YA【逆さまエリア】(3月号)
月ノ島中学校の裏門のそばに、楕円形の花壇がある。
今、五十本ほどのチューリップは満開だ。
園芸委員の星崎陽菜はかがんで、チューリップの花びらにやさしく触れる。咲いているのは、赤、白、黄色の三色だけじゃない。ピンク、黒っぽい紫、橙色もある。
昨年末のとても寒い日に、陽菜は先輩と一緒にチューリップの球根を植えた。
あの日も、陽菜はおどおどしていた。
陽菜の悩みは、自分に自信がもてないことだ。
そのせいで、普通の人が緊張しないようなことで硬くなって、赤面していやな汗をかく。
(とにかく早く球根を植えてしまおう)
穴の中にまっすぐに球根を置いて、約一センチ五ミリ、土をかける。てのひらで少しおさえる。
(よし、次、あっ、球根が転がった)
陽菜があわてて球根を拾い上げると、
「少しくらい傾いて植えても大丈夫よ」
先輩は笑いながら、声をかけてくれた。それから、ちょっとした雑学だけどと前置きして教えてくれた。
「チューリップの球根は、逆さまに植えてもちゃんと芽が出るのよ」
「えっ、真っ逆さまでもですか……?」
陽菜が尋ねると、先輩は声を上げて笑った。
「うん、真っ逆さまでも。植物の球根は引力を感じて、土の中で空を探して向きを変えるのよ。よし、これから実験しちゃおう」
先輩はイタズラっ子ぽく言った。
そして、二個の球根を手に取った。逆さまエリアと名付けた花壇の隅に、赤と白の球根を植えた。
「他の球根より遠回りをするけど、二人ならきっと楽しいでしょう」
先輩と陽菜だけの秘密。
春になって、今、陽菜が触れているのは、逆さまチューリップのカップルだ。(先輩は見たのかな……)
三年生の先輩は高校受験の真っただ中だ。
今更ながら、陽菜は、自分も一学年上がって、二年生になるんだと思った。しかし、実感がないし、自信もない。
今日も春休み前の最後の部活動、美術部に顔を出さなかった。
「だって、みんな上手すぎるんだもん」
陽菜は絵を描くのは好きだけど、だれかに見られると緊張する。
特に描いている最中に傍に立って見ていられると、指先が震える。
「あっ、ここで、描いてみようかな」
陽菜は花壇の縁に腰をおろして、スケッチブックを取り出した。裏門の前を通過する生徒たちは少ない。
たまに通る生徒も、花を見るために足を止めたりしない。
みんな忙しそうに歩いている。耳の中にイヤフォンを隠している子もいる。
(せっかく植えたのに、せっかく花が咲いているのにな……)
でも、見られないのは楽ちん。
さみしいけど楽ちん。
見て欲しくないわけではないけれど、感想とか言われたら、緊張するし、困惑する。
(矛盾している? わかんない)
陽菜は頭の中でぶつぶつ言いながら濃い鉛筆を動かした。
無心でデッサンをしているようで、陽菜の脳はフル回転で哲学もどきをしていた。
だから、突然、
「わぁ! すごく素敵な絵ですね!」
声をかけられたとき、陽菜は声の主を探していた。その子は、校門の外からのぞいていた。
しかも、チワワを連れている。
「ぎゃあ、犬、犬、怖いの、ダメ!」
陽菜は花壇のふちからずり落ちた。
女の子は深美和香と名乗った。来月、月ノ島中学校の一年生になるという。チワワは男の子で、ケンシロウという。
「ず、ずいぶんと勇ましい名前だね」
「番犬なのにすごく怖がりなんです」
和香はしゃがんで、ケンシロウの頭をなでた。
よく見ると、白と黄土色の毛が小刻みに揺れている。細い足は震えている?
