崎島みちる

純文学の小説家志望。崎島みちるという筆名。死後、満たされることを期待して。狂気と理性が…

崎島みちる

純文学の小説家志望。崎島みちるという筆名。死後、満たされることを期待して。狂気と理性が混じり合った創作中毒の旅も間も無く終わりそうな気配なので、小説を最終創作として取り組むことにしました。これまで語らなかった内声をこちらに書こうかと思ってます。

最近の記事

差し出された命

イメージフォーラム付属映像研究所というところは、昔は命を削る生徒が多かった。手首を切ったり、高所を渡ったり、排泄したり、自分の命を引き換えにして削ることで作品を産み出そうと懸命だった。Twitterもネットもなく、自己表現はどこまでも閉鎖的で自己との対立に陥ってしまう時代だったと言うのは簡単だろう。 講師陣は実験映像界の50代以降の男ばかりであったが、今思えば腰抜けも多かった。「色が良いねー」と映像ばかりを評価したり、技術的な指摘に終始したりと、差し出された命に何ら反応しな

    • 創作と人生4

      (3からの続き) 一作目で特待生となり、二年目は他のクラスにもどんどん潜り込んで貪欲に勉強した。特待生になると学費免除され後輩の指導に当たることになる。 二年間のイメフォ生活で多くの同期と切磋琢磨した。また多摩美や武蔵美、造形大との交流も積極的にしていた。「リング・ワンダリング」金子雅和、「シェル・コレクター」坪田義史、2人は商業へ行った。坪田氏とは互いの作品に出たが、彼の作品で私は全裸でダッチワイフとやりまくる変態役だった。他の作家も多分活躍してると思うが、何人かは自殺

      • 直進するひかり

        兄が普通とは違うらしいと気がついたのはいつだったか。両親は最初から知っていたのか。今となっては分からないけれど、何も教えてくれない家はよそよそしくあり、子供にとっては寒々とした食卓だった。 ある日、父と母が障害のある兄を連れて、5キロほど離れた標高342メートルの高森山に登るという。私は当然のように行かなかったが、山頂から鏡を使って光を投げるから見てくれと言い残して家を出た。 あんなに行かないと言っておきながら、そろそろか、いやまだ掛かるのか、そわそわしながら、高森山を見

        • オネエ言葉

          ヲカマは、女らしさを取り入れたオネエ言葉を意識的に使う。オネエ言葉には場を上手く転がす力があり、技として取り入れている。男らしさの呪縛から解放され、逆に男性性や女性性を技巧的に切り替えて楽しむのだ。そういう境地を、どこか余裕のある価値観に捉えていたと思う。 ノンケ達もたまにヲカマ言葉を使う。侮蔑的な意識も感じるが、言葉のおおらかさ、大胆さを取り入れているのだろう。まずは、一歩だと思う。自分の中の女性性を感じ取るきっかけになるだろう。 ヲカマ言葉を極端に嫌悪するならば、そこ

        差し出された命

          創作と人生3

          (2からの続き) 一作目は成長を止めた兄との繋がりを描いた。まずは眼帯をして10年ぶりに帰省し、家族の反応を撮る。そして兄にカメラを向けて、そこで何が起きるのかを記録するというものを基本にした。カメラは8ミリビデオカメラで、最終的には8ミリフィルムにするのだが、再撮影やらバルブ撮影、コマ撮影などで、サンプリング構成しようと思った。 当時はDVカメラさえ無い時期で、解像度的には360×280くらいの世界である。それを思うと今の制作環境は羨ましい。 何故、眼帯をしたのか、よ

          創作と人生3

          怒りの人格との付き合い方

          制御出来ない程の怒りの存在は認識してるが、その次あたりにあるのが「仕事モード」の怒りの人格がある。何故、そう呼んでいるかというと、まさに仕事を進めるのに一番効率が良いからである。 逆にいつもはノンビリほんわかキャラでいられるのだが、案件があるとこのモードを発動するか決める。根底にイライラがあるのだが、その時に脳内にアドレナリンが分泌され、思考力が通常より8倍くらいになる。そして、このモードのデメリットではあるが、人間的な優しさは皆無となる。効率よく最短の時間で成し遂げる策を

