YA【透明なゴール】(5月号)
今日は、毎年恒例の月ノ島中学校のマラソン大会だ。
全校生徒が参加する。
中学校の近くの緑地公園の池の周りをぐるりと一周するコースだ。コースの途中に七つのポイントが設けられている。体育の先生は生徒らと並走して走る。各ポイントと、ところどころに先生たちが旗を持って立っている。
三年生の小森紬は、持久走大会に参加するのは三度目だ。
一年生の時は、初めての参加で、運動があまり得意でない紬は、先輩の背中を追いかけて必死に走った。
二年生の時は慣れもあって、集団に紛れ込んで力を抜いて走った。
三年生の今年は、後ろの方でらくをしたい。
でも、露骨に歩くと先生に怒られる。
「セリ、先生の目のないところはのろのろ走ろうね」
先日、紬は友人の東山世利と約束した。
「オーケー!」
世利は紬の申し出を快諾した。
世利とは一年生、二年生と同じクラスだった。
三年生では別のクラスになったが、大池のほとりにある花菖蒲の手前のフェンスで、合流する手はずになっている。
彼女も紬と同じように運動が得意ではない。学年別で十位までに入れば表彰される。
けれども、それは運動部の子達が独占している。
スタート地点の公園の入り口で、小柄な紬は辺りを見渡した。背の高い世利の姿を、後方集団に見つけた。
(あれっ?)
世利は額に白いハチマキをまいている。えんじ色の体操着の袖をまくりあげて、集中して準備運動をしている。
(セリ、どうしちゃったの? 私との約束を忘れちゃったの?)
紬の頭を不安がよぎった。苦しい思いをして走りたくない。
しかし、自分一人だけ置いてけぼりになるのはいやだ。
「小森さん、がんばろうね」
新しいクラスメイトが声をかけてくれる。
紬は何度も後ろをむいたが、世利と目が合わない。世利は屈伸運動をしてから手足を回している。
「小森さんも、準備運動をした方がいいよ」
「は、はぁ」
先ほどから、しきりに紬に話しかけてくれるのは、初めて同じクラスになった依田ゆう子だ。
依田さんとはたまに会話する程度だ。それに依田さんは陸上部だから、スタートの合図から間もなく紬の視界から消え去るだろう。
(セリ、こっちむいてよ)
紬は世利に気がついてもらいたくて、ぴょんぴょんとびはねた。
「小森さん、その調子!」
依田さんは、紬の動きを準備運動だと勘違いした。
大柄の依田さんも、紬のとなりでとびはねだした。
パーン!
雲一つない青空の下、スタートの合図が鳴り響いた。
三年生、二年生、一年生と順番に走り出す。
運動部をはじめ、本気モードの生徒たちは、一斉に前にとびだしていく。
紬は彼らの邪魔にならないように道のはしによった。
軽いジョギング程度で走りながら、後ろをふりむいた時だ。
ヒュン!
真横を、世利が走り抜けた。
前方にむきなおると、世利は運動部も顔負けの走りっぷりで、なんと三年生の女子の一番前におどりでた。
紬は驚いて声もでない。ただ世利の背中を見失いたくなくてスピードをあげた。
もう一つ、不思議なことが起こっていた。依田さんが、紬に並んで走っている。
いくらスピードを上げたといっても、所詮、パソコン部の紬の脚力だ。陸上部の依田さんが本気になったら、入賞どころか、三位以内の表彰台だって手が届く。
(どうして、もっと速く走らないのだろう?)