「中学生になったら、私、美術部に入りたいんです。まずは、デッサンの基礎を身に付けて、先輩たちにアドバイスをもらって、卒業までに、全国レベルのコンクールに応募したいんです。入賞は無理だと思うけど」
和香ははにかむ。
そして、ケンシロウに向かって、
「おまえも立派な番犬になるんだぞ」
和香は大真面目に言った。
陽菜はオカシクなった。
「チワワくん、名前負けしているね」
「大丈夫です。一歩ずつ、一歩ずつ」
和香がケンシロウを抱き上げた。ふわふわの縫いぐるみのように大人しい。
陽菜が手を伸ばすと、鼻先をくっつけて引っ込めた。頭をなでると、くりくりの目玉で、陽菜を見上げた
(あれっ? 怖くない)
もう一度なでる。大丈夫だ。
突然現れた向上心の高い後輩と臆病なチワワ。
春のそよ風が吹き抜ける。
陽菜は足元のスケッチブックを拾いあげた。遠回りして顔を出した赤と白のチューリップのカップル。白の方が背は高く、白は赤にもたれるように甘えている。
よく見ると、花びらの輪郭の力強さも異なるのだ。陽菜は自然と描き分けていた。
ちらっと、和香の顔を見る。お世辞をいうタイプでない。
「あ、あの、本当に素敵だと思う?」
「はい! この二本のチューリップだけ、雰囲気が違いますよね。赤いチューリップが白いチューリップを支えている感じで」
陽菜の絵を凝視しながら、和香は続けた。
「ほら、よく、先生たちが言うじゃないですか、【人】っていう漢字は一人と一人が支え合いできているって。私、ちがうと思います。明らかに左の一画目の方が長くて、二画目の方が短くてつっかえ棒になっている」
和香は足もとに、人という漢字を書き付けた。
「どう見たって短い方が大変ですよ。長い方を下から支えているのだから。この二本のチューリップもそんなふうに見えます。 センパイの描いた赤いチューリップは、白いチューリップを支える力強さがあります」
上手く言葉にできないと、和香は頭をかいた。
セ・ン・パ・イ
和香がそう呼んだのは、陽菜のことだ。
「いや、あ、ありがとう、伝わった」
「ちょっとした雑学なんだけど」
陽菜は前置きして、三年生の先輩との秘密を、和香に教えてあげた。
和香は大きな瞳をキラキラさせた。まるでチワワみたいだ。
「わぁ、すごいです! 土の中で感じる引力って、どんなだろう? しかも、二人でってロマンチックじゃないですか?」
和香はケンシロウを足もとに置くと、自分もぺしゃんと座り込んだ。スカートが砂まみれになるのに。
陽菜があっけにとられていると、
「センパイ、目を閉じても、引力って感じられないですね。土の中じゃないし、逆さまじゃないし。球根たちは、会話をしていたのかな? センパイは、球根の会話を想像しながら、この絵を描いたのですか?」
和香は矢継ぎ早にたずねた。
返事を待たずに、
「早く、美術部に行きたいなぁ」
校舎を見上げて、和香は足をバタバタさせた。
と、そこに、
「陽菜ちゃん、久しぶり、どうしたの? この子は……」
三年生の先輩がやってきた。
「来年一年生になります。フカミワカです。これは、番犬のケンシロウです」
和香は急いで立ち上がってあいさつした。
先輩はニコリと笑って、逆さまエリアに視線をやった。
陽菜はドキリとした。秘密だったのだ。
ところが、
「ワカちゃん、このカップルのエピソード、聞いたの?」
先輩はけろりと言った。
和香がうなずくと、
「みんな、通りすぎちゃうのに、お花を見てくれてありがとう。陽菜ちゃんは描いてくれたんだね。勉強に疲れたから外の空気を吸いにきたのよ」
先輩は深呼吸して空を見上げた。
チューリップの花たちのように。
(あっ、自然と空を向いている)
三人で深呼吸する。
まだ少し冷たい風がほおに気持ちがいい。
ふと、植物も呼吸をすると引力を感じるのかな、陽菜は思った。
今まで、そんなことを考えて描いたことはなかった。
さっき、和香が力説していた人という漢字のことも思いもよらなかった。球根の話し声も聞こえてこない。
想像しながら描く、やってみよう。
陽菜は美術部をながめた。まだ部員は絵を描いているはずだ。
(あとから、ちょっと顔を出そうかな)
少しずつ、少しずつ、自分に自信がつくといいな。
新学期、園芸委員の先輩との別れはさみしいけれど、美術部の和香との活動は楽しみだ。うん、とっても。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。