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今の日本社会では真の言論の自由は存在しない

「今の日本では、言論の自由は保障されている!」とひたすら叫ぶ日本人の左派と右派の皆さんに、当方がおお伝えしたいことがある。

実は、今の日本では、
「今の日本万歳!」
と叫ぶか、
「今の欧米万歳!」
と叫ぶか、
両方か、あるいは、どちらか一方を必ず叫ぶ言論の自由しか社会的には許可されていないのだ。

今の日本では、例えば、
「今の日本万歳!」
「今の欧米万歳!」
の両方を同時に叫ぶのは、政権右派、あるいは政治的中立の役人指向であり、日本社会では大いに歓迎され、もちろん許される。その理由は、この発言が、スーパーお上の欧米にも、お上の日本にも忖度、同調し、心理的一体化できているからだ。

今の日本では、例えば、
「今の日本万歳!」
「今の欧米はクソ!」
と同時に叫ぶのは、国粋右派であり、美しい伝統日本のお上を称賛しているので、スーパーお上の欧米を擁護する左派からは叩かれるが、お上の日本の目には適って、何とか許される。

今の日本では、例えば、
「今の欧米万歳!」
「今の日本はクソ!」
と同時に叫ぶのは、左派であり、スーパーお上の欧米に忖度して、上から目線で日本のお上を叩く欧米出羽守なので、日本のお上を擁護する右派からは批判はされるが、スーパーお上の欧米に弱い日本のお上は黙認し、場合によっては従うので、何とか許される。

しかし、今の日本では、
「今の欧米はクソ!」
「今の日本はクソ!」
と同時に叫ぶと、実は、もう生きていけなくなってしまう。こうした発言のように、スーパーお上の欧米と、お上の日本の両方を同時に叩く言論の自由は、日本では全く認められていない。

このバリエーションで、今の日本では、例えば、
「今の欧米はクソ!」
「今の日本はクソ!」
「今の中国万歳!」
と同時に叫ぶと、社会的に死んでしまう。この主張には、今の日本人は、左派も右派も、「中国には言論の自由が無い!中国は全体主義の社会統制国家だ!中国は自由民主主義のスーパーお上のアメリカ様の敵だ!お前は、日米同盟に異を唱える非国民だ!お前は日本から出ていけ!」とか言って激しく反発するだろう。

あるいは、今の日本では、
「今の欧米で主流のリベラルはクソ!」
「欧米リベラルの主張にひたすら賛成、同調する今の日本はクソ!」
と同時に叫ぶのもダメな感じだ。
今の日本では、スーパーお上の欧米で主流なリベラルの主張と、その主張に追随する日本のお上の両方を同時に批判するとダメな感じだ。

このバリエーションで、今の日本では、同様に、
「今の欧米の性差別反対運動はクソ!」
「欧米に同調して、性差別反対を主張する今の日本はクソ!」
と同時に叫ぶのもダメな感じだ。
今の日本では、スーパーお上の欧米で主流な主張と、その主張に追随する日本のお上の両方を同時に批判するとダメな感じだ。

あるいは、今の日本では、
「今の家父長制社会の欧米はクソ!」
「欧米に同調して、日本社会は家父長制だと主張する今の日本はクソ!」
と同時に叫ぶのもダメな感じだ。
このバリエーションでは、今の日本で、誰かが「日本社会は実は女流で、ずっと女が支配しているんだぞ。家父長制じゃなくて、女権拡張が進んでいて、フェミニズム的にはいいよね!」とか主張するのも、この事例に該当する。この主張は、今の日本では、スーパーお上の欧米の社会体制である家父長制にケチを付けて全面否定し、なおかつ、お上の日本の、日本社会は欧米同様家父長制だという伝統的な主張も否定しているので、スーパーお上とお上の同時否定に当たり、ダメなのだ。この主張は、現状では、日本のネット掲示板とかにいくら書き込んでも、日本人からは、完全無視か、あるいはひたすら嘲笑の対象になり、社会的には、最初から存在しなかったことにされてしまう。
とにかく、今の日本では、スーパーお上の欧米の社会体制と、その社会体制に追随する日本のお上の両方を同時に批判するとダメな感じだ。

今の日本で、こうした言論統制の事象の発生する背景には、明治以来の日本伝統の脱亜入欧国策に、日本社会全体が、今なお、左派も右派も挙国一致でもろ手を挙げて賛成して、ひたすら従っていることがあると思う。
誰かが、欧米先進国と一体化し、中韓を見下すことをひたすら指向する、日本伝統の脱亜入欧国策に対して、異を唱えると、今の日本では、その主張者は、非国民扱いになるのだ。この傾向は、明治政府の頃から、今までずっと存続している。この傾向は、日本社会の価値観が大きく変わったかのように一見見えるアメリカ占領後もずっと存続しているのだ。最近は、台頭著しい中国のことをスーパーお上のアメリカが盛んに敵視するようになっていて、このアメリカの動きに、お上の日本が日米同盟でひたすらべったり追随するようになっていて、その結果、日本人が脱亜入欧の国策に精神的に入れ込む度合いは、ますます増加している感じだ。つまり、今の日本では、ますます言論統制が酷くなっているのだ。

当方の結論だ。
今の日本は、日本人が大声でその言論統制の厳しさを批判、嘲笑する中国や北朝鮮と同様、実は言論の自由がちっとも無い。
今の日本では、言論の自由は、スーパーお上の欧米が言論の自由の重要性を主張し、お上の日本がそれに追随して同調する主張をしているので、一見あるように見えるが、実はちっとも無い。
今の日本では、スーパーお上の欧米とお上の日本の両方に同時に反対すると、社会的に死んでしまう。言い換えると、今の日本では、お上の日本による伝統的な脱亜入欧の国策に反対すると、社会的に死んでしまう。
今の日本では、誰かが、スーパーお上やお上といった社会的上位者に忖度しないと、その人は、社会的にすぐに死んでしまう。
この上位者への忖度必須の日本の社会規範の存在は、まさに日本社会が女流であることの表れである。しかし、このことを主張する言論の自由が、今の日本には無い。と言うか、そもそも日本社会が女流だからこそ、日本社会では、根本的に言論の自由が無いんだと思う。


この投稿内容の収録先⇓

「The Power Structure and Speech Control in Feminine Japanese Society」 「女性的日本社会の権力構造と言論統制」

https://archive.org/details/gender-studies-and-speech-control

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