          怒りの人格との付き合い方

          再投稿禁止

          ある下読みが愉快そうにTweetする。再投稿を見破ったと得意気みたいだ。審査する側の真摯な態度ではないのは、選ぶ側の愉悦のせいか、その者だけの品格の現れか。本当に全く同じ文章の作品だったのか。頭から書き直したけれど、変更点に気づいてなさそうにも見えるのは、そんなTweetをした下劣さからの印象のせいだ。 小説家に求めるものが、定期的に作品を生んでくれないと困るのであれば、どんどん新しい題材と展開で書くのが良い。いつまでも一つの作品に執着せず、沢山書く事で新境地を開拓せよ。ボ

          創作と人生2

          (1からの続き) 講師陣は、かわなかのぶひろ、金井勝、大木裕之、利重剛などで、8ミリフィルムで製作しなければならない。最高機種のzc1000を購入し、更に手回しクランプなどの改造をする。これはバルブ撮影のコマ撮影をしようと思ったからだ。更に当時はまだ珍しいMacを駆使して、音響なども同期するこだわりの作り方を構築した。こういう作戦はお手のものなので、楽しく進めることが出来た。あとは何を撮るかであった。 一年を通して、4回ほど課題提出するのだが、そこで周りのクリエイションの

          創作と人生2

          創作と人生1

          家族の中にただならぬ気配が隠れているのを、幼少時から察知していた。小学生3年くらいから、長男に障害があるのだとなんとなく分かってきた。誰も何も教えてくれないのできっとこうなんじゃないかと妄想する癖がついてしまう。そんなことが創作中毒になった原因だろう。 会話もおかしな家族の中で、言葉を持たず育ったが、目だけは鋭く研ぎ澄まされてゆく。まずは絵を描いた。すぐに賞を取りまくる。他校の美術顧問からも注目されたり、二科展ジュニア部門では金賞か何かを頂く。あちこちに貼り出される絵は自分

          創作と人生1

          小説家修行

          私は映像的思考しかしてこなかった。言葉を持たなかったからだ。誰とも本当の会話もしてこなかったし、なるべく家族からも逃げて部屋に閉じこもっていた。部屋の中ではラジオから流れる映画音楽に妄想しながら部屋の真ん中を見上げていた。 映像に取り組んできたのは自然なことだと思った。どうすれば映像に意味を込められるのか手にとるように分かった。夢さえも編集してるのだから、絵コンテも順調だった。 しかし、今まさに終活として小説をいくつか書きたいと思っている。映像の世界はもはや社会性にまみれ

          小説家修行

          終わらせないこと

          ドアを最後まで閉めなかったり、引き出しを少しだけ開けたままにする。コップに少しだけ飲み物を残したり、脱いだ服をそのままにする。 一見だらしない行為の裏側を、相方が指摘する。「終わらせたくないの?」 確かにそうだ。継続させることで、何らかの安心を得ている。じっと動かない時、スマホでゲームを動かし続けたりするのも、経験値を得て成長させることを続けている錯覚に安心するからだ。 責任を放置するのではなく、それらの持つ物語を続けておきたいのだろう。人は物語で認識も思考もする。完全

          終わらせないこと

          もう1人の私との出会い

          20代前半の頃の私はまだ何も作ってなく、自分の創作の手がかりも掴めなかった。名前を検索すると、同姓同名の小説家が居て、星新一のショートショート選に、ある作品が掲載されていた。 私は二重人格と言われていた時期もその頃で、家を裸足のまま飛び出した友人を追いかけ連れ戻したところ、翌朝になって足の裏が汚れていたのは自分の方だったこともあった。私は、家庭の問題で不確かな人格形成を経ていたので、少し腑に落ちることがあった。 そして驚いたことに、その同姓同名の小説は、二重人格の物語だった。

          もう1人の私との出会い

          お試しNOTE

          思いついたネタは非公開Instagramに書き込んでるので、こちらをどう使おうかまだ決めてません。 アート系映像3作品は横浜美術館、愛知美術館収蔵。ゲームシナリオはとあるマンションを覗き見する某ゲームのうち、劇団編を除くプロット&シナリオを作りました。続編はプロット企画のみ。どちらもノンクレジットです。あとは香港国際映画祭、ロッテルダム、バンクーバーなど上映実績あります。 映像表現はいったん終わり、現在は終活として小説家を目指しています。自分らしい内容とは何かを模索しながら牙