依田さんは、紬の後ろに縦に並んだ。小柄な紬では風避けにもならないだろうし、そもそも今日は風がない。
「あっ、タンポポが咲いているよ。かわいい!」
「えっ? あ、本当だ……」
依田さんはむこうの芝生を眺めながら、ゆうゆうと走っている。
紬は一キロ地点を通過する前に、息が上がってしまった。花なんて眺めるよゆうはない。
「ショウブ、ショウブ……」
世利との約束の花菖蒲の池は三キロ地点を過ぎたところにある。こんなペースで走っていたらよこっ腹が痛くなるにちがいない。
「勝負? 小森さん、あたしと勝負したいの?」
またしても、依田さんは盛大な勘違いをした。
ち、ちがうという、声を出そうとしたけど、息が苦しくてでない。
(お願いだから、先に行ってくれないかな……)
紬がそう願った時、
「ごめんなさい、もう、勝負はしたくない……」
依田さんは紬の横に並んだ。
急に、ガクンと、走るスピードが落ちた。
依田さんは、ぽつりぽつり、陸上部の話をした。幼い頃から短距離走が好きで、陸上を始めたこと。中学生になって背が伸びてしまって短距離走で勝てなくなったこと。
二年生の冬、初めて駅伝に出たこと。スタートを任されてトップでタスキを渡したのに、アンカーの選手は最下位で帰ってきたこと。
依田さんは息を切らさずに、しゃべりながらすいすいと走る。
紬はそれどころではなかった。よこっ腹は痛い。足の裏もしびれてきた。もうすぐ約束の花菖蒲の池が現れる。
(世利はいるだろうか?)
依田さんは物思いにふけりながら話を続けている。そして、思いがけないことを口にした。
「あたし、自分が大嫌いになっちゃったの……」
「はっ、はいっ?」
依田さんの言いたいことがさっぱり解らない。
紬が小首をかしげると、依田さんはとてもかなしそうに笑った。
「短距離走って、努力の結果は、自分についてくるの。一位だったり、二位だったり、三位だったり、入賞だったり。メダルも表彰状も、自分のモノ。何年も陸上をしていて、そんな当たり前のことに、今更、きがついたのよ」
「うん、それで?」
紬はよこっ腹を押さえて歩きはじめた。
依田さんも歩きだした。生徒たちが、二人を追い抜いていく。
「あたし、チームプレイってよくわからなくて、最下位で帰ってきた友達を責めてしまった……。ううん、責めるつもりはなかったけど、結果として、遅れた理由を問い詰めてしまった。結局、その子は部活に来なくなったの」
依田さんが立ち止まる。
紬は彼女の手をひっぱった。
「さすがに、止まるのはヤバイよ。歩こう……」
歩いたおかげで、紬のよこっぱらの痛みは治まった。
ふいに、紬の前方に、世利の背中が見えた。
世利はよこっ腹を押さえてよろよろ走っている。前半のとばしすぎがたたったのだろう。
「おーい! セリ! 大丈夫?」
紬の姿に気づくと、世利は無理して笑った。
「ハァハァ……。ごめん、ツムギ。願掛けをしちゃったから、ちょっと頑張ってみたんだけど、入賞なんて絶対に無理だ」
「にゅ、入賞? 願掛けって、そのハチマキ?」
紬は世利の体を支えた。
依田さんも反対側から世利を支えてくれる。
世利は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「突然、お父さんが手術することになって。最悪なのは、お父さんが入院する朝にケンカして、帰ってこないでって、言っちゃったんだ。このままじゃ、シャレにならない。だから、これを作ったんだけど……」
世利はハチマキをとった。
額の裏に入賞と赤いマジックで書かれている。
「わたしも頑張るから、お父さんも頑張ってって。そんなこと、面とむかって言えないからさ、願掛けっていうやつ……」
さいごは、言葉にならずに、世利は泣きだした。
その瞬間、依田さんは、パッと、バトンのようにハチマキをつかむと走りだした。
速い、めちゃくちゃ速い。
「あとは、あたしに任せてよ!」
依田さんはハチマキをにぎった拳を、空に突き上げた。
「は、ハイ、お願いしまーす!」
紬は手をふりかえした。
世利は驚いて、ぽかーんとしている。
依田さんを見送り、再び二人は走り出した。
「セリの気持ち、絶対に伝わるよ」
紬が言うと、世利はうなずいた。
紬は思った。
さっき、依田さんは自分が嫌いになったと言った。自分だけの為に走っていた依田さん。
今、世利のために走ってくれている。きっと、もう一度、自分を好きになるために。
「みんな、すごいな……」
そこには、一人一人の透明なゴールがあるようなきがした。
「うん、あの子すごいね」
世利もつぶやく。
紬は返事を飲み込む。
依田さんだけじゃなくて、世利もすごいよ。
(私のゴールはどこだろう?)
持久走の残りの距離は半分ほどだ。
月ノ島中学校でのさいごの持久走大会だ。今はまだわからないけれど、もう少しあと少し頑張ってみよう。
紬は足の裏に力をこめて、地面をけった。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。