頭と体をもみほぐしてくれる。そう、常に、私の想像をはるかに超えて、想像だにしなかった方向から、私を驚かせてくれる。

4、まさか次郎がアールブリュット作家になるなんて

 アールブリュットに目覚めてゆく私の隣で、次郎は、なんのことはない次郎の世界を生きていた。別に、人の絵に感動することもなく。人の作品を見るわけでもなく。そんな次郎を、私は、次郎そのものが、アートなのだと言ったりした。アートが、既成概念を変えたり、価値観を変えるものであるのなら、次郎こそが、アートだと。

 ところが、次郎の書くものが、アートだと言われるようになってきた。小さいころから紙とペンが好きで、紙とペンさえ持っていれば、おとなしくしていられた。けれど、字も絵も描けない次郎の書くものは、なんだか、さっぱりわからない。私は、部屋が散らかるから、いやだと思っていた。「大分ばんぢろ」で出会ったアールブリュット作家の家族が言うように、「これのどこがアートですか?こんなもの部屋にたくさん散らかっている。」と私も思っていた。

 そんな次郎のアールブリュット展「ボクハ ココ二 イルヨ」を開催してもらったのも、「大分ばんぢろ」だ。まさに、里帰り展となった。

 そんなこんなは、「大分ばんぢろ」あってのことなのだ。次郎初めてのお気に入りのお店になり、多くの出会いを「大分ばんぢろ」でした。まったく先の見えない次郎との人生を、意外な展開に導いてくれたのは「大分ばんぢろ」だった。

 きっとマスターは言うだろう。「私は、なにも特別なことはしてませんけど」と。
いや、「大分ばんぢろ」が、すでに特別な場所なのだ。特別で、大事で、なくてはならない場所なのだ。

大分県 大分市 府内町1-5-11 「珈琲を愉しむ店 ばんぢろ」

書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。