見出し画像

差し出された命

イメージフォーラム付属映像研究所というところは、昔は命を削る生徒が多かった。手首を切ったり、高所を渡ったり、排泄したり、自分の命を引き換えにして削ることで作品を産み出そうと懸命だった。Twitterもネットもなく、自己表現はどこまでも閉鎖的で自己との対立に陥ってしまう時代だったと言うのは簡単だろう。

講師陣は実験映像界の50代以降の男ばかりであったが、今思えば腰抜けも多かった。「色が良いねー」と映像ばかりを評価したり、技術的な指摘に終始したりと、差し出された命に何ら反応しなかった。実験映像はそもそもフイルムいじりから派生したもので、そこで名を馳せた者には当時の変化に対応は難しかったのだろう。当時はフェイクドキュメンタリーや性的な叫びやら、自分の命を題材に新たな創りが出始めた転換期だったので、講師陣はそれらに考察も指導もする視点が持てなかったのであろう。

しかしその中で、声は出さなかったか、自作で反応する講師もいた。金井勝氏はそうだろう。逆に生徒の命を吸い取って創るかのような態度は本当に素晴らしかった。作品に作品で返すのは正当なものだと思う。

その後、何人かの生徒は本当に命を無くしたけれど、彼らの作品はいつまでも覚えてしまう。

現在、イメージフォーラム館長の山下氏は同期だった。彼は犬のいないリードを持って、道を徘徊する作品を撮った。それだけの内容だがよく覚えているのは、それが彼の命だったからだ。

しかし今では「社会性のない作品は公開出来ない」と言い放つ。彼に何があったのか。消費世界でいつの間にか、あの頃のリードの先に居た自分を手離してしまったのではないか。

彼はフィルメックスで、同伴していたアピチャッポンの作品「世紀の光」を観た後、こうも言った。「もう他の実験映画は要らないね」と。そして、イメフォ研究所は次第に実写よりもアニメーションに舵を切った。もう命は不要の時代になったのだろう。しかし、私は今でも命を差し出した当時の作品群を思い出す。社会性のない作品こそ、私の中でとても輝くのだ。

追伸、イメフォ研究所には「意識さえずり」「ヒダリ調教」の原盤8ミリを生徒指導の教材用にと保管して貰っているが、きっと何処かに捨てられた気がする。本当に残念。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?